coronaが最も感染している頃の野球場は
TVが有るから、、、何とかなったものの
当時の過去のビデオを放送していたので、
ちょっとだけ、、、と思って観始めました。
観客性は、、、いろいろ工夫されてはいるものの
野球と言えば「応援」も,、、観るのが楽しいですよね。
今回は、3年前の、、、コロナの真っ最中の頃の野球ですが
ダルビッシュ投手の変化球は、、、楽しめましたね。
コロナのせいもあり、、、なのではと、、、思てしまいます
ダルビッシュ投手も、、、少しやせた感じに見えましたが
足は長いし、、、スタイルは良いし、、、ハンサムだし、、、
少年の頃から、、、大好きな投手ですが
今日の試合なんか見てると、、、、
ホント!!、、、変化球が多くて、、、
バッターは、、、何処に球が行ってしまうか???
こまっちゃうでしょうね、、、、三振が多かったですよネ。
カッター
スライダー
突然ストンと,、ボールがが落ちてゆく
右に、、左に、、
バッターからは、、
突然見えてた打てるはずのボールが消える球でしょうね
カラ振りですよね、、、
カーブ
曲がり方がすごいですよね、、、
スプリッタ-
チェンジアップ
剛速球の直球もすごい、、、ダルビッシュ選手ですが
今日のビデオの試合蛙では、、、、
直球は少なかったですね。
七色の玉を投げると言われている彼ですが
七色どころではないでしょね、、、バッターは三振

朝は大谷選手の大活躍を観ていて、、、夜は 「ワースポ ✖ MLB」
紅茶のテイバッグ一個で、、氷入れた紅茶で水分取り乍ら
札幌は摂氏 30度、、超えて、、、文字どうり
洗濯物を次々と、、洗濯機に入れると、、、後はTV
政治のニュース
戦争のニュース、、、
聴きとる精神力がなくなっちます。
夏バテです、、、、、、、、、

朝は、心旅と「牧野博士」
今日の牧野博士は、、、先日同様、、、
Nipponの大學の教授には,、居そうな気がする
大學の権威と、学問の純粋な使命の両立できない、、、タイプ、
名誉の為には、、、研究員も、私物化したい心。
特に、富太郎博士の若かりし頃のように
大学教育を受けて、卒業後研究室に残ったという経路の
正規のカリキュラムをすっ飛ばして、、、
いきなり民間から研究室に来た天才は
大學と世界の大學との考え方や
学会のルールや、、
研究発表の、、、論文の書き方や
発表の形式やルールが、、、
いまいち、、、自己流になるのは当然でしょうから
教授にとっても「私物化」することで
自分の笠のしたに入れてしまうことで
学会を引っ掻き回されない様にする立場でもあったのだろうと
名誉と栄光の為だけに、、、
牧野博士を私物化するとは思って見ていなかった。
牧野さんは、純粋な気持ちで、、、自分の名前だけで
論文を書き上げてしまうあたり
大學の使命と、世界とのつながり、
教授の立場、、、
牧野博士の知名度と、植物学会からの認知度など
今回の、学問そのものの私物化にいたるような、、
紛らわしい
牧野の論文が、個人名だけで出版されるという事は、
教授の言う事の方が、、、
知名度が上がったときの牧野の学会での立場と
大學関連の研究所や博物館、
諸々の周辺組織の協力のもとに
牧野博士になるころは、
受け入れられてゆかないと
学会は、、ある意味、、、戦場だから、、、
生きるか死ぬかの世界をクリヤーして、
東大教授に成られていると推察している反面
ドラマは、、、、間違っている牧野が主役だから、、、
難しいですよね。
「 野心のない牧野さんの心は、、普通の人に近いですよね。」
植物お宅,、、観たいな。
私の父も、、植物お宅でしたね。
明治生まれの父から、小学校の時に、
英語の辞書ぐらいの、、、牧野植物付感を買ってもらいました。
小学校に入る前です。
北大の農学部にあこがれていた父は
南紀で診療所をしながら、、、村の人の力を借りて
小学校の運動場から、石段を降りてゆく周りの畑を
植物園のような、花と薬草と、、野草園にしていました。
私はその時、
父の薬草園に
「ジギタリスの花 シオン、、、トリトマ、、、ホオズキ、、、グラジョウラス
ダリヤ、、、、ポンポンダリヤ なすび、、、、菊、、、いろいろな花も
周りに植えて有ったのを想いだします。
煙草の花、、、シャガ、、、
に植えない方がキレイな花も
患者さんに、追いかけられて、、、途中で診療に帰る父。
キンモクセイと、びっくりグミと、、、茶ノ木と、、昼顔と
ヤマモモの木には、、登って遊びました。
高野槇が、、ぐるりを取り巻く母屋の方には、、、
コザトの木がありました。
瓦屋根の二階に登って、柿をとって食べると
山猿の、、、幸せなひと時が、わかるような気がしました。
この年になると
簿か~~~幸せだな~あ、、
、加山雄三さんと湘南族の、、
ダイナミックな幸せとは
かなり違うようですが、、、
北海道で55年も、雪掻きして、、、家の中で過ごす人生は
南紀の山や、海を思い出すことが多いですね。
幸せになるのには、、、、真夏の真っ赤な太陽の下で
ヨットで、、、デート、、、
湘南の、、、太陽族の昭和の30年代の日本は
戦後の混沌とした、、、幸せを手探りした青春だったのかもしれませんね、
あの頃の、、、野球の華は、、、「長嶋さん」「王さん」「村山さん」
今は、メジャーの野球の選手が気になりますね。
大谷選手が出てくると、、、TVは野球に固定。
8月4日、、、逆転されたけど、、大谷選手の活躍は、、、、
チームの活躍の力と合わさって、、、本日は 残念でした。
仕事をしてから、、、休む時間に指だけ動かすから
日記帳というのは、、話が思い付きの羅列になってしまいますね。
時間のある時に、、推敲して、、整理することにシテ、、、と。
皆のサイトを見てみましょう。
日記は一時、、、お休み時間です。
そうそう、、、南紀の疎開中野診療所の周りや、
小学校にあがってゆく長い広い階段の周りに
父が、薬草園や花畑、、、なすびの畑をつくっていた話でしたよね。
戦争の心の傷が癒えた頃、、、母は、静岡のヤマハから
ピアノを取り寄せました。
長い旅で届けらたピアノを、、、3回も、、調律が気に入らないと言って
3回目には、、
音楽大学のピアノの調律師が遠路はるばる来てくれていましたっけ。
やっと気に入って、ショパン弾いて、ご機嫌だった母でしてね。
関藤先生という、、、美人で若くて、、、音楽の先生に
