10月に入り、いよいよ秋らしくなってきました。
編集長が戻ってきたのかどうかわからないので、とりあえず投稿します。
去年の10月・11月の記事はとても少なく、何を書いていいかわかりませんが・・・
2周年に「22222」という記念すべき番号をゲットした方、心からお祝い申し上げます。何も出ませんが・・・
後は編集長の土産話で盛り上がりましょう!
編集長が戻ってきたのかどうかわからないので、とりあえず投稿します。
去年の10月・11月の記事はとても少なく、何を書いていいかわかりませんが・・・
2周年に「22222」という記念すべき番号をゲットした方、心からお祝い申し上げます。何も出ませんが・・・
後は編集長の土産話で盛り上がりましょう!
左はサダオさん宅 ツネ婆さんが コメチク(精米)してくれた ソバも挽いてソバ殻もらって 枕にした
右には写ってないが 木口屋のご先祖の墓があります(木口屋家・加藤家) 初代仮称祖之助おじさんも眠っています
手前は カライモの植付けを待つハルオさんちの畑(昨年3月の写真)
それにしても電柱が やけに目につくな 茶畑の防霜ファンかな
共同風呂がありまして、牛を計る小屋があって。
牛を繋ぐ杭がありました。この杭で陣取りをして
遊びました。
自転車乗りの練習もしました。
子供の頃は かくれんぼして遊んだ
エイノスケさん ヨシオさん セイジさん ツネモリさん トキモリさん キモリさん ヒロモリさん ツネジさん アイノスケさん エイオウさん トヨスケさん マサヨシさん トモジさん 皆さん元気で働き者でした
ナカンモイのキスケさん シロウスケさん クニモリさん カジロウさん サダオさん サンドマッのエイゾウさん クニスケさん すごくパワーがあった
写真だけがうつろう日々。
そんな記事にもコメントをありがたく頂戴し、かたじけなく存じ上げ奉りそうろう。
いよいよ佳境に入るでごわす。
皆さんが共同風呂に入った思い出の地
「カンソーバ」
いろいろな思い出を書いていただければ幸いです。
手抜きみたいですいません。
キグッチャの経済を一手に支えていた時代もあった
私の姉は「農協が火事になり、『商品を持って行け』と言われ、手に持てるだけ持って帰った」という夢を見たそうです
ノーキョーのない写真はとても寂しい
ガラスを割ったことより 黙って逃げたことに対して
あの後、どういうふうに言い訳したのか憶えていません。
芋ほり前にはここにはダンカマッが積み上げられて
いろいろ積み上げて基地を作ったものでした
かくれんぼをしたこともあります。
昔は川が農協側にあって、これを飛び越すのが
怖かったような記憶があります。
キグッヂャ唯一の店舗 衣料・生鮮もの以外は 一通りあったがが 品揃えは極めて僅少
預金の出し入れなど 非常に利便性が高かった 公衆電話も最初ここに導入された(当時は確か100番の交換手に申し出をして繋いでもらってたような気がするが・・)
http://makurazaki.net/navi/
(まくなび)
なかなかの秀作ぞろいです。
そろそろカムバックしてほしいところ
薬剤散布の時期には 正面の給水場に 500Lタンクを積んだ軽トラックが列をつくるよ
でも、南国の風情がある、いい写真です。
まだ見てない人がいたら、ぜひ去年3月の記事をみてほしいですね。
クニオさん タメオさん トモエさん マサエさんが春作物の談義をしているところに カソジがウシモに荷車引かせて通りかかる光景が想い浮かびます
トトボイの馬頭観音付近からキグッヂャ乾燥場までの道程を 16コマ出しています
タイトル画面に 再度使用してほしいですね
次は オコッ線 サンドマッ線 ドッコッ→マオ線 マッヂャマ線 カヅラ線 マブシ線もお願いしたいですね
その次は 各戸の木戸口からの写真もいいと思いますが・・・
3000に早く到達するよう アクセスしよう
総務省は「別に100を超えても構わない」と言ってます。
100を目指しましょう。
鹿籠窯ブログと合わせた「連結好感度比率」も上げましょう。
サンマがうまそうだな!