花鳥風月、、2023年からの第二の日記

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今日は、、、もうは6日

2024年01月06日 | 日記
ことしの新年は、、、能登半島や、、新潟の地震情報のほかに

    羽田空港の、、、飛行機事故と、、、元旦から、、緊張の毎日でした。

      去年から、、何かと忙しくて、、、

         70代最後の月を、滞りなく、、、感謝で迎えようと

         10月から、、、庭の剪定、、、毎日一本づつ、、対話しながら雪囲い、、、

      55年間の結婚生活は、、、北海道で、、、雪を搔きながら、、、
          寒さ対策、、、
         「冬支度」がいつも気になっていた。


      東京生まれの、、、ダンナさんは、、、雪国の北大を受験して

         北海道に来て以来、、、

         1960年来、、、64年間の年月が経つのに

        雪掻きはしたことが無い最短距離の不惑の人らしい???です。

         つまり、、、、いつも、、、下宿だとか

           雪を搔く責任者の居る所に住んでいたという事でしょうか?

      結婚以来、、、スコップを持った姿は見たことがないし

         ゴミを捨てに行った事もない。

          結婚当初は車の免許も持って居なかった。
          維持費や 雪道の未熟な運転事故や、、、寝不足運転よりは
         タクシーの方が、、、ずーと合理的だそうです。

          通勤用に、車の免許を取得しても
          日曜土曜は勤務先の泊まり込みの当直で

         一般家庭のように、、家庭の機動力としての車は無かった。

          下の子をおんぶして、上の子は
            買い物した物を運ぶためのベビーバ∸ギーを突いてくれていた

          19歳の時普通自動車、、、バイクの免許をとらしてもらって

          家庭に何台かあった車を借りて、、、

           家庭では、、運転手に駆り出されていた自分としては

            北海道のような、、、
           まさに、、、車の必要な所に嫁いで

          ダンナさんの通勤用の車しかないという、、、

              通勤先は東12条から西12条の、、、12条の距離!!

             しかし、、、近所のアパートの奥さんも。。

            2人乗りの乳母車で 


            アパート暮らしを4年間したとき、

            初めて気が付いた、、、、。

          結婚生活というのは、、、いろいろなパターンがあるが、、、

           たまたま縁があった、、、旦那さんという人は

            「自分のことしかしない、、、、タイプなのだな?」

            自分の、、お勉強とか、、、研究とか、、、仕事とか、、、

            緊張感を持って、しっかりと義務を果たすので

            家庭的には及第点があるのですが、、、

             家庭的には、、、
           合格点のボーダーラインの、、、行動しかしないという

            自分の人生が最優先のタイプだと、、、
           気が付いたときは、、、

            すでに、、、家庭の総ては、、、
           家内の双肩にかかってきてしまっていた。

           男は外に、、、7人の敵が居るんだ、、、

           おまけに、、医師の勤務時間以外の、、、脳みその働きを

            理解しないシステムの中で、、

          二審月歩のヴァージョンーアップの医学会に

             ついてゆくには、、、家庭の仕事どころ???ではないのだろう、、、

            民間的には、、頭が良くても

             医師集団は全員頭が良いのが普通だろうから、、、

            タイヘンな競走であろうことは、、、想像は付く,、、が、、、

            家庭のことは、、、お前の領域だ!!、、、
            俺様は???お客である・・・?

         Nipponの男たちは、、時代劇のTVから想像すると

          女性は、、子供を産むのが仕事であったらしい事が、、、想像できる。

            長い髪、、、重い丸髷、、、裾までの着物

            重たい帯、、、歩きにくい草履、、、

           おしとやかなのが、、、女の鏡???

            男に気にいられなくったて、、、いいじゃない?

                 例えば、、、

            「剣客商売」に出てくる、、
          、田沼意次の娘剣豪の生き方って、、、素敵!!!

             年齢に関係なく、、、成人した藤田まことを、、愛する、娘さん!!

              之って、、、本当に、、いい感じのカップルですよね。

            男は、、、はじめっから、、、子供は要らない、、、!!

            愛すれば子供は出来ると信じている、、、
                30歳以上は歳の差がありそうな女房!!