母がピアノのレッスンをしていました。
お帰りになる時
父は、自分の薬草園の中で咲いている「グラジョウラㇲの花」を
それはそれは、、美しい、、咲いたばかりの色とりどりの花束を
母の所に届けていました。
母は、、、子供達がいつも先生の授業を楽しみにしています、、、と言いながら
学校に、帰る先生に
「教室に飾ってください」と言って、渡していました。
学校は診療所の隣にありました・
その時の花束を象徴しているかのように
私は、、君子欄の実から、、芽を出した苗を
何十年も、、北国のヘアの中で育てえ居ます。
ことしも、、、3株の花が咲き、、、真夏の部屋の白いカーテンの
母のピアノの前で、鉢植えの花が咲いています。
これは去年の、、親の花です

四国には、牧野博士、、、
南紀にも、、、誇れる野人の様でありながら
高邁な学者魂の,、、クマクス博士がおりました。
白浜の3段壁の近くに、、、彼の博物館があります。
私は彼の、、、英文論文の単行本を、、、若き日に買って
年金の存在の、、大きな意味を知りました。
直接、、、外国の学会にアタックしていった彼と
脱藩して大志を抱いた坂本竜馬
ジョン万次郎、、、
そして、、、明治の20年頃に生れた、、母の父、、、
娘が7歳になった時、、、親戚に預けて、アメリカに留学していきました。
母を7歳で亡くした娘を日本において
父親である、、、私の爺ちゃんは
会え理化に留学して、、、先にロスやサンフランシスコに
日本人町の開拓している、、、カリフォルニアの砂漠の開拓を
師範学校の研究テーマにしていたようであった。
帰国してから「アメリカの砂漠に、、客土をして
緑地帯をつくる話などを聞かせてくれたことが有った。
母と結婚した生粋の東京で育って田舎を知らない父は
田舎の面白さの虜になっていったようでした。
診療代金お代りに持ってくるのは
鮎の友釣りの時の、、おとりとなる、、、立派な鮎でした。
小川の瀧の真下を掘って、、川の小石を並べて、、大きな石で囲った中に
患者さんが持って来てくれた鮎を、、楽しそうに,、飼っていました。
余談になりましたが、、、父はクマクス博士や
ジョン万次郎や、、、お爺ちゃんお様な
ダイナミックな自己主張の有る人が大好きだったようです。
南紀にも,クマクス博士のような
「単独で外国の学会に発表」という
各地区に大学のない和歌山らしい、学者の育ち方だと思いましたが
「 粘菌」という極めて、、海の底から隆起した火山の創った土壌が
長い年月で風化して、コケや粘菌の世界をつくっていったゾーンで
もし,、、クマクス博士が、大学を卒業して、研究室に残り
大學という組織から、
しかるべき立場で発表していたとしたら
粘菌の論文は、多くの学生にも紹介されて、
中高校の理科にも取り上げられt
後継者の研究者が、
大学を通しての研究費が獲得でき☜
紀州の大地の成り立ちと、
火山や火山の創りだす軽石的な空洞の多い
水分を多く含める、、コケや粘菌の発生しやすい
地学の分野からの、、、
コラボレーションした、、合同けんきゅうに発展して
後継者が、、
その粘菌の臨床的応用など、、、医学にも結び付けた
とんでもない薬品の発見意繋がっていたかもしれないと思えるように
学会は円周の一つのドットのように、、
、無数に規則どうり並んで
ルールを守り、、、円周と円周の中の中心という
学門が、、すべて一致するであろう、、、
未来につながる一点を目指して
学会のルールは、、教授も、研究者も,学生も、
学会発表は、、、
その研究にかかわった人物が多い方が良いと思って見ていた、
確かに、、、某先生のノーベル賞のように
単独の天才の研究の結果の功績という成り行きも有るけど、
先生は、、もともとは整形外科医で有り
医師仲間も居れば、、
研究仲間も
しかるべき組織に点在している
大学卒であり
医師であるから
発見された成果を、、惜しげなく
実際に臨床に役立てる方向の、、研究者や臨床現場に
礒自分の手で、、無償で配られて、、、
研究成果が実際に医療に反映して
苦しむ患者さんの藤の夜会に役立つ方向付けまで
ご自分でされるという、、、
「名誉と栄光の為には生きていない」という
高いモラルの医師でもいらしたことが
基礎医学の研究室や、、諸々の研究室傘下から
順番道理の事をしていたら、、、このようなすごい結果が出るまでに
人生はタイムアップになっていたかもしれない、、、
NHKの牧野博士が産まれるまでの大河ドラマを見ていて
男尊女卑の時代の長かった日本には、
もてる才能を、、、制度の為に、
世に出して貢献できなかった女性も多かったのではないかと
日本の政治家の、、、学問への理解の薄さを
研究成果をつなげてゆくという事の出来ない、、、
不思議な制度が
Nipponの研究者の質も落としてしまうのではなかろうか?
Nipponの研究分野への、、、予算、、
短期間ではあった、、が
弟は、、クマクスや、、、ジョン万次郎や
牧野富太郎や、、、
明治20年代ぐらいの生れなのに
南紀から、、東京に出て、青山師範(現代の筑波大の前身の師範学校)
卒業後、、、一人でアメリカに留学して
わつぃが出逢った爺ちゃんは60過ぎでは無かったろうか?
イメージと計算が合わないほど、、、若さがあり
その時は「南紀の疎開地の村の村長さんになっていて
東京から来た「早川、、、なんだかさん」という代議士と
ダムの建設のことで、、電気が無いのは先が見えないと、、、
最後の余生をかけていたようでした。
疎開地の和歌山の村で生まれた、、、弟、、、
戦後の日本の復活のシンボルになった「団塊の世代のおとこのこである」
Nippon緒戦後の復活を医学分野で貢献した、、、弟たちの世代は
政治の力で、、、最後まで研究を指せてほしかったと思うのは
戦後の復活の渦巻くエネルギーの中で
もみくちゃのなりながら、、、男尊女卑の世界を活きながらも
弟のような、、団塊の世代が、、、日本を、、もとのように
誇りある日本に戻す原動力だと信じたから
我が家も「男尊女卑のすごい所がありましたが、、、」
女性には、出産育児という、国への貢献が前提になっている時代でした。
10人兄弟などは、、、あちこちにいました。
少子化問題で、、、男の産休、、、この発想は
政治家さんらしいと思いますが
産休が有る事で、、、
子供は1人でよいという男性が増えたのでは??
