花鳥風月、、2023年からの第二の日記

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

老人の居場所

2023年02月15日 | 日記
coronaの3年間が過ぎてゆきました。
秋葉原には外国人が買い物がてら、観光客が戻ってきましたね。

加工貿易から立ち上がった戦後の町工場の時代に
学生時代を過ごした戦後は遠く。

秋葉原では「日本の漫画」が売れているらしい。
あのあたりは、、、昭和のおわるころは
中国製のナンチャッテブランド時計や
ブランドモドキのバックなどが
ワゴンに積まれていた、、、け。

駅前には、吉野屋?だっけ?
男子ばかり入っている人気の牛丼ぶりが
入り口のガラスにはってあったっけ、、、。

ヨドバシカメラの電気店が毎年グレードアップする製品の
置き場も狭しと、、、商品が並んでいた。

観光客にあふれていた、、、corona感染時代が始まる前。

少しづつ、、戻ってくる海外からの観光客。
大変な、、、、3年間でしたね。

これからも、、、どうなるのか?
油断しないで、coronaは治まったのか?

リバウンドさせないように、、、
3月からは、、、
心機一転少しづつ、、、外出するように心がけようと思う

今日も雪が降って、、、昨日から
       排雪した広い道路が、、、また雪に埋まってゆく。
   
ウクライナンとロシアの戦争が。終わってほしいものですね。
除雪のごう音は頼もしく、終わるまで
    子供のように、、、ワクワクしてみていた。

一冬、、毎日、、雪の煉瓦の城塞を、、筋トレを兼ねて積み上げた、、、老女。

わずかな時間で、、、近代のメカトラックは
   すごい勢いで、固めた雪を吸い上げて

     ダンプの荷台に吹き上げて積んでしまう、、、!

   次の殻のダンプが、入ってくると

  吸い上げた雪を、荷台に積んでゆく、、、

  あれよあれよという間に、、、雪の城塞は、、、消えた。

一冬の老人の,、、働きは数時間もかからないうちに

     あたりの町内の雪山は、、、消えた。

    そして、、明日は又、、大雪だから

   早朝5時から昼までかかって、、、
     角地の我が家の前の生活道路の雪を掻いて

        黙々と、、、雪の城壁をつくってゆく。

   雪は、スコップですくった雪を
      貼り付けてめり込ませてゆくと、、、
       いくらでもめり込んで、雪の城壁モドキとなる。

雪掻きで、、、昼食をつくるスタミナが切れるから

買っておいたパンが、
大雪の日の非常食になる。

メロンパンなどは賞味期限が来ると

レンジで焼いて  
 水分を抜いて、
ピニールに入れて
   ストローで空気を抜いて真空パックにして

     メロンパンラスクにしておく。

2月の、、雪掻きメニューは
   年寄りでも、頑張れば出来るが
     50年という、、、毎年掻き続けた熟練が物言う(^^👊

、食前1日4回 ̄5回 玄関、車庫前、離れ家の玄関、

  小屋根の雪降し、、車庫の雪、、、物置の屋根、、、

プロパン小屋の雪降しと氷割、、、
秋口に、
プロパン小屋の屋根に
「ビニールのゴミ袋のカバーをしておくと
上野屋根からのつららのしずくで、氷の蓋が出来ても
ビニールにはくっつかないので、
老女の手でも、10キロ以上はあるだろう、、、氷塊を

スベリ落とせるから、、、後はスコップで割って、
庭内の雪の城塞にめり込ませれば、完了、
   

せっかく除雪してくれたのに、、、、

毎日雪で ̄~~へとへとなのは
 ミサワホームの屋根が、買った当時から
   本州の温暖な地区の造りであり

     かっこよい小屋根などを
       五寸釘で、、十数本も屋根のトタンの上から

        打ちつけた、上から、パテ塗の
          雨対策だけの屋根だったことが
      北海道の本当の冬の雪のははが立たない。

    同じ時に☝て売りされた
      真向いのミサワホームの屋根は、
        かっこよすぎる長い軒先は
         雪の重さに耐えかねて、、、折れてぶら下がっているし