           このTVドラマに出てくる、、、対照的な女性は

               二人とも、、「男尊女卑」の被害者ではない!!!

             しかし、、多くの時代劇は、、、
               出てくる俳優さんが
                    かっこいいので

              物語りの筋が気なんか、、、ワンパターンでも

             見ていると楽しい。

            水戸黄門の、、、助さんも,、角さんも、、弥七も、、、三枚目のあの方も

             全部の男性に、、、似合うのが、、、

                ミロのビーナスのような、、、芸術的に美しい、、、

              由美かおるさん、、、、彼女の写真集は

                美しいですよね、、、

             男尊女卑の美しさでなくても、、、魅力度は200パーセント以上ですね。

             彼女の「絵」を描きたいですよね。

            男尊女卑的の、、、女性の色かの芳香の漂う美人は多いですが

             由美かおるさんの美しさは、、、
             鍛えられた、、無駄のない筋肉が
               彫刻のヴィーナスのような、、、清潔感のある

                曲線の美しさですよね、、、、

            男尊女卑の日本の男性は、、、生まれながらにビーナスのような

              天然の美しさの女性たちを、、、

                  男を意識した美しさに走る様に、、、変えてしまうから、、、

              男性から見た美人と
              女性から見た美人は、、かなり違ってくる。

             スケートの「真央さん」も、、、美しいと思いますね、、、

            男尊女卑の話がそれてしまいましたが、、、

           自分の意志で、独り立ちしている女性は、、、女性から見て、、美しいですね。

             草笛光子さん、、、大好きですね、、、!

           

              女性は、、「家庭内で生きるのが良い」と言ってしまえば、、、
              一言で済んでしまいますが、、、

             家庭のダンナさんとしては、、、家事、、育児、、買い物、、、家の管理、、

            仕事以外の家庭的な交際、、、町内会とか、、、PTA,,,親戚付き合い、、、とか。。

             全て、、、患者さんが待っているから、、
             、患者さんお時間に合わせた人生のようです。

             30年以上前は、、、病院は医師が経営しているところが目立っていましたが

              令和の今は、、、経営サイドは医療人という余地

                医療人を雇用できる大企業の経営の病院が目立つようになりましたね。

             30年以上前は「病院の品格にこだわった時代でしたね。」

               ダンナさんが、、異郷の一番トップの方が企画した研修旅行で

               アメリカ全土の病院の合同研修に参加したときの

              写真のネガの山を、、、現像して、整理して、、、無暑いアルバムにして

                アメリカの医療関係の病院のパンフレットと、、ファイルするという、、、

                 裏方の助っ人の仕事をしたことが有るのですが、、、

              ロチェスターというところなんかは、、、

                一つの街が全部、、、病院にゃ医学研究所で、、出来ていて

                 医学を中心に、、、理解されていて、、、

               病院の品格が、、、医師という仕事を研究レベルで理解できる人たちによって

               医師の持っている、、、医学の為なら、、人生を捧げるという性質を

               良い意味で伸ばせる環境づくりがされていて

               ボストンやニューヨークの病院の写真も

                整理していて、、気が付いたのですが、、、

                 歴代の院長の写真が、、40枚以上も壁にかかっている部屋などがあり

              日本一部の病院のように、、、企業が医師を一年契約で雇っていたㇼ

                  定年後は、不安定な日本の医師と違って、、、

                 医師が医師を理解して、
            、「外からは見えない医師の内面の「歳をとらない部分」を

                表現できている写真が多いのには、、、目から鱗でしたね。

               その時感じたことを、、、たまたま、、、長電話をくれる弟に話したら、、、

               メイヨークリニックと、、、ボストンのハーバードには

                 留学していたので、、、、、、「お姉ちゃんの言うとおりだね、、!」

              アメリカは、、、院長の発言は、、鶴の一声であり、、、

                僕なんか、、背丈の小さい日本人なので、、、
                廊下ですれ違っても、、、無視されることが続いていtのだけど

                ある日の医局会議で「院長さんが,、」

               「Dr..M(bokunokoto )は、、私の「肝臓、胆のう。膵臓」においての先生である。」と

               口を滑らしたのですよネ!。

               その日からと、いうものは

                 廊下で、、すれ違うDr.に、、挨拶されたり、、、

                  会議の時に意見を聞かれたり、、、
                 病院内の医師が、
                  、態度が変ったので。。。。。。。。

                 戸惑い乍らも、、、解った事は、、、アメリカの院長にはスゴイ尊敬と

                多分、、、病院内はトップダウンなのではないかと、、、・・・・??

