長いようで短かったような、短いようで長かった今シーズンが、シーズン80敗を直前で回避するゲームで幕を閉じました。
ロッテのチーム本塁打46本、西武・中村の48本を下回る(サンケイスポーツ) - goo ニュース
下のエントリにもあったとおり、昨日は川崎球場のアメフト観戦に出かけておりましたので、試合内容は報道を含めて一切見ておりません。
あたしは観戦仲間の皆さんには、予め「最終戦は参戦回避」を伝えており、おいら自身が1998年から皆勤していた千葉マリン最終戦の参戦記録は、足掛け13年でピリオドを打つことに。
思えば1998年のマリン最終戦はど平日のダブルヘッダー。内野自由席を無料開放していても、そぼ降る雨の前に客足は程遠く、2階席に飛び込んだファウルボールを奪い合う光景すらなく、ありがたく頂戴した記憶が。
そぼ降る雨の中、ガラガラのスタンドで行われた第一試合だったか第二試合だったか、落合「現」中日監督の現役最終打席があり、記憶の中では2000人いたかいないかの客に見守られての、寂しい最終打席だった。
1999年は園川投手の引退試合。
2000年は秦真司選手の引退試合。
2001年は、福浦と小笠原の首位打者ガチンコ勝負の末に福浦に軍配が上がり、野球ファン全体にタイトル争いに一石を投じる試合となった。
2002年は平井選手引退試合。
2003年は当日移動で所用先の京都から駆けつけ、ホセ君とシコースキーが身の回りのものをスタンドに投げ入れた光景を見て泣き崩れ。
2004年。球界再編問題に揺れる中での、近鉄との最終戦。
2005年。初つぁん…。
2006年。諸積選手引退試合。
2007年。むしろCSへ向けてのプレイベント的な何か。
2009年。騒動に一年中揺れ続け、いつもだと「終わると寂しい」とばかり思っていたシーズンが、この年だけは「無事に終わってせいせいした」と言う気持ちになったのは、おそらくおいらだけではない。
2010年。結びの3番3連勝が絶対条件。3連勝してCS進出。去年のことをいろいろ思い出すとなんだかこらえ切れなくて目からあふれる汗が止まらないと思ったら、マリンビジョンがすっぱ抜きやがった(´・ω・`)しかもNHK、なにしてくれんねん(・・;)
いろんな思い出がある一方、だいたい最終戦というのはご近所様へのあいさつ回りが恒例となっていて、腰を落ち着けて試合を見ることが難しいというのも例年のパターン。ご近所周りへのあいさつ回りをする必要がなかった、即ちピンで活動していた2001年以前の最終戦の方が、試合内容をよく覚えていたりするんですよねえ。
例年、その年の総決算。特別な思いを寄せて足を運んでいたマリンとも、今年はついにお別れをしました。
最終戦の大団円は、たとえチーム状況がどうであろうと、最後まで信じて声をからしてきた人たちに迎えてもらえばいい。
おいらのように、たとえどんな理由であれ、途中で気持ちを折った人間が、最終戦という理由だけで外野「応援席」に足を踏み入れてはいけない。
いや、そうした人間が、今年の大団円の輪の中にいること自体がおこがましいことである。
どうしてもおいらは、最終戦に行くことは出来ませんでした。
それはもう、今月4日のホークス戦の時点で「今年のマリーンズ納め」と書いたとおり、その時点で決めておりました。
以前も触れましたが、当ブログで過去散々「気持ちを折ったなら、やいのやいの騒がれても雑音になるだけだから黙っておいてくれ」と書き散らしていた人間が、心を折ったまま「応援席」に足を踏み入れるのは信義にもとる。
今年は…。
お盆明けまではいい位置につけておきながらの大失速。
借金3からまさかの大転落。
まあ、でもこれは「まさかの」という冠をつけるわけにはいかない。
転落する要素はその時点でプンプン臭いを放っていたし、それが投手陣の踏ん張りによって辛くも臭いに蓋をされたまま保てることが出来ていたのが、何らかの拍子に蓋が外れた途端に、噛み合わなくなっていた歯車はあっという間に崩壊していった。
もちろん、失速の原因は、首脳陣構想外の期待の主力の、怪我による相次ぐ離脱もある。テギュン帰国も大きいけれど、これは多分、推測でしかないけれど、おそらくは震災の影響による家庭事情も大きいのではないかと。