   瀟洒な、、本州での人気の屋根の形は

       北海道の昭和を乗り越える冬の力は無かった。

       此処一帯のミサワランドの家は

         元の形のまま、、、存続しているのは

      我が家ぐらいだと、、、希少価値の維持力である。

   東側の屋根だけは、命に係わるほどの
     暖気の時の雪の恐ろしさを学習した。

   傾斜の緩い軒の長い屋根は

      暖気によって雪庇になり

       寒気の大雪がその上に続き
    雪庇が育ち、、、さらに、、、再び暖気になり

     氷塊となり、、、また雪が積もり、、、
      なだらかな傾斜の屋根の雪は
     巨大な氷塊になって、、、次の暖気の時

    長い軒天の雪庇の重さで、落下する氷塊は

     雪庇が回転する勢いで、氷塊は

     べランドガラスを割って、、投球された回転するボールのように

     部屋の中に投げ込まれる。

    窓際の置いてあった2メートルのゴムの木も
    机も、、、反対側の壁まで押されて

     息子達は、、壁と氷と、机の間で

       ひどい目にあった。

     正月の時期であり、、、会社は休みで

    はす向かいにあった建具屋さんに

    折れた窓の桟を、、全く別の種類の木材で

    応急手当てをして、、、ワレタ大きなガラスも

    とりあえず、大きさの合う100センチ以上の幅のガラスを
     探してくれて、、、モヨウなついていないが、、、そのまま

今も感謝で、、、ちぐはぐな窓を、、、胃落ち拾いの窓として

   運の良さに感謝しながら、、、能く、、助かったものだと、、、

  雪解けになってからすぐに

   屋根のこう配を急にして、

     雪が自然落下する屋根にリホームした。

    天井裏のたまった水が、いくつかシミにはなっているが

    すぐに、、裏に、別の家を建てて引っ越して

   ローンだけが2件分になって、、、家は、、、離れとして
       目下モノオキを兼ねた、、、癒しの空間として

     本類や、孫のアトリエの材料置き場になっていたㇼ

     使わなくなった電気製品の壊れたレンジなど、

     使えるが、、、小さくなった冷蔵庫とか、、

      洗濯機とか、、、まだ使える家具とか、、、

     転勤や、単身赴任で持ち帰った家具るとか、、、

      それなりの役目は果たしているが、、、

      人が棲むには、、、トイレも、、、曲がりの管のついてない

     ヘンナ、、様式の未完成な水洗だし、、、

      家の周りは、、、土管を何回も掘っては埋めたので

       土管だらけだし、、、塀は、
    敷地の内側に30センチ以上は境界の手前に建て

     あたかも、、そこが正式な境界石のように

      法律とは違うサイズの石がいくつも埋まっていて

     正式の測量が入って、我が家の境界石が
    かなりの面積を隣の家に提供しているという

       いい加減な所に、ブロックの塀を建てていった。

    20年経ったら、、、お隣さんお土地になってしまうのだろう??