                思ってしまう出来事だったね。

               歴代の院長の額縁の部屋と、、、、何かにつけて医師の発言力の大きいことは

                ヨーロッパの「医学G'7」?????何のことなのかわかりませんが

                 医師の社会には{G7]なんて集いも、、、ヨーロッパには在るのですかね???

                 ともかく、、、姉弟の関係以上の音が居の無礼講の井居たい放題の電話ですから

                医学に素人の私には、、、半分も理解していないと思いますが


                 ヨーロッパの病院関係者の集団写真のど真ん中に居る弟は

                 日本の医療も、、、研究分野も、、、
                政治家の先生が、、、厚生省という

                 最高機関で統括しているから、、、日本の研究分野も医療制度も

                原発の事故の時もそうだけれど、、、

                アメリカの処理班を断ってしまうという

                 政治主導型なので、、、いまいち、、、研究分野の先生方も、、、

                    首相の一言には,、、従わざるを得ないのが、、、、

                日本での研究の遅延の原因の一つかもしれない、、、、と。

                 政治音痴で、、世界史音痴の、、種専業の80才目前の婆ちゃんは

                 世代交代した未来には、、、専門家が、、能力を伸ばせるように

                 研究分野の発展しやすい政治を願う気持ちになりましたね。

                 又、、、企業の会社の定款で、、、院長の任命も、辞職も

                医師ではない、、、病院解説者が決定権を持っているので

                世界的に認められる病院にと考えている先生にとっては

                 海外の病院との交流で、品格を高めてゆこうとしても

                 予算の関係で、、、地域に根差した大学から院長を出して

                地域に密着した、、地域貢献型の病院いしてゆこうという企画であれば

                  30年以上の勤続した医師であっても、、、施主である企業の会社の定款で

                 年報酬の一年契約で、、65歳定年で、、、退職金なしという

                  経営主体の病院いなるのは仕方ないことですから、、、

                  医師は、役に立つ間だけの使い捨てという基本構造は、、

                  医師の方も、、、報酬の瀧病院に移動しやすいので

                 病因の品格という、、、医師の医学に向かう同志というよりは

                   病因の品格より、、、自分の老後を考えて、、、

                  定年前に、、、定年のない病院い移らないと、、、
               退職金のない日本の多くの病院の制度では

                老後の不安が伴うので

                病院麻品格などと、、、のんきなことが言っている場合では無くて

                自分の老後の仕事の継続が優先してしまうという、、、のが、、現状のようですね。

                 弟ががんセンターの検診検査研究の所長の時

                 政権交代があって、、、東北から、、、
               カヤマサントカいう、、、偉い先生がやってきて

                院長交代、、、政権交代のあおりで、、、独立行政法人とかに変更になり

                 団塊の世代が65歳になる歳の短期間だけ、、、退職金が半分に減らされたそうです。

                 政権交代で、、、研究費は、、大幅に返還したそうで、、、

               50周年のあとの退官に備えて、、、正常血液と判定の出た血液の保存から
                勤務中の世界から集めた資料とで、、、論文を後輩の為に書こうとして