そして統一球に全く対応できなくなったのか、打撃陣が低調を極め、ホームラン数も予想外の急落。
先発投手陣も踏ん張りきれず、「エース」成瀬で貯金を作れず。
思い返せば昨シーズン、2010年の開幕直前。
あたしはこう書いているんです。
「チームの立て直しは時間がかかるだろう。それこそ2~3年は我慢しなければならない覚悟は出来ている」
それがまさかの滑り込み3位からの下克上。
2010年の開幕前に、2~3年の低迷を予め予測していたのだし、2010年シーズン前と今年とでは、戦力は大幅には変わっていないのだから、思えば下克上が達成されたことにより、より多くの成果を知らず知らずのうちに期待していたのかもしれない。つまりは、順位自体は予測できたものだったということ。それは現にあたしも書き連ねているので、順位には納得しています。
もちろん、選手個々のレベルアップを図っていかなければ、来シーズンの巻き返しは厳しいものになるだろう。統一球に対応したバッティング、ピッチングを見せてもらえないと…。
そして怪我人が多すぎたのも痛すぎた。
勘違いされぬように書いておきますが、選手個々のレベルアップを、あたしは否定するものではありません。っていうか当然でしょう?
そして首脳陣。
先月、突如オーナー代行じきじきの発表でトップ2が更迭されることになり、風雲急を告げることに。
それまでぽつりぽつりと報道され始めていた来季への組閣に関わる報道も、オーナー代行の発表があって以降ピタリとさたやみに。
今朝の報道では、これまでの来季への組閣は白紙で現状のまま推移するのではないか、或いは2軍監督に佐々木信行氏入閣という話もあったけれど、どういったチーム作りがなされるのかは未知数で、正直暗中模索の感がぬぐえない。
まあ、単にキャンプ地での女性がらみのすったもんだだけではなく、お互いにいろいろとわだかまりがあったとはいえ、来季はシーズン途中に「要職」にある選手を、単純に戦力構想という理由だけではない、マスコミからも離反されてしまうようなやり方で簡単にトレードに出すようなバカな真似をしてもらわなければそれでいいです。
例の件は散々怒ったし、「ファンを減らしたければ減らせばいい」とも書いたし、御陰様で一部からコメントで罵声も飛んできましたが、あたしはあれ以降、「なるべく直接的には球団にはカネを落とさない」行動は続けました。知人から新聞招待券を頂いたり、余った指定席招待券を頂いたり、いろいろ融通を図ってくださった周囲の方々には感謝にたえません。御陰様でそのスタンスでシーズンを全うすることが出来ました。
「小馬さん、ブログ読みましたよ。俺も気持ちは本当に一緒だから」と言ってくださった多くの皆様のおかげで、どれほど救われた気持ちになったかわかりません。本当にありがとうございました。
それに、単純に戦力構想だけという状況であの選手がシーズン中にトレードに出されたなら、おいらはあそこまで怒ることはしていません。それは今まであたしがマリーンズにどうやって向き合ってきたか、2年以上続けてご覧頂いている皆様なら先刻ご承知のはず。
あたしはあのトレードが正解だったという方々とは、仲良くはなれませんね。申し訳ありませんが。いや、そう思うなら思っていただいて構いません。俺にそれを強要するな。
正直、それを強要されたことで、シーズンへの気持ちが折られたのも否定は出来ません。
ただ、たとえどうであれ気持ちを折ってしまったのは自分の責任です。
折ってしまったからには、シーズン中はマリーンズの試合には触れるべきではない。
その思いで、今日まで試合のことは1ヶ月に渡って触れてくることはありませんでした。
観戦仲間がいる外野にも顔を出すのも控え続けました。
それも一つの責任であると、私は考えたからです。
思えば今年。
ロッテ浦和球場で巨大地震に遭遇し、マリーンズファン4名を連れて、お互いに帰る方角がバラバラな状態で、どうやって無事に帰宅させたらよいものか。
顔では笑いながらバカ話をして気持ちを高ぶらせていたけれど、その実そうでもしていないと、もしあの地震以上に大きな余震に見舞われて、脇の高速道路が倒壊してきたら。或いは周囲の建物が倒壊してきたら。
そんな道を選んで歩きとおす決断を下した、俺の責任はどうなる。