    間違った境界の上に杭のように高い十文字の入った境界石モドキを立てていった。
    正式に測量の入った境界石が埋まっているのに、

    市は、こんな、、いい加減な境界の石を、
      そのうち、、何とかしてくれるものと

     待つことにしている。

    この家は、、、何処から手をつけても、、、

      使えるようにするには、、、買うぐらい、、かかりそうだ。

     買ったばかりに、、、愛着と思い出と
      危機を運よく助かったという、、、

       気の壁の部屋には、、、

         仏様が浮かび上がってきているし、、、

             伝馬の鬣も金色になびいて、、、

               不思議な、、、厄除けの

            風も感じる。

         この、、使えないが、、、行き来して、、裳を置いたり

        読書をしたりしながら、、、

       母屋に向かう、、見えない危機を代替わりに身に受けてくれている

      この家を、、真田丸のように思うときもある。

       家族全員が 無事だ有れば、、、
        家が身代わりになってくれたのかもしれない。

       coronaで3年も閉じ籠っていると

          頭が、、神秘的な事を考えるようになって
        
            これは、、、
        理科系の大學を卒業した私としたことが、、、
          単なる、、、

         馬に見えるだけの、、、年輪の偶然だと言い聞かせながら

         何とか元気なうちに、、使えるようにしなければと、、、

        老後の、、私の居場所は、、、此処しかないのだから、、、

         老女の居場所は、、、

          いろいろな思い出の、、、柱の傷のある、、空間だけかもしれない。

          今日のTVのように、、、

        大阪の通天閣界隈の
         お店の老人仲間のように、、、

           人間力豊かな文化で育っていない私には

           人と付き合うことが苦手である。

          毎日来てくれる近所の奥サンとも、、、

        毎日、、、初めて会った時の様なあいさつで、、、

         聴くだけ聞いて、、、相手を褒めて、、、
           また来てね~~、、、

         時間をつぶし合う以外の進展は無い。
        
        私の友達は、、、この、、、アチコチ、、不備な
        住めないけど、、、

        初めて建てた、、家らしい家の、、離れ家が、、

          北海道に来て、、唯一、心にひっかる、、、友である。

       「何とか、、、お前さんを、、、住める家にして、、、

          誰かの役に立つようにしてあげるからね、、、

           そういいだしてから、、、昭和50年から、、

            お金ばかり掻けながら、、、
         いっこうに住める家にはならなくて

         何を書いていたのかもわからなくなりました、、、

          愛着のある、、、そこかしこの傷が、、、

           心の友になっているのです。

          

    
     

    今年は3回目の雪を降ろして、、愛を表現しています。

     私が生きている間は、、、雪によってつぶされたりはさせないよ!!
      手をかけるだけ、、可愛くなるのですよね、、、
        弱い家だね、、、

  何度、屋根をふき替えたり、、塗り替えたりしても

  トタン屋根の板金工事は「毛細管現象には勝てない。

  吸い上げた暖気の時の水分が

   五寸釘の穴をそのままにして、上からトタンを半分に切って

      長尺トタンだったものを
    コマギレの板金つぎはぎの屋根にして修理完了。

 120万もする割には、、スガ漏れが治らないで

   トイレ、洗面所風呂場の床が、、ぶよぶよに腐れてくる。

   何回なおしても、、スガ漏れはなおらないので、、

 床をとってしまって、、、ラップるコンクリーをして

  傾斜を付けて、排水溝に水を導けば

   この家は、、使えるかもしれない。

水道も、、根っこの、、住民の責任以外の所が

おかしいので、、、最後に修理してくれた正職員さんのしじどうり、

庭を掘って、、お宅以外の責任分野の所は修理できましたので

漏水していたことがわかりましたので

もう、、一時に十万以上の請求は来ないはずですが

払ってしまった42か月分の十数万は
 年月が経ってしまっているので、、、戻ることはできませんね。

はじめて、、正社員が来てくれて、、原因は我が家ではなかったんですが

  「今までどうり、、止めたままにして、、、

    全部、水道管の工事をやり直した方が、、、何処から漏れるか?

    判らない状態ですものね、、、

    三澤さんの建売は、、、共同マスも入れてませんものね、、、

   にっちもさっちもいかない離れの我が家は
  初めての家らしい家と思って買っただけに

   おさない子供たちと、、、3年間の、、思い出が詰まっている。

   水を止めたままで、、、雨水と、ペットボトルで

   離れは、使い終わった家具や,、本や雑誌、
     修理しなければ使えない「マッサージ器」

   5人掛けのソファー。
   息子のドレサーと机、、、

    屋根の巨大な氷が飛び込んできた居間は

    応急手当で、町内の大工さんになおしてもらって、

   模様のついたガラスが割れた後、

   普通のガラスで応急処置をしたため

     ちぐはぐなガラスが嵌っている。

     その後、、、二階からの屋根から、、二度と氷塊が落ちてこない様に

    一定の雪が溜まると、、、滑り落ちるように

   勾配を急にして、、、落下しやすい段の有る屋根にした。

   雪害の保険の分を業者さんが持ってくれた
   我が家の負担は 昭和の時代に120万円ぐらいだったことを記憶している。

  小屋根の方は、、長尺トタンを、剥がして、、半分に切って

   屋根の途中に、板金で継いだ継ぎ目が出来るような修理なので

     その継ぎ目から、、、毛細管現象で、、水分が吸い上げられて

       部屋の中の床を伝って

     床を腐らせ、、、壁の間に、、カビを生やす。

    震災で、、、壁が崩れたところは、、、250万円かけて

    腐った木を取り換えて、サイディングにしてもらった .