                 下準備が住んだ時に、、、

                 国立がんセンターは、、、抱く立法人になり、、、

                 退職定年と重なった弟は、、、

               若き医師の為に、、教科書や、、参考書を13冊以上出版していたので

               家のローンも何とかなっているようですが、、、

                日本の医療界は政治主導型なので、、、

               最後の50周年のあとの、、後輩の参考になるような

               正常血液と、、癌の患者の血液との比較データーを

                研究し続けていたが、、、

                政治の政権交代で、、、がんセンターはでんぐり帰ってしまい

                アン㋐に年月をかけて、、分類してきた正常血液が

                  問答無用で、、、捨てられてしまい、、、

                 研究費も変換して、、、定年後にと

                 お招きをされていた記念病院の国立の月給では

               研究も生活も、、、維持できないという、、激動の短期間の政治主導があり、、

                  日本の医療の、、研究分野の激震を語りながら

               「医療施設の品格という、、、医療も、研究も、、、仕事の品格も、、、

                 専門的に理解できる政治家が日本にはまだ、、そろっていないという事が、、、

                 名君ではあったと思うが、、、
                菅首相の、、、専門知識には、、いまいちの発言が、、

                研究分野の先生方の支持は得られないのではないかと、、、

                 Nippon緒医療制度では、、、ヨーロッパや

                  アメリカで見て来た「病院の品格」には、、、

                  Nippon緒場合、、、障害物になる専門分野への無理解が

                  当分続き、、、何故か、、病院が赤字でやってゆけなくなってから、、、

                 出勤日数とか、、タイムカードで、、、一年契約の医師の集団を

                  企業の定款で、、数人の医療傍観者が決めてゆくというとき

                他の病院でも、、引っ張ってくれる医師は、、病院の品格にこだわっていたら

               退職金のない、、年金も、、減俸支払いの中で、、、研究は辞めてしまい

                   老後の安定を洗濯するという、、、日本の医療の段階を

                     政治の主導する、、素人の考えた医師を支配しやすい病院を続けてゆくと

               ワクチンの開発も、、後手後手になるのは仕方なかったと思えてきましたね。

           
                 一般の社会からは、、
              放映される
               「医師や病院を舞台のドラマ」などで

                 医療部会者の想像するカッコイイ医師の先生が

                     かっこよく生きて、、、

                   医師の奥さんンは、、、浪費家で、、セレブで、、

                 絵に描いた餅のようなドラマが、、民間からの嫉妬で

                   医師の家庭は、、、結構、、被害に遭っているんですよね。

                  現実の一例ではありますけど、、、

                  医師は、、病菌の巣の中でコロナと闘いながら

                  多くの医師はcoronaにかかっているのですよね。

                痛み止めを飲みながら診療していて、、、

                   一年経ってやっと、、クスリが要らなくなってきて、、、
                      
                    家内は、、感染しても、、感染させても、、、、
                    多くの人に迷惑のかかる立場なので
               ひとっとの交際は、、、コロナの流行する前から、、、

                   最小限にしていますね。

                     ドラマと、、現実の医師の姿の違いを

                   こうして、、日記に書いておくことで、、、

                  医師をすることの結束の大変さや、、、

                 病因の品質を高めてゆかないと、、、

                   政治と企業の理解を深めていただいて

                     日本も、アメリカや、、よーろっばの病院のように

                     病因には、歴史を語る博物館や、歴代ンp院長のビジョンの本や

                  世代交代の時の大いに参考になる思慮室の本など、、、

                 私も、、40代の薬剤師の現役の頃

                   イギリスと、フランスと、、中国の病院を巡ってきて

                  ウエルカム医療博物館などにも一日中魅惑されていましたが

                   地域貢献型病院と、、病院の品格にこだわった病院と

                         日本の未来はまだまだ、、これからで、、、

                    政治主導や、、地域優先型の病院では、

                     企業や銀行が経営主体となるので、、、

                   いまいち、、、専門分野の理解に対しての、、、

                 問答無用の政策は、、、、これからは、、、治ってゆくのでしょうかね、、、

                 岸田首相サンなら、、、世界を知ってい要る首相さんだから

                    胸の奥では、、、世界の品格ある病院に匹敵する

                     経営サイドの、、医療への理解を深めてくださりそうな

                    期待があるのですけどね。

                   今回の能登半島の地震被害に対しても

                    医療施設の充実で
                      巣食える命があると思いまス。

                     

       
      

                 

         
             そういう訳で、、、80歳を目の前に、、、家庭から見た、、ひとりの医師の

               ぶっちゃけ、、ありのままに、、、婆ちゃんが感じた
                 独断と偏見の、、医師の内側から見た様子を
                 日記に書いておこうと思いました。

                 80歳まじかの、、、多少❓??呆けている家も入れませんから

              さ㎜講師料の程度に、、、斜め読みにしてくださって

             皆さんの見方を書きこんでくだされば、、、
              蘇峰八方から見た、、、日本のある、、医師の姿が

                外野の私達にも、、かなり正し良い眼力で、、、これからの,、医療を考える
               小さな参考資料になるのではないでしょうかね、、?
                