「マリーンズファン同士で死ねればそれはそれで本望」なんて言い合ったけれど、そうじゃねえと思うんだよな、やっぱり(・・;)
死なせちゃいけねえ。生きなきゃいけねえ。
彼らを連れて歩くおいらは、彼らの命も背負っている。
三郷からの帰り道、送ってくれた知人の車の中で飲んだお茶の温かさは、一生忘れることはありません。
あの日、真の意味での「人の温かさ」を知ったと思います。
あの日。
1ヶ月遅れとはいえ、無事にプロ野球が、周囲が液状化現象に見舞われて大きな被害が出たマリンに帰ってくるとは、おそらく想像もできなかったに違いない。
関東地方もたびたび大きな余震に襲われ、試合が中断することもしばしば。
その中で、プロ野球が、地元千葉に存在するという意義。
プロ野球が行われるたびに、いつもの観戦仲間、ご近所さんと再開できる安堵感。
溢れる笑顔。
それもまた、おいらの中では野球観戦の醍醐味の一つ。
おいらはもちろん、野球も見に来ている。
野球に関わる人たちの笑顔も見に来ている。
キミが売るジュース。
あなたが注いでくれるビール。
そこで交わされる、なんていうことはない世間話。
そこでキラリ光る笑顔を、おいらは見に来ている。
スリッパでぶっ叩く頭、どっと沸く周囲。
そんな笑顔は…観に行こうと思って見られるもんじゃございません(^^;)
御陰様で今年も、いろんな方々とお知り合いになることが出来ました。
これまで以上に顔が大きく広がったと思っております。
それも良し悪しっちゃあ良し悪しだけど(^^;)
来シーズン、球場にはどんな笑顔が溢れているだろうか。
来シーズン、球場にはどんな出会いが待っているだろうか。
来シーズン、球場ではどんなネタにありつけるだろうか。
これらを期待しながら、2011年のマリーンズ筆納めとしたいと存じます。
あ、そうそう。
昨日の最終戦後、スタンドでプロポーズまで持って行った方。
おめでとうございます。
未来に更なる幸せがあらんことを、心からお祈りいたしております。
今年も当ブログにお付き合いいただきまして、ありがとうございました。
なお、更新はこの後も続きますよ(^^;)
ロッテのチーム本塁打46本、西武・中村の48本を下回る(サンケイスポーツ) - goo ニュース
(パ・リーグ、ロッテ5-2ソフトバンク、最終戦、ソフトバンク13勝10敗1分、QVC)ロッテは先発の唐川が8回2失点の好投で、自己最多の12勝目。九回は薮田が締めくくり31セーブ目を挙げ、今季を締めくくった。
ロッテは54勝79敗11分。敗れれば前年度日本一チームとしては史上初の勝率3割台となったが、勝利で勝率・406。前年度日本一チームとして史上ワーストの1961年・大洋(現横浜、勝率・404)を下回ることは免れたものの、ワースト2位となった。
またロッテのチーム本塁打数は46本。パ・リーグ本塁打王の西武・中村の48本より少なかった。これは1954年、本塁打王は西鉄(現西武)・中西の31本で近鉄のチーム本塁打数27本だった以来57年ぶり3度目の珍事となった。チーム本塁打数が50本を下回るのは1958年、東映(現日本ハム)の40本以来となる。(いずれも2リーグ制の1950年以降)。
下のエントリにもあったとおり、昨日は川崎球場のアメフト観戦に出かけておりましたので、試合内容は報道を含めて一切見ておりません。
あたしは観戦仲間の皆さんには、予め「最終戦は参戦回避」を伝えており、おいら自身が1998年から皆勤していた千葉マリン最終戦の参戦記録は、足掛け13年でピリオドを打つことに。
思えば1998年のマリン最終戦はど平日のダブルヘッダー。内野自由席を無料開放していても、そぼ降る雨の前に客足は程遠く、2階席に飛び込んだファウルボールを奪い合う光景すらなく、ありがたく頂戴した記憶が。
そぼ降る雨の中、ガラガラのスタンドで行われた第一試合だったか第二試合だったか、落合「現」中日監督の現役最終打席があり、記憶の中では2000人いたかいないかの客に見守られての、寂しい最終打席だった。
1999年は園川投手の引退試合。
2000年は秦真司選手の引退試合。
2001年は、福浦と小笠原の首位打者ガチンコ勝負の末に福浦に軍配が上がり、野球ファン全体にタイトル争いに一石を投じる試合となった。
