多少旧聞の記事で申し訳なし。
Yahoo!ニュース - 中日新聞 - 路面電車再生の理解を広げよう 岐阜「よくする会」が会合
その前段の動きとして、岐阜県のレール撤去の動きがある。
Yahoo!ニュース - 毎日新聞 - 岐阜の路面電車廃線:名鉄の3路線、下旬にもレール撤去
参考サイト;路面電車エンジェル基金
路面電車エンジェル基金ブログ
岐阜地区新鉄道設立準備室
岐阜に関しては、おいらは全くのよそ者だし、地域社会の問題に、他所様が首をつっこむのはおこがましいことこの上ないとは思うのだが、全く縁もゆかりもない土地ではなく、うちのオヤジの実家が岐阜県の穂積(今のみずほ市)で、長良川を挟んだお隣同士、岐阜も遊んだことがある土地なだけに、よそ者ながらちょいとクビをつっこませてもらおう。
まずはおいらの見解から。
あまりにも遅きに失した施策だと思いますが。
もともと岐阜の路面電車の存廃論議など、なにもこの2、3年から始まった話ではなく、そのはるか昔から議論されていたことである。古くは1967年には岐阜市が路面電車廃止決議が可決されていたほど、岐阜という土地は路面電車には冷たかった。1988年に長良線徹明町~長良北町間が廃止された時などは、「ぎふ・中部未来博開催の際に交通の邪魔になる」という理由で、沿線には長良川の鵜飼いや金華山など、名を馳せる観光資源へ接続する鉄路であったにもかかわらず、あっさりとめくってしまったのである。
なにも路面電車に冷たかったのは岐阜市だけではなく、岐阜県警も路面電車の「安全地帯付きの」電停を設置するのでさえ消極的で、利用者は一部の電停以外から乗り降りする時は、たえず車の動向に気をつけながら車道を渡らねばならず、乗り降りには常に危険が伴うものだった。ましてや他都市では当たり前になっている「軌道敷内自動車通行禁止」でさえも消極的(軌道敷内通行可という場所は、都電の王子~飛鳥山付近や小台付近に残っている)…という状況では、路面電車に追い風を送るのはもはや不可能だった。ましてや冷房もついていない白熱灯のおんぼろ電車が軋みながら走る姿は、その筋のマニアには垂涎の的ではあったけれど、一般客からすればおんぼろのそれでしかない。
そうした歴史的背景がありながら、今頃になって、しかも廃止された線路を復活させようという動きは、申し訳ないがなにを今更と言わざるを得ない。
根回しなら21世紀に入る前から出来たはずで、名鉄も止めたがっていたところへ規制緩和で書類一つで営業を止めることが出来るようになったので、名鉄としてもしめしめと思っていたに違いない。ならば、なぜそのタイミングで根回しをしなかったのか。
いやいやながら岐阜市が社会実験を行った時にでも、チャンスはいくらでもあったはずで、廃止を突きつけられてから騒いでも後の祭りなのである。もっとも、廃止は当時の岐阜市長が独断で決定したという経緯もあり、これがもとで周辺地域との合併問題にも水を差された格好になったので、一概に存続派をどうのこうのというのは酷ではあるのだが。
レールファンはもとより、競馬や競輪のファン、あるいはプロ野球ファンだって知っている。
めくられてから騒いだって、もう二度と元には戻らないということを。
路面電車がなくなり、道幅が広くなった岐阜市内。
車が通りやすくなって、さぞにぎわいが取り戻せたか…と思ったらさにあらず、岐阜駅前のパルコまで潰れる有様で、より空洞化が進んでいる。
あまりにもの長きにわたり、岐阜市内の総合交通体系が、官・民ともに考えられて来なかった結果が、空洞化を招いたのではなかろうか。
まあ、こんなことを今頃になって言っても、「何を今更」ということになるんですがね…。
Yahoo!ニュース - 中日新聞 - 路面電車再生の理解を広げよう 岐阜「よくする会」が会合
【岐阜県】岐阜市の「尻毛、又丸周辺(旧揖斐線)の公共交通をよくする会」の会合が5日、同市又丸で開かれ、展示会などで「路面電車再生」への理解を求める活動を続けることで意見がまとまった。
昨年3月で廃線となった旧名鉄3線のレールは、県が今月下旬から撤去工事を始める。一方で、このレールを利用して電車を走らせようと、商業施設運営会社サン・ストラッセ(関市)の広瀬武男社長が中部運輸局に軌道事業特許申請書を提出し、審査中。
集まった会員約20人からは「行政との交渉がどん詰まりになってしまう。まずは県などの見解をしっかりと聞こう」と、レール撤去に強硬な反対姿勢を示すことにためらいを見せる意見が出された。
「この会のような活動も一部の声で片付けられてしまう。地元自治会や婦人会などと連名で要望を出すなど、既存の地域、団体から声が出るよう取り組むしかない」との声もあり、市内のショッピングセンターなどでの展示会開催を検討することになった。