私のダンナは戦争中野生れですが
産休などで育児するぐらいなら、、、子供はイラン、、、というぐらい
育児や、、家庭への責任の意識は少ないですね。
男に、育児や、台所に加わらせるぐらいなら
育児中や緒さん緒前後に
国の費用で、家政婦覇権をした方が、、、
よっぽど、、、親戚縁者も、、お金が出るとなると
若い者に、、偉そうに先輩して赤ちゃんンを世話出来て
お金の入る、、、婆ちゃんは、、、
アルバイトに来ると思いますよね。
ダンナなんか、、、産休とってくれたら、、、
女房は余計忙しくなるタイプですよね。
政治家さんは頭で考えるかもしれませんが
私の周りの男どもに、、、赤ちゃんお世話を頼んだら
おしっこの時はオムツを取り換えても
大の時は、、一旦あけて、、又もとにオムツを戻し
母さんが帰るまでには、、、赤ん坊は,、大が出せて気持ちが良いのもだから
転がりまわって、、、ダンナは傍でいびきかいていて
の詩歌になった背中の大を、、、剥がすという事もありました。
旦那の産休は、、、男の持って生まれた性格はヒグマと一緒で
少子化の大きな原因は、、、男性の育児参加が義務化しつつあるという
本能に逆らった政策だと思いますね、、、
出産手当、、育児手当、、、子守覇権代、、支給
要するに、、、若くて思いやりのない旦那の世代の、、どアナあいてる男の育児に
女性を豊かな状態にするという、、、お産後の一年を孤独にしない政策と
助っ人をウゴカセルお産手当、、、、
国を守る男の子の場合など
未来に国に尽くすのだから、、、赤ちゃんの時代に、、月給を出して
赤ちゃんが生まれると、、、婆ちゃんにも、兄弟姉妹にも
お金で育児を頼めるようにすればよいのと違うかな~~~
婆ちゃんの孤独も無くなって、、、受動する余生で呆けるより
赤ちゃんの世話で。。能動的になると、、、地方も減るのと違うかな??
3歳に成ったら、、国が保育園から大学まで、、、助っ人することで
子どもは産もうかな、、、☜なるのと違うかな??
子供を産んだ女性の老後はみじめになるのは困りますよね。
北海道などは、、、育児終わって老後は、、
嫁に来たものは「よそ者」に戻されるような、、、
地元優先の、、、排他的な風潮が、、残っていますよね。
政治家さんンは、、男の本性は、、、アンチ育児の細胞で成り立っているという事を
表面で誤解したら、、、結果は出なと思いますよ。
我が家のダンンは「医師をすること以外は、、、しませんね」
未だに、、新聞を自分で取りに行けない、、、。
無駄話になりまして横道だらけの日記帳です。
80才目の前の、、、バカっ婆ちゃん野、、ばかばか日記です。




がんセンターで、、検診研究に生涯をささげた研究者の医師たちも
50周年の時代に引き継ぐ世代交代の時期には
全く新しい勢力と入れ替わり、、、
研究予算も、国に寄付するような形
タマムシ色の政治力が介入して
独立法人と名前が変り
退職金は半分になり、、いきなりの
研究中断、、、定年という即時即決の、、身の振り方への、、不安定な状況になった
団塊の世代への、、、政治の政権交代で、、すごい仕打ちは
兄弟であっただけに、、、あいた口がふさがらないような、、、
尻切れトンボで、、、「独立法人へ」
そしてまた元の「国立の戻ったときは、、、中身が入れ替わっている」
知らないのは、、、、、直接、、、かかっていた患者さんお一人だった私など。
地方から、、東京まで、、、名医を探して、、命を持するために
此処に来るのは、、、異常状態の我が身に起きた、、、卵巣腫瘍の為だった。
かかりつけで、、術後の検診を受けようと上京すると
がんセンターは知らない顔になっていた。、、知っている先生は居なくなっていた。
がんセンターの独立法人に変わった事で、、、団塊の世代の老後は、、、一変したと思いますね、
外野の私は、、患者というだけで、、いろいろ教えてくれる人が
かかってきた先生が居なくなったと、、、嘆いていた。
生涯の研究成果の引き継ぎは、、、育てた部下から出ることはなく
全く別の、、、愛知県の方からの新勢力に引き継がれ
50周年で出版予定だった研究成果の未来への展望となる
総まとめの学会発表のチャンスは、、独立法人になる事で
税金の徴収、、、
研究費の返還、、、退職金の半額になった事、
政治の力で、、、同じに見えるのは建物だけになった段階で
再び、、、国立がんセンターとなったようである。
独立法人にしたのは、、、がんセンターの団塊の世代が実力で得てきた研究費や
退職金を。半額にするためだったのか?
外国では、、ホーキンズ博士の頭脳の中身が健在である間は
研究者は、、頭脳だから、、、臨床医は経験が宝だから、、、
政権交代で、、、2番じゃダメなものが、、有ると思いませんか?
高校三年間の勉強は、、限りあるものをやれば、、、有名大学に入れる時代の官僚が
日進月歩の世界情勢の変化で、、、答の有る問題のスーパーエリートの集団は
産休が有るから、、、男は子供をつくらない、、、少子化につながるという
答えのない考えが出来るだろうか??
人の子事にはプライドという、、自己制御のできない化け物が住み、
男のプライドのすごさが解るだけに、、、政策は、、数学ではないと、、思いますよね。
男が女を支配するのは良くないが
政治家が、、、立証できない男のプライド、、、仕事への執着、、、それを要素に加えないと
80才目の前の時代遅れの婆ちゃんは、、、本能で、、政治家の着眼点を変えないと
人間を育てる環境は、、、母と子供の「日々に、、変る楽しさ」の温存で
キャリアウ-まんに負けない、、、母親には、育児を要素に入れたトータルな
生涯設計の妙味を組み込むことで、、、
女性は、、独身コース
結婚、、離婚、、、育児コース
出産、育児、、、それから子供を施設に預ける
数多ある人間の出来上がるコースを、、、どれも健全遺すると
少子化は解決すると思いませんか?
母子家庭には、、、移り住む村落の過疎化を防げる育児を提供して
子連れ、、農村嫁は、、肩身が狭いどころか、、、
過疎の村アゲテのサポートで仲間になれる意識改革とか、、、
発想を、、男性は育児に向かない!!