ネットで、、免許保持者を探して、、、
    技術の有る大工さんに

     外壁の、モルタルの落下と
    ひび割れを、全部剥がして持って行ってもらい

   見事な外壁となった。

   三澤の大工さんも見積もりを出してくれたのですが

    外壁を臀部剥がして、運ぶだけで200万という見積もりだったので

     ネットで探した業者さんは
   剥がして運んで、下地の菅もレタ部分の木材を交換してくれて
   サイディングして、、、
    ついでに板金のすき間を埋めるペンキを煮ってくれたけど、、

   「奥さん、、、コノ屋根のつぎはぎが、
     雪がちょっと積もると、、
      うまってしまう高さのところで
         長尺を切ってしまってバンキンしてるから

    雪積もったら降ろさないと、、、毛細管現象で、、スガモリはするね!。

  こんな屋根のつくり方するなんて、、、

   子の屋根も2回も修理していて、、、120万円かかっている。

     屋根だけで240万円も余分いかかているのに
        
       蔵とか、、孫の、アトリエとか、、、

       オルガンお練習部屋としてしか使っていないが

      一番愛される、、、離れの家である。

   機能していないが、、、此処に来ると、、他t身の部屋あって、、

     天井が杉の正目モドキの模様で、、落ち着く。

    持語が全員大学を卒業して

     87歳になった私が、、、まだ元気で、、働けていたら。

     最後の力で、、、水道と、、スガモリを治して

    北海道で、、
    初めての家らしい
    広い風呂のある家に住んだ若き日に戻って

    毎日、、お風呂を沸かして、、、

     87歳の乾燥した皺の躯体にならない様に

        毎日お風呂に入って、、

     庭木を世話して、、大根、にんじん、、、ホウレンソウ、、、玉ねぎの

       ミニミニ、、野菜畑で筋トレしながら

     90歳を目標に、、、年寄りの居場所として

         修理が出来る日を楽しみに、、

    目下、、愛すべき、、、年寄りの、、ストレス解消の

       モノ置き小屋の、、、アトリエとして、、

      固定資産税は、住宅として、、払い続けている。

     何とか、、復帰させて、、、もっと多くの人が使える家にしなくては

     優先順位から言えば

       後回しになっているスガ漏れ、、床のぶよぶよが
          なおれば、、、ネ
     自給自足をして、治さねば、、、
       ダンナが収入のない時代、、、
         払った家だけに

     離れ家のすべては、、、便利な収納庫になってしまい

     一日に、、何回も行ったり来たりするが、、、

    水は出ない、、、家を買った、、、場所は良い、、が、

     機能しない、、、いつか、、、90歳の,,,私の居場所にしたいものである。
     
   今日も、、、2回目の除雪、、
      屋根の雪を降ろした。
        理屈抜きに、、私自身の人生の様な、、、家。

     なんか、、愛情を持ってしまったんだよね、、、

    本州育ちなのに、、、冬を知らないのに、、、
      北海道に住んでさ、、、寒さで凍えそうになったり、、、

     病気に成ったり、、、16センチもお腹を塗ったり

     つららが頭にササったり、、
       北大病院まで電車で行って縫ってもらったり

    「なんで、、救急車で来なかったの!・?」

     あきれた先生の顔が浮かぶ。

       ダンナの単身赴任の直前は盲腸で手術をして

        糸のついたままの腹を押さえて、、、

       単身赴任先まで、、、49個も、、小包ツクッテ送ったことも有った。

     息子達かかえて、、、痛む腹抱えて、、

     ダンナは単身赴任していった。

       いろいろのことの有った、、、思い出が、

      頑張りきれたのは、、、いつか、、気の家に住みたいと、、

      この家は修理して、、「年老いても」

     「子育てと、、教育と、、」

      「旦那が医師を続ける為には、、、

         舞台裏の本や、机や、、文献や、、、カルテの考察の書類など、、

       捨てられないものが、、、病院を変わる毎に送られてくる残骸モドキの小包は

      保存は5年以上する。

     収納庫になっている離れの家は、、、全ての役割を終わった外野の私が

      修理完璧にして、、、最後の年寄りの居場所として、

         復帰させたいと、、思っている

      
    

      

2時間2千円だと思うと、、、頑張って4時間!!

