「一度きりの大泉の話」2021/4/21
萩尾望都
ことの発端は、竹宮惠子先生が2016年に自伝本を出版され、そこに大泉の時代のことや、萩尾望都先生が登場するらしい・・そこから静かだった萩尾先生の周辺が騒がしくなってしまったとのこと。
(萩尾先生は1973年5月以降、竹宮先生との交流をほとんど絶っている)
この本は結構ショックというか、感想を書くと言っても、竹宮先生の「少年の名はジルベール」も読まなくては、わからないことも多いのかなと思いつつ、とりあえず、そちらは読まずに感じたことだけ書いてみようと思います。
私は小学校~短大頃まで、とにかく少女マンガが好きでよく読んでいました。萩尾先生の作品は子どもの頃は、あまり意味がわからないながらも惹かれるものがあり、大好きで、大人になって読んでみると、実は奥の深いマンガだったのだなと感動しました。
萩尾先生が1970年~1972年の2年間、練馬区の大泉で竹宮先生と一緒に住んでいたのは初耳でした。そして、のちに竹宮先生のブレインとなる増山法恵さんという存在も全く知りませんでした。私はSFが好きなので、竹宮先生の「地球へ・・・」のファンです。でも「風の木の詩」は少しだけ読んだと思うのですが、当時の少年愛、今でいう「BL」の世界が全くわからず、その後は読んでいなかったと思います。
NHKの「100分で名著」の萩尾望都特集で、二人のことを「元祖BL」と呼んでいたことに、実は私は違和感を感じていました。萩尾先生の作品って「BL」じゃないと思うのですが・・
だから、竹宮先生が当時「盗作したのではないのか」と言っても全く世界感が違うじゃないかと感じました。「トーマの心臓」を初めて読んだときは、キリスト教のお話?オスカーがカッコイイ!とか、そんな感じでした。「ポーの一族」の小鳥の巣にしても、キリアンが素敵!とか、全然、生々しい感じもなく思い出深い作品でした(かなりミーハーですね)。「11月のギムナジウム」は、悲しいお話でしたが、今、手元にないので、また読んでみたいです。
それにしても、「少女漫画革命」とか「大泉サロン」とか「24年組」とか言葉だけが一人歩きしていて、当の本人はあずかり知らないこともあるのだなと痛感しました。さるテレビ局から大泉時代のドラマ化の企画まで持ち込まれたというのだから、それはあまりに酷です。
竹宮先生はなんで今さら自伝本に萩尾先生のことを書いたのか?そしてなぜ萩尾先生に送ったのか?
萩尾先生のマネージャーの城章子氏の言葉が印象的です。「覆水盆に返らず」。