思い遣りの方向が、、、とんでもない方を、、向いている。
究極の場で、、、自分をとるのが、、、男、、、
子の神経では、、子供の本当のピンチにキズカナイ
女の政治家は、、、ヅ脳明晰で美人なのに、、、脳のどこかに,、ど穴あいてるのと違うかというぐらい
国を預けるには、、、3本の毛が足りない議員が結構いるようですね。
国の勢力が、、、、「二番ではだめなのですか?」という女性議員の
予算をけずるだけの、狭量な理解の無さが

短期間の政権交代のあいだに起きてしまい
創設期からがんの早期発見
がんとともに勤務できる人生の確保、、、
人類のがんである、、不治の病と続けた医師は
CTを画像面でも
、 医師の診断麻為に必須であると欲するところの画像を映し出させる機械の開発、
医学の知識が基礎となった、画像そのものの研究に、
東芝の技術陣も合流した。円卓を囲んだような
発想の理想的な開発は、がんセンターの創設期の、ビルの廊下で寝泊まりしながら
少ない研究費の為、、、無給で、研究は2年間も続いたという事が
「がん回廊の朝」「明日への挑戦」など、、昭和の単行本として
TVドラマにもなって
民間の知る所田なって、
がんの早期発見で、、、死に至るがんの病は
勤務しながら、、同居して延命効果を測れる病にと代って行った。
男性に多い,前立線のがんなどは、、、ほぼほぼ、、
早期発見、、手術で、、、
命は助かる患者さんが出てきたのは、、昭和の時代もおわるころ、
Nippon の要人のがんの治癒の報道が
新聞で大きく報道された事でも、、、知る年代の人は知っている。
Nipponの要人の
画像診断のフィルムの最終チェックは、、、
東大も京大も、、がんセンターの検診検査長あてに
依頼してきているフィルムが 机の足元を区切る境目のように
並べられて、、いたのを、、、卵巣腫瘍で診断を受けた後
目前に置いて、、、影の実力者が、、、どんなに忙しくても
真摯に受け止めて、、
名誉とか、、栄光だけではない、、、
今、死なれては困るキーマンたちの
最終のチェックが、、、こんなところで
徹夜で
引き受けられていたのだと、、、
この先生は、
最後の画像診断のチェックを
借場の泊まり込んで読影していたのを思い出すのです。
国のVIP ,,東南アジアの王族家族、
東京大学の
トップの地位の、医師は、
家内の診断依頼するのなら、、
がんセンターのM先生だ!と
すでに数々の受賞をしている先生ではあるが
高ぶる事も無く、、、
最終診断を依頼されるトップの医師だった。
そして、、政権は鳩山さに移った。
政権交代、、退職金半分
税金2倍、、、
「 独立法人化。」
そしてまた、、、
退職金半分、、、独立法人化、、、そして
国は研究費を半分以下にけずって
がんセンターの創立にかかわったわけでもない、、、
愛知県の医師や研究者と入れ替えていった。
発足当時から努力の結晶で牽引してきて医師たちは
退職金は半分になった。
税金は過剰された。
がんの早期発見の仕事は軌道に乗り
外貨を稼げる部門として、、がん戦他のビルはどんどん発展した。
純粋に研究に没頭した医師たちの「50周年」の
研究の総集編に成であった、、、50年間の総まとめのファイルは「
後輩に受け継がれるべき研究論文としては日の目を見ないまま
がんセンターには、、、なんの功績も無いと言えそうな
東北の某大学から、、、カヤマサントカいう台風がやってきて
でん部を吹き飛ばして、、、世代交代で
創立からも功労のない、愛知県からの医師と入れ替えて
50周年の論文が出版されるはずの長きにわたる功労者の
研究費は没収
税金は増える
大将金は半分、、、
「二番じゃだめなんですか!!!と、、声だかに節約一辺倒に
医学的な価値のワカラナイ議員が
政治あKの権力で、、、経済的な稚風で
道路に逆さになった車のように
今まで,、がんセンターをけん引してきた医師は
新政権の「センゴクサント、、その派閥」によって
世代交代をさせられて、、、創生期からの医師たちも
がんセンターから居なくなって,、いた。
私はあの日から、、、検診していない。
まもなく、、「独立法人」にシテから、、、
経済的に、退職金半分、研究配布金の返納、、経済的な
創生期からの努力で積み上げられた外貨獲得や
勝因の退職費用など研究費も
返納した後、、、生涯の時間をがんの早期発見意尽くした
弟も、、、老後の為に、、、
生活費を考えたのかもしれない、、、
多くの紙の本として、、、
政権の都合で、、、ワンクリックで消えるかもしれないデジタルではなくて
がん戦他@の画像の発展とともに生きた成果を
13冊の紙の本として残したのであろう、、、、
この本を全部手に入れて、、、私は
兄弟が頑張った足跡を、、、兄弟が生きた温もりとして
研究は個人の努力でも、、国はそのすべてを
国が決めた後継者の前に
投げ出し、、、燃やしてしまうという事を
感じて、、、政権交代の、、、クレパスに行き当たった
団塊の世代の、、後期高齢者に、、、実績が評価されて
幸多き老後を送れますようにと、、、
祈る事しか出来ない、、、
世代交代の、断層を感じたのが
研究分野の、、時代とともに発展する事の
ITや医療ロボットのあいだに消えてゆく
デジタルへの、、、不連続な進展に、、一見見えるが
均衡を保てなくなるある種のデジタル下剋上に
アナログ的な先駆者の優秀な頭脳の表面の知識の砂鉄が
デジタルな磁石で、不規則にくっつけられる誤差のあいだに
最も人間らしい努力を重ねてきた
団塊の世代の弟たちが、、、
老人としての余生になって
何もしてあげる力のない、
時のは思い出すようなら,、、
お電話かけてください。
まだ痴呆には成っていませんから、
応答h出来ますよ、
アナログの感性がバランスを保っていた部分が
デジタルだけの不連続な次世代継承によって
ITとデジタルな統一世界の誤差は、、、、
偏差値70のアナログ人間を凌駕して
偏差値45のハンパなづ脳が
ITもPC も、、、スマホも使いこなして
Dーポイントを稼ぎながら、、、