  旦那が帰ってくるまでに、、、

    海鮮丸さんから、、、
   お寿司、、天ぷら、、お蕎麦の美味しい弁当を
  今日は、、、出前を頼みました。

  雪掻きも、、、こんなに続くと、、、
 夕食の支度どころではありませんね。

 冷え切った手足も、、、
熱い御茶と、、、プロの作ったお寿司弁当天ぷらで

心身共にあったまりました。

美味しい、、、美味しい、、、バレンタインの雪掻きも

出前のお弁当で、、、心から、、、温まりました。

もうすぐ3月!!

3月初日あたりは、、、、マイと愛大雪だった気がする。

玄関が吹き溜まりの雪で、、ドアが開かなくなるので、

あと一息の雪掻きですね、、、

  そうしているうちに、、、春が来て、、、

「生きてた、、、、」と、

  人生の半分は雪を掻いてる、、、北海道との不思議な縁も

 冬の雪かきのおかげさまで,、、垂乳ねの、、母にならないで済んでいます。

  雪掻きが無いと、、、79歳を目の前にして

     鶏がらの様な身体の背中を丸めて、
        首だけ、、空を見上げて、、、
           蟹股で、、、よちよちと、、、

         杖ついて歩いていたかもしれませんね。

  梯子から、、屋根に飛び移り,、
   雪を降ろす、スキーヤッケのお兄ちゃんと
     間違われる,、、若見えの婆ちゃんは、、、

       孫から言われるんですよ、、、

   「俺たちに、、頼んでくれると、、、やってあげるのに、、、!」
「婆ちゃんはね、、、孫子の足手まといにはならないことが
            婆ちゃんの目標だから
              あんたたちも、、、
               自分の事を一生懸命して
                 しっかり生きて行くんだよ!!」

   「婆ちゃんは、、自分を年寄りだと思ってナイカラネ!!」

  孫は、、大きな声で、、、返答してくる

    ⁽{婆ちゃんは、、、何処から見ても、、、婆ちゃんだよ}
    「ママの方の婆ちゃんは、、、僕たちに、、来やすく頼んでくれるから、
        婆ちゃんって、、、優しいんだよ、、、。」

     うんうん、、、解るよ、、、
       婆ちゃんらしく生きることの方が、、、大切なことが、、、

       でもね、、、人を手伝うとか
          ヒトを助けてあげるとか、、、
            人の為に何かを個人的にやってあげれるには
       「一人前にならないと、、人は頼んでくれないという事を
          その一つだけを、、、孫にはわかってもらわないと、、、」

     中途半端な気持ちで「他人を助けると、、、」
        その時は、、ありがとうと言うが、、、
          心では、自尊心が傷ついていることも有るのだから

     未熟なおせっかいは、、、本人は「してあげた、、」そんなつもりでも

      頼まれないのに、、おせっかいでするときは
        「僕にやらせてみてください、、、」と
          自分を売り込むのと同じだから

      未熟な結果は許されない、、、

      「鮮やかなもんだね、、、!この次からは
         アルバイト代金出すから、、、君に頼もうかな?!」

      相手を感心させるだけの,、、機転を利かせた
        相手の思惑に沿ったやり方、、、プラス「スピード」で

        感心させることのできる、、、技と、
     周りの状況から
       手伝うからには、、、全体の流れに沿って
         その人の方式を一瞬で見ぬき、方式は尊重する。