            几帳面な一年一回の年賀状で、、、義務を果たす。。。〇×▽◇,、、徒歩ほほ

             税金の申告は一切関与しないで税理士さん胃丸投げ、、、

            その代わりに、、、正月も、、、お盆も、、、連休も、、勤務先に泊まり

            家庭は、、、もぬけの空、、、


             50歳ごろまでは、、、家に居るのだか???

                 居ないのだか????

            自分の世界の仕事人間で、、、

            家庭は、、、生きてゆくのに、、、自分の都合に合わせた宿泊所?

             50歳近くまで、、、大学の医局に居て、大学家族の仕事。
              50歳で、、、初めて、、、医師の相場と言われるお給料が戴けるようになりました。

              ネットでは、、医師の給料は、、、1500万円とか書いてありますが。

              昭和の戦前生まれの医師たちは、、、インターンのゼロ円時代。

               30歳になっても3ヶ月に一度の道内へき地のアルバイトが、、、月16万円

               三か月の、、、旦那さんの、、、大学医局の在籍の維持費しかない額面で

              家庭でかかる費用は、、、家内の負担という、、、4年間が続き、、、

               やっと「博士号を取得でき☜」、、、医局から一般病院に勤務で来たのが

             初任給、、、23万円でした。

               7年間のキンムノ間に、、、給料は50万円近くになりましたが

               バブルの勢いがピークになり、、、

                17000円の風呂なしのアパートから、、、500万円のテラスハウスに移動。

               子供が2人になって、、、初めて、、持ち家らしい、、、

              三沢ホームランドの、、、建売ㇼ家屋の23坪の家を、

               1400万円で、、、全額借金の、、、提携ローンで

                利息が9パーセントでした。

               開業医の家で、、、やがて出てゆく女の子は

                どんな貧乏に嫁に行っても、、、戻ってこない様にと

                男の兄弟の4人の戦争生き残りグループとは

               家庭内の待遇も、、、男尊女卑の時代でした。

                短大進学が限度と言われていた当時の社会風潮の中

               家庭の反対を、、押し切って、、薬剤師になった私には

               「毎日、、、出てゆけ攻撃が、、、ひどいものでしたね、、、」

               「女の子は結婚して、、、
                    男の子が生まれるまで、、、
                         子供を産みなさい、、、?!」

            そうでなければ、、、医師と結婚して、、、
              我が家で一緒に働いてくれる「外科医」と結婚して
                  「合流しましょう!」