無料で数多のアプリを使いこなして
アナログな偏差値70の優秀性は発揮されずに
支配されてゆくだろう。
スマホも、、d、ポイントも、、、
チンプン関珍の怖さが先行して
自分の電話番号を、、、
passwordにすることで
電話会社に、個人情報垂れ流しが始まり
悪のハッカーによって再起不能のダメージの
架空の借金を、、、クリック一つで負わされるような
億無を見て、、、飛び起きることが有る。
80に成ったら、、、、迷いを撤廃して、、
地道なアナログ人生を行こうと思ている。、
、、
、国立がんセンターに戻ったけれど
北海道から、、検査に行く気のしない、、、別人んで
かって通ったがんセンターは、、、
知人の先生の居ない
見知らぬ先生方で埋まっていた。
税金の召集、、、退職金の半分以下にした政治以下。
生涯貢献した研究実績は、、、はっぴょの機会を失って
彼は、、一言の不満文句でを言う前に
貴重な者も全部...断捨離してしまった。
現場に、、がんセンターの患者だった私は目の前で事実を見て
こんなところに、、、影の実力診断医が居たことを認識した。
50周年の目安で、、人生を捧げた研究成果を、、
次の代に継承すべく執筆していた、、奥のファイルは
発表の成果による、育てた関係者の手に、、
未来の指標を示すことが出来ないまま
独立法人化して、退職金は半額以下、、、
全く見知らぬ他大学の大学職員に引き継がれ、、、
残務整理に、がんセンター再訪問した研究者のs老医師に
若手の、、愛知から来たという医師が
その先生が、がんセンター立ち上げの時からの
艱難辛苦を乗り越えて、
日本に、CTやMRI、、ぺットCTなど、
世界を駆け巡って講演したり
時の政治の首相の健康診断医師としての相手であり、
某国立大学の総長クラスの先生方の御婦人や、
東南アジアの国王家族の診断など
国を背負う者の御婦人の健康の最終画像読影と
論文の査読、、日本の画像診断をけん引した医師は
「ここは、もう、、千葉大の先生方の来るところでは⒮りません、」
門前払いになったというから、、、
日本の政権交代は、、、
愛知県から、、がんセンターの創設期からの功労のある先生は
門前払いをされたという、、、勢力の入れ替わりが
独立法人という、、、そして、、、退職金半分以下、、、
研究費の没収、、、未知なる勢力への再配布、、、
戦後、、研究と臨床の総合の病院として
日本にも研究と臨床の両輪の病院が出来たという事で
医科大学の医局を享受のお許しを得て外部研究機関へと飛び出して、、、
日本の研究分野の嚆矢としてのがんセンターの成り立ちは
臨床医と研究分野の医師の皆の
希望の新型病院として昭和40年代に
発足したのでした。
研究者に理解の薄い日本の、夜明けでもあった。
医学分野の研究施設は臨床太結びつて
研究費用は患者さんのがんの早期発見で国も推奨できた
研究費の 獲得は、不治の病だった「がん」と共存できるという
がん細胞の早期発見早期治療で、、、東南アジアや外国からの
VIPの指名する検診センターは外貨も獲得した。
昭和天皇陛下 、平成天皇陛下の、、検診検査も
担当した組織ぐるみで、最後の読影の依頼は、ここを通過して
診断がなされたことは、、、民間のように
金銭がらみでなかったことにより
国の要人の画像の最期チェックは、実力ともなった長が自らの奉仕で
最後の診断のてぇっくをしていた、他人にはまねのできない
医師に必要な細胞の映し出されるCT画像を、世に出した研究者だった。
この先生が、自室の部屋いっぱいに、まとめた画像のファイルが
定年と、、ほぼ同時に来る50周年の総まとめの
後輩に引き継ぐための出版のファイルだったはずである。
東北から、、カヤマサンとか言う医師によって、
がんセンターの人員は総入れ替えになり
coronaの第9波にかからない、、
80近い婆ちゃんは
ほどの実力者だともしらずに
自分がコロナにかからないで
早朝買い物と
家の毎日の掃除と、
まだまだ、、、食堂に行ってもらいたくない旦那の為に
弁当持参していってもらうという、、、
食べたくなるような少量づつの、、、品数多くて一口弁当を
目下の仕事と心得て、、、
旦那は6回目の予防注射を受けて
早朝のタクシ-通勤で
月給の半分以上は交通費ですが、、、
仕事しか頭にない「医者バカですが、、、
病院では、患者さんからは何も受けとらないという規則が有るのですが
お手製の、いくらをつけたものなど、、
弁当箱に詰めて、、、旦那のフアンの婆ちゃんが
自宅に届けてくれた、弁当の入っていたミニバックに
私は、2食分の弁当を入れて、
札幌市から依頼された乳がん検診に出かけてゆくのを
この年になっても、検診してもよいという、
資格試験を通過しているダンナに免じて
旦那が先に旅だつまで、、、コロナでは死なない様にと、、、
マスク、、、閉じこもり、、、早朝買い物、、、
未だにコロナと闘い続けている、、、
年寄りには
5類になっても、、コロナがコワイ、、、平成23年の秋ですね。
旅行の一つも、、、申し込んではいません。
精神が、、健康なのは、、NHK 野地球規模のTVと、、、
今日は、、、「伊豆の踊子」で有名な
天城峠の登山番組に、、、癒されましたね!!
若き日に、、、40代の時に
私大に合格した息子の学費が払えなくって、、、薬剤師に復帰しようと
北大の薬学部の聴講生を受講して、、学生書が手に入ったおかげで
本州との合同、、植物探索の、、、
富士登山の、トリカブトの軍政のまま移動していく
附子の発芽の見学と、、、
樹海の植物の探索で
富士登山と、、青木が原の植物探索の日のことを思い出したのですよね、、、
感動しました!!!
ヒマラヤにも
北大の一行に勧誘されて、
登山をサポートしたという
野人の風格では有ったが、、
大学の教授の植物参謀が務まっていた助手の先生が
「植物に関しては、、薬剤師は、、、僕から言わせると
いまいちの奴が多い、、、」などと
生薬探索会の時、、、
「kikoさんよう、、、お前さんバカと違うか?
