木口屋 むらのたより

鹿児島県枕崎市美山町(木口屋集落)からふるさとのかおりを届けます。

戦国島津氏

2008-01-20 11:19:31 | 歴史・地理
戦国島津氏のイラスト 平成12年1月に枕崎市(商工観光課)はじめ南薩地域の市町で発行した「南薩見聞録」の中に、木口屋隆明さんがイラストを描いた戦国島津氏の家系図があります。ちなみに島津忠良は「日新公」と書いて「じっしんこう」と読みます。キグチヤの家系図も早く整理したいものです。

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65 コメント

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Unknown (島津貴久)
2008-01-20 15:14:31

おお!
我が治世から450年後にはこのように紹介されているのじゃな。
ふむ。
木口屋隆明とやら。褒めてとらす。苦しゅうない。

さらばじゃ!

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Unknown (2号)
2008-01-20 18:32:06
ほー、こんなすばらしいものがあったのですね。
似顔絵もよくできています。

ただ、文章はマウスで範囲指定しないと表示されません。改造よろしく
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キグ始祖(仮称) (祖之助)
2008-01-21 00:46:01
なつかしか 阿多 
私が阿多で暮らしていた1700年頃の島津の殿様は貴久さんより5代下り 20代当主の綱貴さん 江戸の殿様は犬の綱吉さん
間もなく犬事件でやむなく阿多を離れ 今のキグッヂャに来たが当時は未開の山ん中で 隣の金山が金鉱採掘を始めたころじゃった。 たまに金山関係者がキグッヂャにも金鉱石がないか調べに来ちょった。

いま思えばなつかしか  
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Unknown (島津貴久)
2008-01-21 22:26:32

ふむ。
木口屋の民衆は阿多出身であるか。

阿多・田布施・加世田・永吉・伊集院など我が父日新公ゆかりの土地なのじゃ。
我が父日新公は伊作家と言う分家の一つにすぎなかったが、ワシを島津宗家15代目として継がせたのじゃ。

いにしえの道を聞いても唱えへも
わが行いにせずばかひなし
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仮称 (祖之助)
2008-01-22 01:22:09

今から約40年前 今は亡きキグッヂャの大先輩達が、私達3家族の出自を確認するため阿多地区、金峰町役場へ調査にいったが、手ががりはつかめなかったということである。
忘れられた存在になっていたかと思うと残念である。
おそらく犬のトラブルで出て行った我々との関わりを隠していて後世に伝えられなかったのではないか
憎っくき天下の悪法 生類憐みの令 いい加減な法律つくらないでね綱吉さん 

また機会があったら再調査してくいやいな~ 
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u (Unknown)
2008-01-23 00:59:44
いい国造ろうとのスローガンの下 1192年鎌倉株式会社を創業した頼朝社長より南九州の子会社に転勤を命じられ赴任したのが島津忠久さん
1336年鎌倉kkが倒産したので室町kkの傘下に入ったが、これも1367頃より弱体化し 老舗の小会社では社長が解任されたり、ベンチャー企業の進出など混迷が100年余り続いた。
老舗の島津kkもこの頃オーナー一族で覇権争いがあり勝久社長も苦慮していたが、伊作支店長の忠良さんを取締役相談役に起用 その子貴久さんが社長に就任した。貴久さんの子義久社長のときは事業を九州のほぼ全域に展開した。
その後大阪東京の大資本の企業の軋轢を受けたが、堅実経営で業績はよかった。(島津にバカ社長無し) メガ企業徳川kkの衰退時期には篤姫さんを徳川社長夫人にし、西郷係長と大久保係長を派遣し円満に会社清算手続きをし 明治kk設立の立役者となった
今の島津宗家は伊作支店長の忠良さんの流れ  鎌倉時代より今に残る大名家は数少ない(殆どは戦国乱世の時代に衰退消滅) 大したもんだ
 
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入力ミス (訂正)
2008-01-23 01:06:00
室町kkが弱体化した時期は1467年頃でした  
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1467年 (足利義政)
2008-01-23 08:22:33
以後の世むなしい応仁の乱。
(1後の467)
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Unknown (アツ姫の関係者)
2008-01-23 19:23:53
uさんの大変わかりやすい解説ありがとうございます。城山三郎ふうで感じ入りもした。
守護職→守護大名→戦国大名→(江戸時代の)大名→華族→島津興業?
これだけ長期間、同じ場所で名前を維持できたのは珍しいのかと思います。
木口屋の名前も残したいですね。
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U (3大悪妻)
2008-01-26 20:26:18
1、木口屋××子(ウチのウッカタ: 世間ヅラいいが、家では絶大な権力をもって恐怖政治を敷いている。 逆説的にはダンナがホがないという説もある)
2、北条政子(頼朝さんのウッカタ: 夫亡き後 実家北条(平家」)の為に実子まで死に追いやった。 しかし御家人衆をよく束ねたとの評価もある)
3、日野富子(足利政義さんのウッカタ: 賄賂のかたまり 贅の限りを尽くした。これもダンナが遊興に走ってホがなかったのかな。 しかしこの賄賂 幕政の財源に寄与したとの評価もある)

歴史は女が動かす
家は女次第

ホのない無力な男より       

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