「過ぎにし恋」 と題して、恋に関連した曲を集めてのコンサートでした。
リコーダーと歌とチェンバロとの共演というのは、どういう感じなのかなと思いながら夜の部を聴きにいきました。
チェンバロと歌、チェンバロとリコーダーというように曲を分けて演奏されるのかなと、漠然と思っていましたが、
「共演」というより「協演」、3者がともに奏し、特に明日香先生のリコーダーの音と青木さんの声が同じ音になったとき、
別の音とは思えないくらい溶け合っていることに感動しました。
昨年12月2日にこのブログで閑話休題(いろいろ)のカテゴリーとして書いた、
「教会での奉仕というか楽しみ(リコーダー演奏)」
http://blog.goo.ne.jp/kerc2006/e/a905059af642e6554b70225881a1a943
の中で、『12~3世紀頃の聖書や讃美歌の古い写本に、羊飼いや天使、吟遊詩人たちがリコーダーを
吹いている様子が描かれていたり、教会でショーム(現在のオーボエの祖先)や弦楽器と共に演奏されている
リコーダーの彫刻があったりするそうで、これらの資料からは、リコーダーが歌の伴奏や声の代わりに
使われていたことがわかるようです。』 という文章を書きましたが、まさにそういう情景が目の前に現れたのでした。
★ カウンターテナー
私がカウンターテナーと言われる人の声を初めて聴いたのは、30年くらい前、イギリスのキングズシンガーズ
という男性コーラスグループのマドリガル、マドリガーレのレコードでした。当時6人のメンバーのうち2人が
カウンターテナーでした。自分も合唱をやっていたので、キングズシンガーズのLPを何枚も買って聴いたのを
覚えています。
その次は、数年前にバッハのマタイ受難曲が新宿オペラシティーで演奏されたときに聴いた、
外国の歌手の方でした。歌手は全部外国の方だったと思います。
マタイのときの歌手の方は目をつぶってしまうとほんとうに女性アルトの声と聞き分けられないくらいでした。
それに比べるとキングズシンガーズのお2人は、ちょっと特殊な声? 例えばボーイソプラノがそのまま
年を経たような感じで(ほんとにそんな声になるのかわかりませんが (^^ゞ )、女性の声という感じでは
ありませんでした。
夕べお聞きした青木さんのお声は、間近で聴いたこともあってか、マタイのときの歌手の方よりもずっと若々しく
芯のある声という感じがしました。年齢がお若いのですから若々しいのはあたりまえかもしれませんが、
比較的若い女性の声?っていうとややこしくなるでしょうか。これから年齢を重ねていかれると、今以上に
すばらしい歌手になられるんでしょうね。
★ チェンバロ
昨年10月のモーリス・シュテーガーのリコーダーリサイタルでの、北谷さんのチェンバロを演奏しながらの
足踏み(太鼓の音の代わり)に衝撃を受けて、今日の演奏も楽しみにしていました。
使用されたチェンバロの説明をしていただきましたが、ちゃんと覚えられず (^_^; よく使われるフレンチよりも
イタリア寄り(コマが低くて・・・ )の楽器であるというお話でした。
普通すっと消えていく感じが強いチェンバロの響きとは違って、間近で聴いたことも理由のひとつかも
しれませんが、楽器の大きさは小さいのに、低音のビーン~という音が、音の厚み、力強さも感じさせる楽器、
演奏でした。
わたくし的には、北谷さんも好きだと言われたSarabande の入ったルイ・クープランの組曲がよかったです。
★ リコーダー F.クープラン 「恋の夜うぐいす」
これも30年以上前に、ブリュッヘンだかデーヴィット・マンローだか、リンデだわかりませんが、
「恋のうぐいす」という紹介で、FMで聴きました。
当時、カセットテープに録音してよく聴いていましたので、懐かしく聴かせていただきました。
明日香先生の演奏は、暖かい音で、抑制の効いた落ち着いた演奏のように思いました。
私が覚えているFMの演奏では、もっとはっきりした音で、情熱的な感じの演奏だったように思いますが、
「夜」うぐいすなら、夜のしっとりした雰囲気のある明日香先生の演奏の方があっているのかな。
ソプラノは、自分の演奏では耳に優しくない気がして、あまり好きな楽器ではないのですが、
明日香先生のソプラノの音を聴くと、あんな風に吹けるなら、ソプラノもいいなぁと思えるのでした。
Oo。Oo。Oo。Oo。Oo。Oo。Oo。Oo。Oo。Oo。Oo。Oo。Oo。Oo。Oo。Oo。Oo。
「過ぎにし恋」 これは万葉集の作者不詳の次の歌からのタイトルだそうです。
うらぶれて離れにし袖をまた纏かば過ぎにし恋い乱れ来むかも
( うらぶれて かれにしそでをまたまかば すぎにしこひいみだれこむかも と読みます )
この歌の解釈としては2つくらい説があるようです。
その一方の説では、「空しいな。別れてしまったあの人ともう一度共寝をするならば、あの熱狂的な恋が
再び味わえるのだろうか」 というような歌だそうです。
この解説については、次のページにありますので、興味のある方はどうぞ。
http://yeblog.cocolog-nifty.com/nouse/2008/03/post_0604.html
P.S.