「イケマ」と「コイケマ」の区別もつかねえで、、、
生薬探索会もあったもんじゃねえよ」、、と
薬剤師の植物の見分けの甘さを指摘されt、、、
北大の植物園長とは、、ダンナも親しくしていただいていたので
「こんな生意気な事を、言われた、、」というと、、、
「あいつらしいよ、、、植物に関しては、、三橋教授も舌を巻いていた。」
それを聴いて、、北大の生薬学の聴講生となったのでした。
この叔父さんは、教授を体感される時、
この人は北大の植物学には必要な人だと太鼓判で、正規の助手として
教官になった人だと聴きました。
富士山の樹海の植物探索の時、
バスガイドが、、
一行が探索を得て
出てくる出口まで
バスを回して待っていますと言った。
私は、、南紀の山の中で13歳まで、、
わらじで「ソリ道を駈けて遊んだ山猿ですから!」
シメタ!!、、ナイフと、ビニール手提げと、手袋とタオルがあれば
こんな平らな林は、、、荷物は要らない、、、と思った。
リュックも、、弁当も、上着も、、全てバスに置いてきた。
しかし、、、ここは紀州では無かった。
富士の樹海は、魔物の住めるような。。地下壕や、、洞穴や
苔むした地面だと思って足を入れると、、ずぶずぶと良くも悪くも、、、
お化け屋敷のような、、迷い道だらけであった。
2時間ぐらいで、、、こんな平らな林は駆け抜けると
南紀の山のつもりでいた。
探索は、、地底の洞くつに生えている、、コケ類にまで
採取の許可が、リーダーの昭和大学の植物園長がゲットしていた。
昼が過ぎても、、、樹海からは出れないのだ。
昼過ぎに、、皆はリュックを降ろして、、、遅すぎる昼時の休みに入った。
私だけが、、、弁当はバスの中、、
、御ケツのポケットに缶ジュースが有るだけである。
北大聴講の指導教官である、、大学助手のおっちゃんは、、
「この、、バカ垂れの生徒に、、皆さん。、昼飯は分けないでください!!」
「このバカ垂れは、、
樹海に入るのに、、
リュックをバスに置いてくるという、、、
大自然の厳しさから、、
教えてやらねば、、、
つぎの登山探索には連れてゆけません!」
猿に、、餌をやらないでくださいって、、、
誰かが、、笑い転げた。
東京薬科大学の先生が、、
「kikoさん、、あいつ、、あっちに行っちゃったよ!」
「僕、、こんなに食べないから、、半分食べてよ、、、荷物軽くするの手伝ってよ」
私は、、思わず笑いがこみあげてきた、、、
「腹が減っては戦はできません、、、戴きます!」
「東京薬科大学はさすがに、、、お茶代の教授になってゆくような
女子大の先生も勤まるような、、、紳士であるな~~~!」
感謝とともに、、、原野でヒマラヤを踏破するタイプの北大教官と
世界のランの会を、東京ドーム開催するような東京の大學との
rディに対する、、、扱いが違うな~~~、、、と
自分野ドジを棚に上げて、、、後半は、、、
いこごちの良いその先生の、、、植物の説明を聴きながら
楽しく、、苔の世界の青木ヶ原の実習を、、快適に済ませて
その後は富士登山に向けて、出発したのでした。
今日の、、静岡の、天城越えの登山番組を見乍ら、、、
実に40年近く前の藤の探索登山を思い出しながら
懐かしさでイッパイだった。
北大の、、「猿に餌はやらないでください1」の
おっちゃん先生は、、、後日、対馬の植物探索会に連れて行ってくれました。
「kikoサンよ~~対馬はな、、、
500メートルの
ハイキングコース並みの低い山だよ」
南紀の山猿の私は、、、ズックで沢山だな、、、
500メートルの
植物探索なのだから、、、
九州の博多で待ち合わせて、、、植物園の職員らと合流しました。
鳥居をくぐって、、、散歩のつもりの山道を、、少し行くと、、、
なんとなんと、、!!、、
鎖のついた岩山登山が
500メートル近くまで続くのでした。
樹木リンもあるのですが、、、岩登りには閉口しましたね、、、
ズックの靴底は、、滑るし、、足は痛いし
、、、ハンカチを靴底に敷いて、
ともかく、鎖にぶら下がって
登頂成功!!
生薬学会からの許可書のもとに
地元の探索の植物採集の許可書を戴き。
椿の原種の種を採集。枝も戴いて、濡れハンカチと新聞紙に包んで持ち帰り
「発芽薬品につけて、、挿し木をして
、部屋で40年間も鉢植えにして同居してきました。
つぼみは出来るのですが、、、花が開かないで落ちてしまいます。
40年間に咲いたのは3回だけですが、、、
北海道の庭に地植えする気にならないで
50センチくらいの盆栽になった椿の原種を
「対馬ちゃん」と呼んで、、、私の同居人です。

NHK の、登山番組の中でも、、
日本の山を踏破している、、、彼が、、、
高野山の修験者の坊さんと、、、
お経の声を出しながら、、大峰山一帯の
修験者の道なき道をついて登るのを見乍ら、、、
少年の面持ちの残るころから
NHKの登山番組を見ているせいなのか、、、??
あの時ばかりは、、、
心の登山と、、、下腹からの発声法を知らない田中君が
体力消耗する、、、落とし穴に居るのを気の毒に思いながら
田中君だから、、、
修験者の、、発声法で体力の消耗しない登山に
呼吸困難になりながらも、、、ついて行けたのだと、、、
番組の企画の乱暴さに負けなかった田中君に
涙が出てくるほど、、、
無事でよかったね、、、!と、、
TVに何度も、、、話しかけました。
偉かったと思いました。

都の小池さんが
corona対策で、、必死に、、ホテルの部屋を確保して
医療崩壊を防ごうとしている位、、、
専門知識のない人に、、、医療の片棒を担がせることは
小池さん虐めになると思いながらも
やれる才媛は、、その人しかいないから、、、
見ているしかなかった。
小池さんは、、コロナ対策で、、タイヘンだったことは
思いやるしかありません、
素人の医学知識で、、、専門家の先頭を走らなければならないという
政治家の先生方の、、、苦行のような3年間を観てきましたが
医療体制は、、保健証書の一枚にしても
人の命がかかっている、、、専門家の台所に入り込み、、、
腕を振るうのと同じような気がしないでもありません。
専門知識と、、専門体験の現場を生涯の仕事にしている
医療関係者の中の
毛細血管や細かい神経の
首から上の発達と
首から下の神経の発達にいたるまで
網羅して、人の命の前に立っている医療スタッフのグループを
一枚のカードで、統括するのは、、、
二人と同じ人間老いない生命の人間を
パターン化して統括できる税金の収集事業のような
少ない次元ンをデジカるかするのとは異なった次元の問題を
無限大に含んでいるから、、、
量子力学を使ったパソコンが出ても
命を一派ひとからげに、、数字や二進法の世界で分類が出来ない
多次元のものが、、人間宇宙の未開の世界であるからして
頭の良い学生たちも、、、日進月歩で置いてけぼりになる可能性大の、、医師に
なりたいと、、、その力の多様性は、政治家によって統括されるような
無限の数字より、、、長年の感も、、
經驗も、、閃きにも似た神の御加護が無ければ
国民ナンバーで分類できる、、
統括できるという、、、
物理的なもののほかに
一生を通して命と向き合った
医療人の世界独特の、、、
精神を含めた、、専門家の世界に
政治家の知識と機械の便利さと、政治力の法律で
見えないものの取り巻いている命の世界に
便利さだけで、、切り込もうとしているという
医療人を、命の前に、、、ITロボットにして統括してしまえるような世界になるようで
生命のある人間は
デジタルな世界になっても、、、アナンログな生き物ですから
国民ナンバーは正しいことで押しまくってくると
遊びのないクラッチのようなもになって、、、
事故が起きる理由もわからないまま、、、
人命が救えない事故が起きると思いませんか?