その前段の動きとして、岐阜県のレール撤去の動きがある。
Yahoo!ニュース - 毎日新聞 - 岐阜の路面電車廃線:名鉄の3路線、下旬にもレール撤去
岐阜市周辺の名古屋鉄道(本社・名古屋市)の路面電車3路線の廃止(昨年3月)を受け、県は31日、8月下旬をめどに3路線のレール撤去と周辺道路の舗装工事に着手すると発表した。レールや枕木の撤去工事は名鉄、軌道周辺道路の舗装工事は県が行う。県の負担金は約8億円。09年3月までに完了する予定。
県道路維持課によると、工事の対象区域は軌道が国道や県道内にある約9キロ。名鉄がレールや枕木を撤去した後、県が路盤や路面の舗装工事を行う。岐阜市中心部の主要交差点から順次、工事を進める。
3路線を巡っては、新たな交通事業を目指す市民団体「岐阜地区新鉄道設立準備室」(事務局・岐阜市)が今年5月、軌道事業の認可を国土交通省中部運輸局に申請し、現在審査中。認可には名鉄が所有するレールなどの資産譲渡が前提となるが、県は「レールの凍結などによる事故の危険性が高い」として名鉄と協議、レールの撤去開始を決めた。【秋山信一】
8月1日朝刊
参考サイト;路面電車エンジェル基金
路面電車エンジェル基金ブログ
岐阜地区新鉄道設立準備室
岐阜に関しては、おいらは全くのよそ者だし、地域社会の問題に、他所様が首をつっこむのはおこがましいことこの上ないとは思うのだが、全く縁もゆかりもない土地ではなく、うちのオヤジの実家が岐阜県の穂積(今のみずほ市)で、長良川を挟んだお隣同士、岐阜も遊んだことがある土地なだけに、よそ者ながらちょいとクビをつっこませてもらおう。
まずはおいらの見解から。
あまりにも遅きに失した施策だと思いますが。
もともと岐阜の路面電車の存廃論議など、なにもこの2、3年から始まった話ではなく、そのはるか昔から議論されていたことである。古くは1967年には岐阜市が路面電車廃止決議が可決されていたほど、岐阜という土地は路面電車には冷たかった。1988年に長良線徹明町~長良北町間が廃止された時などは、「ぎふ・中部未来博開催の際に交通の邪魔になる」という理由で、沿線には長良川の鵜飼いや金華山など、名を馳せる観光資源へ接続する鉄路であったにもかかわらず、あっさりとめくってしまったのである。
なにも路面電車に冷たかったのは岐阜市だけではなく、岐阜県警も路面電車の「安全地帯付きの」電停を設置するのでさえ消極的で、利用者は一部の電停以外から乗り降りする時は、たえず車の動向に気をつけながら車道を渡らねばならず、乗り降りには常に危険が伴うものだった。ましてや他都市では当たり前になっている「軌道敷内自動車通行禁止」でさえも消極的(軌道敷内通行可という場所は、都電の王子~飛鳥山付近や小台付近に残っている)…という状況では、路面電車に追い風を送るのはもはや不可能だった。ましてや冷房もついていない白熱灯のおんぼろ電車が軋みながら走る姿は、その筋のマニアには垂涎の的ではあったけれど、一般客からすればおんぼろのそれでしかない。
そうした歴史的背景がありながら、今頃になって、しかも廃止された線路を復活させようという動きは、申し訳ないがなにを今更と言わざるを得ない。
根回しなら21世紀に入る前から出来たはずで、名鉄も止めたがっていたところへ規制緩和で書類一つで営業を止めることが出来るようになったので、名鉄としてもしめしめと思っていたに違いない。ならば、なぜそのタイミングで根回しをしなかったのか。
いやいやながら岐阜市が社会実験を行った時にでも、チャンスはいくらでもあったはずで、廃止を突きつけられてから騒いでも後の祭りなのである。もっとも、廃止は当時の岐阜市長が独断で決定したという経緯もあり、これがもとで周辺地域との合併問題にも水を差された格好になったので、一概に存続派をどうのこうのというのは酷ではあるのだが。
レールファンはもとより、競馬や競輪のファン、あるいはプロ野球ファンだって知っている。
めくられてから騒いだって、もう二度と元には戻らないということを。
路面電車がなくなり、道幅が広くなった岐阜市内。
車が通りやすくなって、さぞにぎわいが取り戻せたか…と思ったらさにあらず、岐阜駅前のパルコまで潰れる有様で、より空洞化が進んでいる。
あまりにもの長きにわたり、岐阜市内の総合交通体系が、官・民ともに考えられて来なかった結果が、空洞化を招いたのではなかろうか。
まあ、こんなことを今頃になって言っても、「何を今更」ということになるんですがね…。
あんな事(柳ヶ瀬で飲み食い)したら、美川憲一さんだって怒るのも当然!
これじゃあ「柳ヶ瀬ブルーズ」になるわな。
あの金は絶対、柳ヶ瀬と金津園に相当ばらまかれてますな。
あと、どうせなら樽見鉄道の支援にも…。