「今日のハチミツ、あしたの私」2019/3/13
寺地はるな
本書を読み始めて10ページぐらいで、これはちょっと読めないかも?と感じてしまった。主人公の身の上は私自身と重なることはあっても、なんでこんな男と同棲しているんだろう?と、私だったら絶対に選ばないタイプの男性と暮らしている主人公に共感できなかったことが理由だ。このまま、しばらくは本棚に寝かせておくか?と思ったところで、普段は絶対やらないこと、それは最後の解説を読むこと..。解説は宮下奈都さん、この方も好きな作家のひとりだ。で、読んでみた...。読んでみてよかった(個人的感想です)。そこから続きを一気に読んだ。
中学時代にいじめを受けていた主人公の碧。「もし、明日人生が終わるとしたら、きっとわたしは、喜ぶ」。
いじめにあっていることを碧の母親は担任から聞いていた。そして母から父へと伝わっていたにも関わらず、どうやら両親は大事とは思っていない様子。一回り下の弟はまだ乳児で、母の関心はもっぱら弟に注がれ、娘のことは眼中になさそう。父にいたっては説教するは、自分の自慢話をするはで最悪だ....それでも碧は不登校にもならず頑張って登校するが、胃痛から始まり、吐き気からの嘔吐。吐くとすっきりするんだと気づき、食事のあとに吐くことが日常となり月経が止まるほど痩せてしまう。両親はなんで気づかないの?ふつう気づくよね?これって自傷行為だよね?心がSOSを出しているのに..すごく悲しくなった...
その後、碧は学校のスケッチ大会で、ひとりで描ける場所を探し、土手で寝転がっているとき小さなこどもを連れた女性に出会う。その女性から蜂蜜の瓶をもらう。「蜂蜜をもうひと匙足せば、たぶんあなたの明日は今日より良くなるから」。これが碧にとって人生の転機となる...
碧は、恋人の安西の故郷で蜂蜜園の手伝いを始める。碧には帰る場所もないし、そこを自分の居場所として歩んでいく..
安西との関係は共依存というものなのか?なかなか理解が難しいが、安西は、碧がどんどん前に進む姿に嫉妬している感じがするし、そもそも同棲していた時も、実は碧が当時の職場に悩みを抱えていたが故に、安心していたのではないか?その碧が着々と自分軸で歩み自立していくことに、自分は置いていかれる焦りとかくやしさとかを感じているのか?でも安西自身もこのままではいけないって思っているんだろうなあ...
P236
「明日世界が終わるとしても、今日巣箱を掃除し、蜜を搾り、花の種を蒔く。それから、今日のごはんはなににしよう、と考える。たとえ、それがなんの意味もなさなくても。明日がなくても、今日は今日だ」。
同感です!意味があるかないかを求めるより、まずは体を動かして、ごはんを食べよう!!
たぶん私も明日世界が終わるとしても、ふだん通りの生活をして、花の種を蒔くかもしれない...