2002年は平井選手引退試合。
2003年は当日移動で所用先の京都から駆けつけ、ホセ君とシコースキーが身の回りのものをスタンドに投げ入れた光景を見て泣き崩れ。
2004年。球界再編問題に揺れる中での、近鉄との最終戦。
2005年。初つぁん…。
2006年。諸積選手引退試合。
2007年。むしろCSへ向けてのプレイベント的な何か。
2009年。騒動に一年中揺れ続け、いつもだと「終わると寂しい」とばかり思っていたシーズンが、この年だけは「無事に終わってせいせいした」と言う気持ちになったのは、おそらくおいらだけではない。
2010年。結びの3番3連勝が絶対条件。3連勝してCS進出。去年のことをいろいろ思い出すとなんだかこらえ切れなくて目からあふれる汗が止まらないと思ったら、マリンビジョンがすっぱ抜きやがった(´・ω・`)しかもNHK、なにしてくれんねん(・・;)
いろんな思い出がある一方、だいたい最終戦というのはご近所様へのあいさつ回りが恒例となっていて、腰を落ち着けて試合を見ることが難しいというのも例年のパターン。ご近所周りへのあいさつ回りをする必要がなかった、即ちピンで活動していた2001年以前の最終戦の方が、試合内容をよく覚えていたりするんですよねえ。
例年、その年の総決算。特別な思いを寄せて足を運んでいたマリンとも、今年はついにお別れをしました。
最終戦の大団円は、たとえチーム状況がどうであろうと、最後まで信じて声をからしてきた人たちに迎えてもらえばいい。
おいらのように、たとえどんな理由であれ、途中で気持ちを折った人間が、最終戦という理由だけで外野「応援席」に足を踏み入れてはいけない。
いや、そうした人間が、今年の大団円の輪の中にいること自体がおこがましいことである。
どうしてもおいらは、最終戦に行くことは出来ませんでした。
それはもう、今月4日のホークス戦の時点で「今年のマリーンズ納め」と書いたとおり、その時点で決めておりました。
以前も触れましたが、当ブログで過去散々「気持ちを折ったなら、やいのやいの騒がれても雑音になるだけだから黙っておいてくれ」と書き散らしていた人間が、心を折ったまま「応援席」に足を踏み入れるのは信義にもとる。
今年は…。
お盆明けまではいい位置につけておきながらの大失速。
借金3からまさかの大転落。
まあ、でもこれは「まさかの」という冠をつけるわけにはいかない。
転落する要素はその時点でプンプン臭いを放っていたし、それが投手陣の踏ん張りによって辛くも臭いに蓋をされたまま保てることが出来ていたのが、何らかの拍子に蓋が外れた途端に、噛み合わなくなっていた歯車はあっという間に崩壊していった。
もちろん、失速の原因は、首脳陣構想外の期待の主力の、怪我による相次ぐ離脱もある。テギュン帰国も大きいけれど、これは多分、推測でしかないけれど、おそらくは震災の影響による家庭事情も大きいのではないかと。
そして統一球に全く対応できなくなったのか、打撃陣が低調を極め、ホームラン数も予想外の急落。
先発投手陣も踏ん張りきれず、「エース」成瀬で貯金を作れず。
思い返せば昨シーズン、2010年の開幕直前。
あたしはこう書いているんです。
「チームの立て直しは時間がかかるだろう。それこそ2~3年は我慢しなければならない覚悟は出来ている」
それがまさかの滑り込み3位からの下克上。
2010年の開幕前に、2~3年の低迷を予め予測していたのだし、2010年シーズン前と今年とでは、戦力は大幅には変わっていないのだから、思えば下克上が達成されたことにより、より多くの成果を知らず知らずのうちに期待していたのかもしれない。つまりは、順位自体は予測できたものだったということ。それは現にあたしも書き連ねているので、順位には納得しています。
もちろん、選手個々のレベルアップを図っていかなければ、来シーズンの巻き返しは厳しいものになるだろう。統一球に対応したバッティング、ピッチングを見せてもらえないと…。
そして怪我人が多すぎたのも痛すぎた。
勘違いされぬように書いておきますが、選手個々のレベルアップを、あたしは否定するものではありません。っていうか当然でしょう?