                その時は、、女の子であっても、、、
                 相続をする仲間に入れてあげましょう,、、、、みたいな、、、

               男女平等の法律は法律で

              家庭内圧力、、、社会の圧力は

               戦後の貧困からの立ち直りの時代だっただけに

               我が家にも、、居候が十数人,、、入り込んできてしまっていて

               娘の私は、、「女のくせに...4年制大学を出るなんて、、、!!」

              学生結婚した兄が、家長になっていた事もあり、、

                小姑の立場の私は、、、「針の筵の上だった。」

                昭和生まれの戦前生まれの、、、ダンナさんは

                国立大学を、成績優秀ということで「奨学金を借りていた。」

               結婚と同時に、、、私は、、、働いたお金で、

               ダンナさんの。。。100万円ほどたまっていた奨学金を一括返済した。

               薬剤師として勤務していたので、、、5年くらいは、、、

               無窮のダンナさんを養えると思って、、、結婚した。

               誤算は、、、結婚2か月で、、、家事に遭った。

                寒い冬の夜空に、、、借りていた二部屋と、、、3畳の物入れのAPは

               新建材のタールが、、、異様な臭気を放ち、、、

               階下のプロパン爆発で、、、トイレが壊れて

                カーテンは、、下半分が焼けてしまっていた。

                ダンナさんの婆ちゃんが急死して、、
                私は東京の旦那さんの家に行っていた。

               もし、、、APに居たら、、、死んでいたことは間違いなかった。

               ダンナさんは、、、大学の仕事で、、
                夕張の炭鉱の病院に出張していて留守だった。

               札幌に帰って来て、、、アパートには住めない、、、

               冬の留萌へ出張で、、、留萌の寿町の断崖の上の病院寮で

                再び、、、目前の小学校が全焼するという、、、火災に出逢った。

              食事をしていたら、、、「バリバリ、、、ご~~~」

             異様うなゴオオンが聴こえてきた。

             「何が起きているんだ?見て来てくれ、、、!」

              ダンナさんがご機嫌斜めで言うので、、、私は音のする方に走って行った。

            「火の粉が飛んできた!!!」

              「大変だ、、、家事だ!!、、、」

               ダンナさんの食事をしていた、、、遼の台所に行ったら、、、???

              ダンナさんが居ない???、、、

             出張の唯一の書類の入ったカバンと
               私の愛用の「シングルエイト、、、の映写機」で

               留萌小学校の火災を、、記録しているのだった。

               自分だけの単独行動で、、、その時に必要と思えることに直進して

              火事場を見に行った私の危険なことなど、、づ脳にわいてこないらしい??

              自分が煮詰めている物が大切なのだというタイプなんですね、、、。

              私が結婚の時持ってきたシングルエイトは

               留萌小学校の火災を記録した。!!

               ところが、、、ダンナさんは、、
              そのカメラの持ち主である私に了解を得ないで

               小学校に、「貴重な記録だから、、」と

               小学校の職員の名前も聞かないで、、、
                 フイルムを切り取って

                 差し上げてしまったのでした。

             とっさのことで、、、慌てていたのでしょうが、、、

              私なら、、渡す相手の名刺をいただいておくとか、、、

              新聞社に伝送で送るとか、、、社会現象は記録が大切だと思うんですよね。

            当時の日本の男たちは

              すべからくそうだとは申しませんが、、、

               北海道では、、当時は医師は「別格の自己判断が認められるほど、、、?」

              北海道の医師は、、自他ともに、、、別格に地位に居たのですよね、、、

             女房なんて「私物のように、、、自分の人生の為の必要な家事一般ん雑役婦?」

            家の中には、、私だけが使える個室は、、生涯ありませんでしたね。

     