      自己流を押し付ける手伝いは、、、

         自己満足になるから、、、、

心の交流にはならないと思うよ。

家族の場合は違うけどね、、、
  家族や母方の爺ちゃん婆ちゃんは、、、
      孫にしてもらえるという、、、心を喜ぶから

  未熟でも、、、何でもいいんだよ、、、
「手伝うかい?」
声をかけてから、、、笑顔で、、「答えてくれたら。。。」
   相当な下手くそな手伝いでも、、、喜んでくれるよ。

父方の、、、じっちゃんはともかく、、、

    内孫は甘やかして育てると,、、くいっぱぐれるような
     いい加減な仕事を仕事だと思うようになってしまったら

    自分のプロ性を鍛える努力をする前に

     自分を一人前だと勘違いすると、、、、

     喜んでもらえる仕事が出来ないような、、、

      「自己満足な男」を育てて仕舞ったら、、、

    報酬をもらえるようになる努力を
         忘れてしまうと大変であると思う。

     若い時は良いよ、、、
      若さが力だからね、、、

      中年過ぎて、良い仕事ができないと

      日本は、居場所を探さなくてはならなくなるよね。

    婆ちゃんたちの育った昭和の戦後も戦前も、、、


   「青白きインテリ」という言葉が有ったんだよね。
    
    大学出ても、、、就職口が無いという、、、

    大学に行くより、、、街工場で腕を付けた人々が

   細々な給料だったかもしれないが、、、

      技の追求と、改良のアイデアの工夫などで

       社会はどんどん近代化していった時代だったから

    仕事の工夫の中に「したたかな居場所」を見つけて

    「名人」クラスを目指す人が、、、心は錦で戦後を乗り切っていったけ!

      

       他人様をお手伝いして、、、必ず、代金をもらうようにするという
      プロにならないと、、、男は生半可の手伝いは、、、   
      しない方が良いと思うんですよね。

     手伝うなら、、、
     代金をとれる様な、プロになるという事を
     孫子に伝えられたら、、、

     愛される婆ちゃんになれなくたって
           

  、男の子を育てられれば、、、私的には、、
      「いい仕事を出来た悔いのない人生を送れたと、、、」

     いつか来る旅立ちの日にも。。。
        北海道一人ぼっちの子育ての旅を
           宝物だったと、思えるような気がしている。

     ダンナは外科医であるから
       大きな科の、、目の前で、、死ぬか生きるかの患者さんの
         手術に従事して、しかも、一人では出来ない仕事である。

     職場のチームの方が家庭よりはるかに、、、
       旦那にとっては生きる場所である。

    外科の場合、、、真夜中の手術には
     真夜中に一緒に働いてくれる看護師さんはじめ
       臨床工学士さんや、同僚の医師、
      そして、、、執刀の主役である師匠格の先輩医師!
   全員がそろって、、、真夜中の救急車の運んできた患者さんを
     真夜中に執刀する、、、、
       若いころは、、自宅に帰るのは週末だった。
     人生の半分は「病院スタ風と過ごす。