そうそう、夕べのコンサートで、昨年、一昨年の門下生発表会でチェンバロを弾いていただいたNさんと、
コントラバスを吹いていただいたMさんにお会いしました。
挨拶しかできませんでしたが、お元気そうで何より。またお会いできるといいなと思います。
(tomo)
リコーダーと歌とチェンバロとの共演というのは、どういう感じなのかなと思いながら夜の部を聴きにいきました。
チェンバロと歌、チェンバロとリコーダーというように曲を分けて演奏されるのかなと、漠然と思っていましたが、
「共演」というより「協演」、3者がともに奏し、特に明日香先生のリコーダーの音と青木さんの声が同じ音になったとき、
別の音とは思えないくらい溶け合っていることに感動しました。
昨年12月2日にこのブログで閑話休題(いろいろ)のカテゴリーとして書いた、
「教会での奉仕というか楽しみ(リコーダー演奏)」
http://blog.goo.ne.jp/kerc2006/e/a905059af642e6554b70225881a1a943
の中で、『12~3世紀頃の聖書や讃美歌の古い写本に、羊飼いや天使、吟遊詩人たちがリコーダーを
吹いている様子が描かれていたり、教会でショーム(現在のオーボエの祖先)や弦楽器と共に演奏されている
リコーダーの彫刻があったりするそうで、これらの資料からは、リコーダーが歌の伴奏や声の代わりに
使われていたことがわかるようです。』 という文章を書きましたが、まさにそういう情景が目の前に現れたのでした。
★ カウンターテナー
私がカウンターテナーと言われる人の声を初めて聴いたのは、30年くらい前、イギリスのキングズシンガーズ
という男性コーラスグループのマドリガル、マドリガーレのレコードでした。当時6人のメンバーのうち2人が
カウンターテナーでした。自分も合唱をやっていたので、キングズシンガーズのLPを何枚も買って聴いたのを
覚えています。
その次は、数年前にバッハのマタイ受難曲が新宿オペラシティーで演奏されたときに聴いた、
外国の歌手の方でした。歌手は全部外国の方だったと思います。
マタイのときの歌手の方は目をつぶってしまうとほんとうに女性アルトの声と聞き分けられないくらいでした。
それに比べるとキングズシンガーズのお2人は、ちょっと特殊な声? 例えばボーイソプラノがそのまま
年を経たような感じで(ほんとにそんな声になるのかわかりませんが (^^ゞ )、女性の声という感じでは
ありませんでした。
夕べお聞きした青木さんのお声は、間近で聴いたこともあってか、マタイのときの歌手の方よりもずっと若々しく
芯のある声という感じがしました。年齢がお若いのですから若々しいのはあたりまえかもしれませんが、
比較的若い女性の声?っていうとややこしくなるでしょうか。これから年齢を重ねていかれると、今以上に
すばらしい歌手になられるんでしょうね。
★ チェンバロ
昨年10月のモーリス・シュテーガーのリコーダーリサイタルでの、北谷さんのチェンバロを演奏しながらの
足踏み(太鼓の音の代わり)に衝撃を受けて、今日の演奏も楽しみにしていました。
使用されたチェンバロの説明をしていただきましたが、ちゃんと覚えられず (^_^; よく使われるフレンチよりも
イタリア寄り(コマが低くて・・・ )の楽器であるというお話でした。
普通すっと消えていく感じが強いチェンバロの響きとは違って、間近で聴いたことも理由のひとつかも
しれませんが、楽器の大きさは小さいのに、低音のビーン~という音が、音の厚み、力強さも感じさせる楽器、
演奏でした。
わたくし的には、北谷さんも好きだと言われたSarabande の入ったルイ・クープランの組曲がよかったです。
★ リコーダー F.クープラン 「恋の夜うぐいす」
これも30年以上前に、ブリュッヘンだかデーヴィット・マンローだか、リンデだわかりませんが、
「恋のうぐいす」という紹介で、FMで聴きました。
当時、カセットテープに録音してよく聴いていましたので、懐かしく聴かせていただきました。
明日香先生の演奏は、暖かい音で、抑制の効いた落ち着いた演奏のように思いました。
私が覚えているFMの演奏では、もっとはっきりした音で、情熱的な感じの演奏だったように思いますが、
「夜」うぐいすなら、夜のしっとりした雰囲気のある明日香先生の演奏の方があっているのかな。
ソプラノは、自分の演奏では耳に優しくない気がして、あまり好きな楽器ではないのですが、
明日香先生のソプラノの音を聴くと、あんな風に吹けるなら、ソプラノもいいなぁと思えるのでした。
Oo。Oo。Oo。Oo。Oo。Oo。Oo。Oo。Oo。Oo。Oo。Oo。Oo。Oo。Oo。Oo。Oo。
「過ぎにし恋」 これは万葉集の作者不詳の次の歌からのタイトルだそうです。
うらぶれて離れにし袖をまた纏かば過ぎにし恋い乱れ来むかも
( うらぶれて かれにしそでをまたまかば すぎにしこひいみだれこむかも と読みます )
この歌の解釈としては2つくらい説があるようです。
その一方の説では、「空しいな。別れてしまったあの人ともう一度共寝をするならば、あの熱狂的な恋が
再び味わえるのだろうか」 というような歌だそうです。
この解説については、次のページにありますので、興味のある方はどうぞ。
http://yeblog.cocolog-nifty.com/nouse/2008/03/post_0604.html
P.S.
そうそう、夕べのコンサートで、昨年、一昨年の門下生発表会でチェンバロを弾いていただいたNさんと、
コントラバスを吹いていただいたMさんにお会いしました。
挨拶しかできませんでしたが、お元気そうで何より。またお会いできるといいなと思います。
(tomo)