              どの部屋にも、、ダンナさん緒ものばかりで、、、

            女房の着物などは、着る部屋もありませんね。

            本だらけ、、、書類だらけ、、、手紙だらけ、、、

            2番目の子供が誕生してからは、、、ダンナは一階の書斎で眠るようになり

           スライドのとのついたドレッサーと、、、引き出しや開き戸のある鏡

            論部サイズの机に、、スライド棚の2個ついた大きな本箱、

           シングルベッドの足元には、
           目隠しの引き出しの箪笥と万能の衣文かけポールで

            サザエの貝のように、、、蓋をしめれば誰も入れない空間を造って
            隣りの居間には、、
           マフィアの映画に出てくるような

                黒いレザーの三人掛けと、、、二人掛けのクッションソファー、、

             ダンナさん専用のTV ,,その隣りは、、

              私の母が送って来たピアノ。

             その部屋にもスライド式の旦那さんのドレッサー、、、

            二階の部屋にも、、旦那さんのドレッサー、、、

            その隣にはお気に入りのクルミ材の引き出しダンス。

            8畳の部屋は ダンナさんの洋服掛けが二台、、、

             下駄箱は、、ほとんどがダンナさんの靴だらけ、、、

             収納庫のない,、、大成パルコンだけに、、、
           家庭のがらくたが全部丸見えである

            収納庫の多い実家には、、モノが見えるのは、、、ステレオとピアノ、

            あとは、、座卓ぐらいで、、居間は30畳ぐらいあった。

            そこには、、玉突き台があっただけで、、
           玉突き台から、かなり離れた壁際に

           布製の黄土色のような、、応接セットがあっただけで

           壁には「医師会の武見会長さんが下さった絵が描けてあっただけだった、」

             何位も見えない空間だけの家で育ったので

             ダンナさんの、、家イッパイの、、、
               がらくた、、、と呼べそうな品を、一つ一つ、、、滅菌布でふき掃除しながら

            閉じこもりの生活の割には、、筋肉がたえず動くので、、

             私の上腕二頭筋は盛り上がって若い人の腕のようです。

               ほとんど、、ダンナさん緒ものなので、、、

            断捨離するといいよ、、、と、、来る人には言われるのですが

           「医師をするという事は、、、多くの物が、、全部必要なのでしょうね?」

           世間では、、代々開業医の先生方が「医師のイメージ」として

            税務署はじめ、、、一般の市民の皆さんには「医師はお金持ち」という、、

              北海道では、、「お金持ちのように世間は捉えているようですが、、、」

            家内からすれば、、、さしずめ、、映画の裏方の小道具やのような仕事が
             勤務医の蟹ではないでしょうかね?

           生と死の間を預かっての仕事だけに、、、
                 ストレスはいかばかりなりと、、、
                        思えるから

           家に帰ってくるのは、、夜の8時前に帰る事はしない。
           特に、、外科医の頃は、、、病院の方が、、家族の様であった。

            クリスマスも、、正月も、、、誕生日も、、、病院を離れる事はしなかった。

          ダンナさんとは40年以上も、、、握手すらしたことはない。

           恋愛結婚では無かったので、、、未だに、、、キスをしたことが無い。

             昭和の戦後を生き残る為の、、
              お互いが便利であった「結婚という形態の仕事場」だった。

            夫婦というより、、「相棒」という関係の、、仕事人が二人で同居した。

             心が絆で結ばれているのは、、男女の仲ではなくて、、

           子供を育てるという「共同作業が、、、心を結び付けていた。」

          主人は、、野性のライオンのオスだと認識しながら、、、

            雌ライオンが働き、、労働は雌ライオンが受け持ち、、、

             雄ライオンの縄張りは、、、家庭ではなくて職場であり、、

            家庭的には頼りにならなくても、、、

            「ライオンのオスが毎日帰ってくると思えば、、、攻め込みは無い!」

           昭和の戦前の生れの女性は、、、男が身の周りで

              うろちょろしていてくれれば、、それで、、自分は守られると

            大人たちから教えられてきた。

           男尊女卑の、、、根源が、、、
          「戦争」という、、、「男が居なくなった日本の家庭」で

               男が戦争から帰還できた家が、、、

                 戦争のあとの貧困から立ち上がり

                 女性は背中合わせにはたらきながらも

                ダンナさんという「存在」が

                世間からの攻め込みを防いでくれたという経験があるからして

               男尊女卑でも何でもいいから、、、
             自分の周りでうろちょろしてくれている男が、、、
               ライオンのオスの役割になるのを見ているから、、、

                子供を守るのは、、、男尊女卑に甘んじるという、、、

               いわゆる、、、「貧困」「資源の足りない国」

               「男の働きが国の力」、、、昭和の時代の戦後は

                  東大が一番で、、、7帝大が一番で、、、

                著名な東大卒の映画監督の奥サンでもあり

               有名女優だった{K。A)美しい女性も

                 ある種の老化からくる、、、痴呆現象の一種かもしれないダンナの横暴に
              日本女性の男尊女卑を乗り越えての献身が、、TV放送されていましたが、、、

                日本の男尊女卑を、、、なんとかしないと、、、

                  老老介護には必要な、、退職金が、、、医師には無いという、、、

                  奥サンの労働力に任された「老老介護」をクリヤーするためには

               女性側の、、アスリート並みの日々の筋トレ仕事がたよりになりますね。

               2040年には、、
              少子化のあおりで、、
                 若者の手を借りられなくなる
                       老人の介護施設は

                         老老介護の為に備えて、、、

               女尊男脾、、???で、
                70過ぎた男性には、、炊事選択ryプリを教えて、、特訓して

                 女性が転んでも、、男性の家事能力で生き残れるという

                  爺婆の研修をしてはいかがでしょうね。

               70歳が学習の能力の最期のチャンスだと思いませんか???