       残りの半分は学会とか、、、自分尾勉強とか睡眠時間であり

     大学病院に50歳近くまでいた旦那の人生は
        居場所は「職場」なので有るから、、、

       家庭への配慮の暇はないと言っても良い仕事だ。

      正月も連休も、、、病人さんは病気にならないでと、、、

      家内は祈っても、、、油の乗り切った外科医は
       天職と思っているのだろう、、、

     家庭さ―ビスは二の次,、、三の次
          。。。四。。。五が無くて、、、医療チームの充実の時間

     確かに、、、外科というのは、、、

       救急車で運ばれてきた患者さんが
         手術中に命が亡くなることだってある科だから

      脂の乗り切った40代50代は、、、家庭はお留守。

    初めての子供は流産
     おかげで、世の中の厳しさを知った。

     命をかけて、
        母に
         北海道の冬のお産の大変さを
              教えてくれた子のためにも

     次に生まれる子供の失敗は許されない。
     父の後を継いで内科を開業中だった
      兄夫婦の射る実家で、

        母とともに1年間、お産の為にお世話になった。

          父の遺産の放棄と引き換えに、、、一年間の故郷が居場所だった。

      幸い、薬剤師の資格が有った私にとって
          お手伝いできる実家は、、、27歳の居場所だった。

      その間、私を実家に送り届けた旦那は
         借場の有る北海道に帰っていった。

        北海道なら厳寒期の2月に、、、

           長男は、、、実家の兄の手助けで 

            無事に、、、此の世に生を受けた。

     ダンナは、、大学という、、個人的な意思のままならない学び舎で
    ひねもす仕事に明け暮れていたのだろう、、、。

     知日8回の人工栄養で、真夜中にダンナを起こすと

       患者さんのお命にも影響する仕事だからと

      人工栄養が4回で済む離乳の始まったころに

      私は、、独りぼっちで、、、息子を背負い
       オムツと、、、4回分のミルクビンを持って

      洗い替えの2着で済ませたマタニティドレスを

           スリムに縫いかえて、、、最小限の荷物で

        千歳に帰ってきた。

      一年以上,、会っていないから、、、

      着く時間だけは手紙に知らせてあるから、、、

       もしかしたら、、、迎えに来ているかもしれないと、、、

      甘い期待があった、、、こてゃ確かだった。

     千歳に着いたものの、、、誰も知り合いも居ないし
      ダンナも仕事が優先順位だったから、、、

        弁当だけ買って、、、一人で、、、
         いいえ、、、今度は2人で

           アパートに帰ってきた。

       3畳の物置場と、、6畳とダイニングキッチンだけの
         狭いアパートは、、、

        出がけに階下から火が出て、、、カーテンが半焦げのまま

        絨毯を丸めて立てかけてあった。

       大家さんが、階下のプロパンの爆発のときに
        吹っ飛んでしまった、、、トイレなど、

          焦げ臭かった壁などを、修理してくれてはいたが

           一年経過しても、、、焦げた匂いがしていたのは

         閉口した、、、、。

        北海道の医学生は、、、本当に貧乏の中

         多くのサポートを受けながら、、、
           医師になってゆく人もいるんだと

        母は、、、54歳で、、
        急逝してしまった外科医の父の死を受容できないのか

         北海道までやって来て、、、
           質素なアパート住まいの外科医の卵に

           当時は、、
         ぜいたく品だった
           「高尾」という24インチのTVを買って

          安アパートの医学者の卵の住む部屋に

        札幌の三越デパートで「オーダーカーテン」買って

         カーテンを閉めると、豪華な部屋モドキに成る様に

           あれこれ調度品を揃えて,、、行った部屋が

        結婚2か月もしないうちに
         階下の大家さんの息子さん夫婦が
           夫婦喧嘩の際に、、、家事を出した。

        2回の我が家は、、もろに、、被害に遭った。

        17000円の家賃はミリョクな安値だったが

          こんなことなら、、、もっと高くても
         風呂の有る所を借りてほしかったと、、、

        私はべそをかいていた。

          大學時代から着ていた衣類など、お気に入りの小物など

         ゴミ袋に20個、、、京友禅の着物まで、、

          結婚2か月後には、、、一部を残して、、、ゴミ箱行き。

        母と、旦那が、、私の意志の上を飛び越して

        博士号を取得したら、、早逝した外科医の父の後に来てくれて

         今までのように「内科。外科」の開業を
          手伝うという、、、母との交換条件で

        戦後を生き抜くための、、、母と、医学生の意気投合。

       せっかく、、、薬剤師として相互病院で働いていたのに

        「お家再興????。。それとも千姫?

           童に人格はどうなるのだ?・?、、、」

        高校生の弟、、、インターンの兄、
         私立薬科大学の息子、、、
                 卒業しないうちに  
              子供たちの教育なかばに死んでしまった父。

          50歳代で、、、未亡人となった母。

        一時は戦後の貧困時代、、、居候が2家族と
         学生3人と、、、使用人が23人同居の我が家の

        一大事だった。

        医者のバカボンの兄貴は、、、学生結婚していた。
         こんなに居候抱えて、、、親父は、、こんなもの残して、、、

          兄貴は、、医師に、なったばかりdったから

         突然の父の過労死、、、そして、未亡人の母を背負う。

          79歳になって、、、二十歳代の兄貴が

           学生結婚したバカボンンが、、、

          晴天のへきれきのように、、、父の旧姓に出逢い

          医療施設と未亡人の母と、、、高校生の弟と
           私立大学の弟妹2人と、、、居候を背負うのは、、、

          そして従業員の退職金を背負うのは、、、
           タイヘンだったろうと、、、

          人生の居場所なんて、、、いつどうなる物か??