そして首脳陣。
先月、突如オーナー代行じきじきの発表でトップ2が更迭されることになり、風雲急を告げることに。
それまでぽつりぽつりと報道され始めていた来季への組閣に関わる報道も、オーナー代行の発表があって以降ピタリとさたやみに。
今朝の報道では、これまでの来季への組閣は白紙で現状のまま推移するのではないか、或いは2軍監督に佐々木信行氏入閣という話もあったけれど、どういったチーム作りがなされるのかは未知数で、正直暗中模索の感がぬぐえない。
まあ、単にキャンプ地での女性がらみのすったもんだだけではなく、お互いにいろいろとわだかまりがあったとはいえ、来季はシーズン途中に「要職」にある選手を、単純に戦力構想という理由だけではない、マスコミからも離反されてしまうようなやり方で簡単にトレードに出すようなバカな真似をしてもらわなければそれでいいです。
例の件は散々怒ったし、「ファンを減らしたければ減らせばいい」とも書いたし、御陰様で一部からコメントで罵声も飛んできましたが、あたしはあれ以降、「なるべく直接的には球団にはカネを落とさない」行動は続けました。知人から新聞招待券を頂いたり、余った指定席招待券を頂いたり、いろいろ融通を図ってくださった周囲の方々には感謝にたえません。御陰様でそのスタンスでシーズンを全うすることが出来ました。
「小馬さん、ブログ読みましたよ。俺も気持ちは本当に一緒だから」と言ってくださった多くの皆様のおかげで、どれほど救われた気持ちになったかわかりません。本当にありがとうございました。
それに、単純に戦力構想だけという状況であの選手がシーズン中にトレードに出されたなら、おいらはあそこまで怒ることはしていません。それは今まであたしがマリーンズにどうやって向き合ってきたか、2年以上続けてご覧頂いている皆様なら先刻ご承知のはず。
あたしはあのトレードが正解だったという方々とは、仲良くはなれませんね。申し訳ありませんが。いや、そう思うなら思っていただいて構いません。俺にそれを強要するな。
正直、それを強要されたことで、シーズンへの気持ちが折られたのも否定は出来ません。
ただ、たとえどうであれ気持ちを折ってしまったのは自分の責任です。
折ってしまったからには、シーズン中はマリーンズの試合には触れるべきではない。
その思いで、今日まで試合のことは1ヶ月に渡って触れてくることはありませんでした。
観戦仲間がいる外野にも顔を出すのも控え続けました。
それも一つの責任であると、私は考えたからです。
思えば今年。
ロッテ浦和球場で巨大地震に遭遇し、マリーンズファン4名を連れて、お互いに帰る方角がバラバラな状態で、どうやって無事に帰宅させたらよいものか。
顔では笑いながらバカ話をして気持ちを高ぶらせていたけれど、その実そうでもしていないと、もしあの地震以上に大きな余震に見舞われて、脇の高速道路が倒壊してきたら。或いは周囲の建物が倒壊してきたら。
そんな道を選んで歩きとおす決断を下した、俺の責任はどうなる。
「マリーンズファン同士で死ねればそれはそれで本望」なんて言い合ったけれど、そうじゃねえと思うんだよな、やっぱり(・・;)
死なせちゃいけねえ。生きなきゃいけねえ。
彼らを連れて歩くおいらは、彼らの命も背負っている。
三郷からの帰り道、送ってくれた知人の車の中で飲んだお茶の温かさは、一生忘れることはありません。