               ふんぞり返っていた会社のお偉いさんたちも、、

                  やがては職を追われて一回の老人になった時、、、

               「僕はネ、、、もと、、社長でね,、、童貞だった、、、!」

                こんな自慢話は通じない老老介護の為にも

                下着や靴下手ぬぐいぐらいは、、自分で洗えて、、、

                 ご飯ぐらいは焚けて、、、
              サラダぐらいは、、かっぽじいてつくれるという

               牛乳と、、納豆と、、梅干しと、、ホウレン草と、、じゃが芋ニンジンンの

              扱いを知って、、、これに、、昆布とシイタケ、、、ブナシメジ、、お豆腐、、、

           煮物に、、豚小間を入れて、、出来上がりに卵をいれて蓋をして

            半熟入りの煮物が出来れば、、、80歳でも、、老老介護が出来ますよね。

             少子化が、、解決しないようなら、、、
           70歳に成ったら

             老老介護の基本家事を、、、
             男尊女卑の、、日本男児に教えるのが

            来たるべき、、,2040年の少子化、、、老人時代の先手必勝術ではないでしょうかね、、、

         

             
            
              

           
                    

                

             

      

           

             



                 

            

            
     

         一握りの自分のゴミだけ、、、自分時間に捨てているのか?

           私が、、、我が家のゴミは全部、、、自分が出したものとして

             かってに筋肉が、、、記憶していて、、、

               早朝、、、ゴミ捨てに行き、、、ついでに雪を搔いてしまい

             55年が過ぎていた。

          ことしの夏には、、、80歳になる、、、

         息子は、屋根に上るな、、、と、、、言うけれど、、、

         玄関の上の屋根の上に雪があるのが、、、気になって、、、

         2階の窓から、、、屋根に出て、、、
            雪を降ろして、、、
              正月を迎えて、、、ご機嫌です。

          玄関の小屋根の上の、、雪まで、、、
         誰も、、、気が付く人は居ないと思いますが

           長年の癖で、、、正月に、、、
            玄関の入り口に、、雪があるのが
           なんとなくしっくりしないのですね。

          ダンナさんは、、、雪を搔かないのではなくて、、、

           雪が気にならないのですね。

            ゴミがイッパイあっても、、、気にならないのですね、、、きっと??

           私は木になるから、、、各部屋のゴミ箱が
                       イッパイにならないうちに

                      定期的に集めて歩いてしまうから

                   ゴミ当番ンが、、、自分以外の人には行きませんね。

                 知人の居ない北海道に嫁ぎ、、、

                家庭の仕事に、全責任のある以上、、、

              自分の人生をするという、、、余裕が無かったですね。

              でも、、、80歳が目の前になって、、、屋根に登って、、、

             90センチの高さの窓を乗り越えて、、、来れるという、、、

            健康に感謝ですね。、、、もう、、、健康以外は、、、ほしいと思わない歳になりましたね。

           生きて来られたということそのものが、、、

             よく考えると、、、、運が良かっただけで、、、

                自分の実力とは関係なかったっと、、、

                  今年は、、、何事のおわしますかは、、、しらねども

               ありがたさに、、、手を合わせて、、、 

              能登半島の正月元旦の、、、天のなさり方に、、、

             何とも言えない、、、気持ちですね。

            一日も早く、、、立ち直って、、、新年の推進力を取り戻さねば、、、

           TVのニュースに、、、すっかりまいってしまって、、、

          何処から、、、元気を取り戻そうか、、、、?!

                とりあえず、、、北海道から、、、寝袋が贈られた事だけでも

               北国の寒さと、、、能登の寒さは、、、防げるの出は、、、と。

             人生の思い出の多い、、、能登半島や、、新潟や、、、

           、、佐渡島に行った日のことを思い出しながら、、、

             津波の事を考えると、、、
          天地の神様に、、、お手柔らかにと、、
        祈らずにはいられませんね。

        明日からは、、、日常を取り戻して、、、しっかり働き、、、日々の感謝を。
            
           

          
            
              

  

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