医療だけは、、、政治家が
医療現場を体験するには、、国を預かるだけに
時間不足のデーターで考える事になると思いますよね。
人間世界は、、、デジタルではないですからね
最後のプライドを奪って、、政治の下僕として統括しようrとしたら
専門家になるまでに、、孤独な努力を積み重ねた医療の専門家は
精神が持たないでしょうね、、、
多くの子供を産み育てられるはずの医師の家庭には
莫大な税金がかかってきますから
医師になった息子は、、、
50近くになって結婚願望も
子供を持ちたいとも言いません。
少子化対策には、、、まず、、とりあえず
医師の家庭の税金を控除すると
人間にテーマを於いている医師は
一人っ子にして、、、付き合いや楽器参加を優先にして
日進月歩の医学についてゆく為のお金を節約するには
2人が限度だと、、勤務医は思いますよね。
政治家さんが思っている以上に
医師の家庭は、人様の3倍の努力で、
筋肉で、出費を抑えて、、、又、、頼られているというレベルを意識して
勝負服で頑張っているから、、、
贅沢な世界ではなくて、、
戦場なんですよね、、日々そのものが、、、
ホームラン打たないと
兜がかぶれないのですよね、、、きっと???



話はNHKの修験者との大峰山一帯の祈りの世界に入り、、、
医療と何の関係あるうのかな?、、、て思うでしょう??
修験者と同じことを指せる、、、発生は
田中君でなかったら死んでいたのではと、、思いました。
彼は、、登山のプロ中のプロだから
あの発声法で、、登頂成功したが、、、
NHKの企画は、、、今回ばかりは、、、私は、、、ハラハラして、、、
気の毒な田中さんの、無茶苦茶な試練を
お大師様の御加護が有ったのではないかと、、、
南紀の山の険しさを知り、、、
修験者の通る山には入らないという、、、危険を察知している地元の人は
一日にして、、修験者の同行二人の登山は、、
、もう、、、企画は考え直して
視聴者の、、婆ちゃんをハラハラ、、させないでね、、、
田中君、、、本当に、、、プロというのは、、、
スゴイもんだと、、、今回ばかりは、、、
知らないでついてゆくときは
声の出し方で、、、致命傷に近い体力の消耗が有ることを
体得してから、、こうした企画は実行に移すべきだと、、、
医療スタッフチームの、、薬剤師としての職業意識が立ち上がって
楽しむ前に、、、田中君の健康を祈って、、TVを観終わったときは
がっくり疲れてしまいました。
とても、、意義のある、、素晴らしい企画では有るのですが
このような、、声を出しながらの企画は
山中で、、思わぬ健康被害が出てしまうと、、、
助けられない、、、がけの上に居るような企画だったと思うのは
80歳に、、来年は、、、なろうという歳の
文字どうり、、、「老婆心が、、、」
この時ばかりは、、ムスコように思えた田中君の健康に絞って
見ていたせいなのだろう、、
他の人から言わせると
田中君の魂を、、大きな何かに導いてゆく
苦行の、、研ぎ澄まされた
登山番組だったとも、、、とれるから、、、
健康上、、何も起きなくてよかったと、、、
こういう番組は、企画の段階で、、、
田中君に、下腹から声を出す
腹話術を教えるべきなのかもしれませんね。
視聴者に、、見せる番組制作は
真似されることまでNHKは考えないと
NHKは、、皆のお手本で寿司、、科学的にも、学術的にも
皆が、、真似をしたい師匠格の位置にいることを考えると、「
これが、、高校生あたりに真似されると
なんで、、、山で、遭難したのか?
体調の変化が、、原因が、、声を出す発声法に有るなんて
誰も気が付かないのではないでしょうかね、、、
老婆心で余計な事を考えながら見てましたね。
この苦行をクリヤー出来た田中君は
ものすごくラッキーな悟りとともに
仏の御加護も
南紀の山の祈りに満ちた空間の
御加護を、、一身に集められるだけの
強者だったという事でしょう,、ゕ?
山の神仏に守られて、、良かったと思いましたね。
結果良ければすべてよし!!
NHK大好きだよ~~~!!

ワツィは寝不足で寝ぼけています、、、後で総点検して文章をコンパクトにして
推敲します、
TVが有るから、、、何とかなったものの
当時の過去のビデオを放送していたので、
ちょっとだけ、、、と思って観始めました。
観客性は、、、いろいろ工夫されてはいるものの
野球と言えば「応援」も,、、観るのが楽しいですよね。
今回は、3年前の、、、コロナの真っ最中の頃の野球ですが
ダルビッシュ投手の変化球は、、、楽しめましたね。
コロナのせいもあり、、、なのではと、、、思てしまいます
ダルビッシュ投手も、、、少しやせた感じに見えましたが
足は長いし、、、スタイルは良いし、、、ハンサムだし、、、
少年の頃から、、、大好きな投手ですが
今日の試合なんか見てると、、、、
ホント!!、、、変化球が多くて、、、
バッターは、、、何処に球が行ってしまうか???