あの日、真の意味での「人の温かさ」を知ったと思います。
あの日。
1ヶ月遅れとはいえ、無事にプロ野球が、周囲が液状化現象に見舞われて大きな被害が出たマリンに帰ってくるとは、おそらく想像もできなかったに違いない。
関東地方もたびたび大きな余震に襲われ、試合が中断することもしばしば。
その中で、プロ野球が、地元千葉に存在するという意義。
プロ野球が行われるたびに、いつもの観戦仲間、ご近所さんと再開できる安堵感。
溢れる笑顔。
それもまた、おいらの中では野球観戦の醍醐味の一つ。
おいらはもちろん、野球も見に来ている。
野球に関わる人たちの笑顔も見に来ている。
キミが売るジュース。
あなたが注いでくれるビール。
そこで交わされる、なんていうことはない世間話。
そこでキラリ光る笑顔を、おいらは見に来ている。
スリッパでぶっ叩く頭、どっと沸く周囲。
そんな笑顔は…観に行こうと思って見られるもんじゃございません(^^;)
御陰様で今年も、いろんな方々とお知り合いになることが出来ました。
これまで以上に顔が大きく広がったと思っております。
それも良し悪しっちゃあ良し悪しだけど(^^;)
来シーズン、球場にはどんな笑顔が溢れているだろうか。
来シーズン、球場にはどんな出会いが待っているだろうか。
来シーズン、球場ではどんなネタにありつけるだろうか。
これらを期待しながら、2011年のマリーンズ筆納めとしたいと存じます。
あ、そうそう。
昨日の最終戦後、スタンドでプロポーズまで持って行った方。
おめでとうございます。
未来に更なる幸せがあらんことを、心からお祈りいたしております。
今年も当ブログにお付き合いいただきまして、ありがとうございました。
なお、更新はこの後も続きますよ(^^;)
昨年の今頃、マリン内野で2人酒でも…
とやり取りさせて貰ったような
今年は6年ぶりにマリンに行きませんでした
春先と秋口に計画はあったのですが、 春先は震災の影響、 秋口はもう心が折れてしまっていたから?多分
ただもう今年のゴタゴタにも免疫ついてる自分がいる
小坂の時とか、一昨年のトラブルもあったから
それでも また来年
マリンには足を運びたいと
自分はあの場所が本当に好きなので
その節はご一緒出来たら幸いです
免疫はついていたはずなんですが、あのトレードだけはどうにも承服できませんでした。なにが今こそみんなで「和」の力なのかと。
来季に関しては、どうやら組閣は今季がそのままスライドしそうな気配で、そうなると道未だ暗雲の中といった感じだと思います。正直期待は持てません。
持てませんが、あんなバカな事をシーズン中にしてくれなければそれでいいと思います。
今年もお世話になりました。
毎度の御愛読まことにありがとうございますm(_ _)m
宮崎にお住まいですと、野球自体に触れる機会が本当に少ないですから、フェニックスリーグのプレーは新鮮な体験でしょうね。
私は千葉におりますのでシーズン中は野球がありますが、常に「隣に野球がある喜び」を忘れることなく過ごしたいと思っております。
小坂コーチの現役時代を知るものとしては、ベンチを見ると、「あ、しっかり若手を指導してる…(・・;)」という思いに駆られてしまうのはなぜなのでしょうか(笑)。
でもその後姿はもう立派な指導者。小坂に教えてもらえる楽天の2軍選手は、ある意味本当に羨ましいと思います。