小馬太郎兵衛@タコのイカ踊りぃっ!!

ブログの老後をユラユラ楽しむ悦楽ブログって言ったけどさ、もう一発くらい狙ってもいいのかな。やってもいいかな?

親父の闘病日記 その1

2018-07-10 01:19:10 | 親父の闘病日記
あらかじめ丁重にお断りしておきますが、このエントリ、このカテゴリで書く内容に関しては、ほぼほぼもう個人的なことばかりを羅列しております(元来それがブログなんで)。お好きでないお客様も大勢おられましょうから、どうせなら別の楽しいエントリをご覧になってつかあさい。

ほぼ時系列的な日記形式でつらつらと書き込みます。

7月1日。
早番で、たまたま1時間遅れの13時から休憩に入り、スマホでフライトレーダー24あたりで遊んでいたところに、突然のおかんからの着信。
要約すると、「結論から言って、今東邦大佐倉病院の救命救急室にいる。午前10時ころ、庭先で害虫駆除をしようと脚立とハサミを持ち出して作業をしていたところ、バランスを崩して、アスファルトの上に転倒。頭を強く打っており、救急車で東邦大佐倉病院に運ばれた。自力で救急車のストレッチャーに乗った。会話はできるし意識もある。」と。
早番で4時には仕事が上がるので、今日は何を置いても4時ぴったりでタイムカードを切らせてもらうぞと周囲にプレッシャーをかけつつ、意識があること、自発でしゃべることが出系ること、手足の動きにマヒが出ていないかなどを確かめ、意識があることにとりあえず安堵しつつ、2時からの2時間で仕事を全て終わらせる段取りを一瞬で考える。
と同時に、稲毛海岸の邸宅で暇をしているであろう嫁さんにも一報を入れ、夕方に東邦大佐倉病院で落ち合うことを約して仕事に戻る。案の定、バックからはグリーンチャンネルの競馬中継の実況音声が聞こえてきたw
4時。普段は競艇でいうタッチスタートなんてできやしないけれども、今日ばかりは話が別。
ひとまず東邦大佐倉病院が最寄りの京成ユーカリが丘駅で待ち合わせることにした。

京成津田沼経由でユーカリが丘駅に着いて、ベンチで待っていた嫁さんと合流できたのはいいものの、なんとまあここユーカリが丘は、住宅街ばかりのさびれた南口ならともかく、立派なホテルのある駅前ロータリーのタクシープールにも客待ちタクシーが1台もいないのだ。どこで何をしている、志〇タクシー!!
6~7分待っても来そうにないので、ちょうどよくやってきたうすい行き普通列車でうすいまで移動。ここならいくら何でもタクシーは待っているのは経験済みである。
うすい駅からタクシー乗車。1000円かからず910円だった由。
通用口でおかんと待ち合わせ。
とりあえず今はICUにいるので、マスクと手洗いの徹底を告げられ、4階にあるICUへ。
カーテンを開けるとすっとぼけたオヤジの顔の目が開いており、発語もしっかりできているようでまずは一安心。
見たところ、目立ったマヒなどは見られていない様子。顔の左半分が腫脹になっているのは、おそらくそのあたりでしこたま地面にうちつけてしまったのだろう。
発語はできるが、会話自体は、頭を打った影響で鈍痛が残っているようで、かなり辛そうである。親父はその頭の傷みを「熱が出てきた」と勘違いしているようではあるが、止まってきている傾向があるとはいえ中からの出血もあり、事態は一筋縄ではいかなそうな気配である。
おそらく頭痛や、それに伴う嘔吐などもこの先出てくることだろう。出ないのであればそれに越したことはないけれど、打ちどころが悪い以上、出たなら出たと覚悟するほかない。

ひとまずオヤジの手をぎゅっと握りしめ、小一時間の話で切り上げ。
帰りは勝田台に寄り、おかんと3人で夕食をとることにした。

7月4日。
休みなのでとりあえずオヤジの様子を見に行く。
東邦大佐倉病院は、日曜日以外は病院から送迎バスが出ており、お見舞いに行くときは便利。
2日にiCUを出てSCUに移っていたのはおかんに聞いていたので、ナースステーションにオヤジの病室を確認しに行くと、もう一角にナースが数人詰められる場所がある部屋に移っており、一般病棟ではなくてそれよりも上のクラスの病室にまだいるということになる。
ところが、事故当日のオヤジの表情とは違って、つらそうな表情である。
ナースさんに聞いたところでは、前夜間帯から嘔吐を繰り返していて、固形の食事を今日一日全く取れていないとのこと。

ああ、とうとう来るべきものが来てしまったか…。

こうした症状が、ある程度ナースさんの手を離れた一般病棟に移った後や、退院した2~3週間後に出てくることもあるから気を付けて吐いたのだが、予想以上に早く来た感じが見て取れる。
目がうつろで嫌悪感ありあり。トイレ移動も最初はナースさん付き添いの独歩だと聞いていたのに、この嘔吐のために車いすになってしまった。
気持ちが悪く、移動もままならないオヤジ、移乗だけれもそれなりの手間が。
嘔吐ということは頭痛もあるようで、とにかく気持ち悪いということで、あまり話すこともできないようだ。
今日は20分ほどいたところで撤収しよう。

帰りのバスの時間を間違えて、ちょうど四街道駅行きの無料バスがあるというので、四街道から快速がうまくあれば乗り換えなしで稲毛まででられるとおもったのだが、タッチの差で行っちゃった(´・ω・`)
仕方ないので、これも折よく止まっていた佐倉市コミュニティバス畔田、下志津ルートの、18時34分発臼井駅行きが止まっていたので、ためしに乗ってみることにする。
うん。終点まで俺様確定w

7月7日。
折よく休みだったことあり、おかんと連絡を取り合って、夕方前に病院に行くことに。
今日は4日の嘔吐の状況と比べると表情も軽快さが表れており、自分で車いすを押して行って口腔ケアを行っていた。
寝転んで新聞を所望する。頭が痛いなら新聞も読めないはずで、嫌悪感、疼痛感は少しは緩和されているのかな…といったところ。

ところが。
彼の言動不一致は今に始まったことではないので、こちらもすっとぼけで通していた部分があるのだが、「おい、俺はどうしてこの病院にいるんだ。ここはなんて病院なんだ」「俺はいつまでこの病院にいなきゃいけないんだ」などという発言が見られた。
頭の痛みが取れて家に帰る運動ができるようになるまで…とは言ってはみたものの、昨日まであった嫌悪感は覚えていても、事故当時の状況は全く覚えていないというのである。
それ自体は、事故発生当時から「なんで脚立から落ちたのかがわからない」と言っており、急性期の混乱の一連の出来事なのかとも思うのだけれども、想像するのはいやなのだが、もしこれが、始まってはいけないものが始まっていたとするならば…。

まあまあ。
頭の痛みも取れて嫌悪感も収まり、9日以降になれば、頭部MRIなどいろんな検査をしてくれることになっており、そこで改めてわかることもあるのかもしれない。
それをいまさらどうこう考えてみても…ね。

まずは。まずは1週間。
先の1週間はどうなるか。
できることなら。できることならば、よくなっていますように。


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