         戦中戦後、、、父の居場所は「外科医をする毎日」

                母の居場所は家庭とピアノ教師

            この世の居場所は、、、何処につくるか??

         母と兄は、、父の代わりの外科医を必要としていた。

          男尊女卑の昭和の時代は、、、

           ダンナの先輩にあたる外科医から
             母は、外科医と私の結婚を勧められたらしい。

          母の居場所は「外科医の奥サン?」

         明治生まれの父母に時代、、、

         医師は特権階級だったらしい。

         街の物知り博士で、、、健康をつかさどる主治医であり

         庶民から見たら、、、「お金持ち??」

         娘は医師に嫁がせれば安泰な居場所が出来ると
          盲信した時代だった。

         根っからの独身主義で行こうと思っていとぁたしは

        総合病院の薬局に勤務しながら
         自分尾居場所は未来の薬局長と、、、決めて居たのに。
        

        母と兄夫婦の私という娘
           私という妹で相続権の有る父の娘

        男尊女卑の時代の、、、娘の私物化が

       にっちもさっちもいかない、、、
         ⒥都政の居場所を、、、圧力で、、無くさせた時代だった。


       男性から、、、愛されれば、、、そこは、女性の居場所!!

       男女の愛を居場所だとは、、
           信じられない、、
           信じる事なぞ出来ない私

       結婚したって、、、愛なぞは錯覚だと、、、

        良い仕事をする私、、、居場所はこれで行こう!!

       女性には「子供を産めるという天職がある。」

       子供を育てるのは、、、天職だと思った。

       子育てなら、、社会参加は20年後
        子供を産んで育ててみよう、、、

      お母さんという、、、永遠の居場所は良いかもしれない。
      自分の中では永遠の居場所であろう!!
       
       やがて孫が生まれて、、、婆ちゃんの居場所は出来た。

      婆ちゃんと簡単に言ってくれるけど
      婆ちゃんになれるという事は、、、

            私の最後の居場所になりましたね

 孫子さえ、、、しっかり社会人として生きて行けるなら
    私に人生は、、、いい仕事をしたと、、、

   自己満足の、、、笑顔で天国に行けると、、、信じることにしている。

    だから、、、ウクライナも、、ロシヤも、、、
   女性の子育ての生涯を、、、一瞬にして、、、破壊するような

    戦争は終わらして下さい。
     何処の母親も、、、孫子の幸せと
       地球の空気の美味しさを、、、宝物と思って

          地球からの恵みで、、、星空を見乍ら

            明日という日に希望を抱いて
              生きてきたのですから、、、

           何千年もの間、、、地球は、、、
   神様から託った「地球の恵み」を
    人間に届けてくれた。

    海、山,、川、、星空、、月夜、、、銀河の不思議

      森の幸  海の幸、、、川の幸、、、

      放射能や化学薬品で汚染された「酸性雨、、や、、黑い雨」

    国を支配して地球を殺すような、、、、
      本末転倒の戦争は、、、終わりにしてください。

      防衛も、、、攻撃も、、、支配も、、隷属も、、無い世の中に
        大自然の恵みに、、、もう一度、、、
           子供に戻って、、、気が付いてほしい。
          
       気球が飛んでいたら、、、、
         お隣の国からの、、、友情のメッセ児であってほしい。

    気球が飛んでいたら、、、お隣の国からの友好の、、、
          子供達への,、、夢ある友情のメッセージであってほしい。
          
      気球が飛んでいたら、、、
       うち落とさなければならないような、、、

        友情のない世界から、、、
          早く脱出してほしい。

     本来、、気球には、、、幸せのメロディが流れていなくては

            各国の友情の気球でなくてはならないと、、、思います。
            
        
   





最新の画像もっと見る

コメントを投稿