こまっちゃうでしょうね、、、、三振が多かったですよネ。
カッター
スライダー
突然ストンと,、ボールがが落ちてゆく
右に、、左に、、
バッターからは、、
突然見えてた打てるはずのボールが消える球でしょうね
カラ振りですよね、、、
カーブ
曲がり方がすごいですよね、、、
スプリッタ-
チェンジアップ
剛速球の直球もすごい、、、ダルビッシュ選手ですが
今日のビデオの試合蛙では、、、、
直球は少なかったですね。
七色の玉を投げると言われている彼ですが
七色どころではないでしょね、、、バッターは三振

朝は大谷選手の大活躍を観ていて、、、夜は 「ワースポ ✖ MLB」
紅茶のテイバッグ一個で、、氷入れた紅茶で水分取り乍ら
札幌は摂氏 30度、、超えて、、、文字どうり
洗濯物を次々と、、洗濯機に入れると、、、後はTV
政治のニュース
戦争のニュース、、、
聴きとる精神力がなくなっちます。
夏バテです、、、、、、、、、

朝は、心旅と「牧野博士」

今日の牧野博士は、、、先日同様、、、
Nipponの大學の教授には,、居そうな気がする
大學の権威と、学問の純粋な使命の両立できない、、、タイプ、
名誉の為には、、、研究員も、私物化したい心。
特に、富太郎博士の若かりし頃のように
大学教育を受けて、卒業後研究室に残ったという経路の
正規のカリキュラムをすっ飛ばして、、、
いきなり民間から研究室に来た天才は
大學と世界の大學との考え方や
学会のルールや、、
研究発表の、、、論文の書き方や
発表の形式やルールが、、、
いまいち、、、自己流になるのは当然でしょうから
教授にとっても「私物化」することで
自分の笠のしたに入れてしまうことで
学会を引っ掻き回されない様にする立場でもあったのだろうと
名誉と栄光の為だけに、、、
牧野博士を私物化するとは思って見ていなかった。
牧野さんは、純粋な気持ちで、、、自分の名前だけで
論文を書き上げてしまうあたり
大學の使命と、世界とのつながり、
教授の立場、、、
牧野博士の知名度と、植物学会からの認知度など
今回の、学問そのものの私物化にいたるような、、
紛らわしい
牧野の論文が、個人名だけで出版されるという事は、
教授の言う事の方が、、、
知名度が上がったときの牧野の学会での立場と
大學関連の研究所や博物館、
諸々の周辺組織の協力のもとに
牧野博士になるころは、
受け入れられてゆかないと
学会は、、ある意味、、、戦場だから、、、
生きるか死ぬかの世界をクリヤーして、
東大教授に成られていると推察している反面
ドラマは、、、、間違っている牧野が主役だから、、、
難しいですよね。
「 野心のない牧野さんの心は、、普通の人に近いですよね。」
植物お宅,、、観たいな。
私の父も、、植物お宅でしたね。
明治生まれの父から、小学校の時に、
英語の辞書ぐらいの、、、牧野植物付感を買ってもらいました。
小学校に入る前です。
北大の農学部にあこがれていた父は
南紀で診療所をしながら、、、村の人の力を借りて
小学校の運動場から、石段を降りてゆく周りの畑を
植物園のような、花と薬草と、、野草園にしていました。
私はその時、
父の薬草園に
「ジギタリスの花 シオン、、、トリトマ、、、ホオズキ、、、グラジョウラス
ダリヤ、、、、ポンポンダリヤ なすび、、、、菊、、、いろいろな花も
周りに植えて有ったのを想いだします。
煙草の花、、、シャガ、、、
に植えない方がキレイな花も
患者さんに、追いかけられて、、、途中で診療に帰る父。
キンモクセイと、びっくりグミと、、、茶ノ木と、、昼顔と
ヤマモモの木には、、登って遊びました。
高野槇が、、ぐるりを取り巻く母屋の方には、、、
コザトの木がありました。
瓦屋根の二階に登って、柿をとって食べると
山猿の、、、幸せなひと時が、わかるような気がしました。
この年になると
簿か~~~幸せだな~あ、、
、加山雄三さんと湘南族の、、
ダイナミックな幸せとは
かなり違うようですが、、、
北海道で55年も、雪掻きして、、、家の中で過ごす人生は
南紀の山や、海を思い出すことが多いですね。
幸せになるのには、、、、真夏の真っ赤な太陽の下で
ヨットで、、、デート、、、
湘南の、、、太陽族の昭和の30年代の日本は
戦後の混沌とした、、、幸せを手探りした青春だったのかもしれませんね、
あの頃の、、、野球の華は、、、「長嶋さん」「王さん」「村山さん」
今は、メジャーの野球の選手が気になりますね。
大谷選手が出てくると、、、TVは野球に固定。
8月4日、、、逆転されたけど、、大谷選手の活躍は、、、、
チームの活躍の力と合わさって、、、本日は 残念でした。
仕事をしてから、、、休む時間に指だけ動かすから
日記帳というのは、、話が思い付きの羅列になってしまいますね。
時間のある時に、、推敲して、、整理することにシテ、、、と。
皆のサイトを見てみましょう。
日記は一時、、、お休み時間です。
そうそう、、、南紀の疎開中野診療所の周りや、
小学校にあがってゆく長い広い階段の周りに
父が、薬草園や花畑、、、なすびの畑をつくっていた話でしたよね。
戦争の心の傷が癒えた頃、、、母は、静岡のヤマハから
ピアノを取り寄せました。
長い旅で届けらたピアノを、、、3回も、、調律が気に入らないと言って
3回目には、、
音楽大学のピアノの調律師が遠路はるばる来てくれていましたっけ。
やっと気に入って、ショパン弾いて、ご機嫌だった母でしてね。
関藤先生という、、、美人で若くて、、、音楽の先生に
母がピアノのレッスンをしていました。
お帰りになる時
父は、自分の薬草園の中で咲いている「グラジョウラㇲの花」を
それはそれは、、美しい、、咲いたばかりの色とりどりの花束を
母の所に届けていました。
母は、、、子供達がいつも先生の授業を楽しみにしています、、、と言いながら
学校に、帰る先生に
「教室に飾ってください」と言って、渡していました。
学校は診療所の隣にありました・
その時の花束を象徴しているかのように
私は、、君子欄の実から、、芽を出した苗を
何十年も、、北国のヘアの中で育てえ居ます。
ことしも、、、3株の花が咲き、、、真夏の部屋の白いカーテンの
母のピアノの前で、鉢植えの花が咲いています。
これは去年の、、親の花です

四国には、牧野博士、、、
南紀にも、、、誇れる野人の様でありながら
高邁な学者魂の,、、クマクス博士がおりました。
白浜の3段壁の近くに、、、彼の博物館があります。
私は彼の、、、英文論文の単行本を、、、若き日に買って
年金の存在の、、大きな意味を知りました。
直接、、、外国の学会にアタックしていった彼と
脱藩して大志を抱いた坂本竜馬
ジョン万次郎、、、
そして、、、明治の20年頃に生れた、、母の父、、、
娘が7歳になった時、、、親戚に預けて、アメリカに留学していきました。
母を7歳で亡くした娘を日本において
父親である、、、私の爺ちゃんは
会え理化に留学して、、、先にロスやサンフランシスコに
日本人町の開拓している、、、カリフォルニアの砂漠の開拓を
師範学校の研究テーマにしていたようであった。
帰国してから「アメリカの砂漠に、、客土をして
緑地帯をつくる話などを聞かせてくれたことが有った。
母と結婚した生粋の東京で育って田舎を知らない父は
田舎の面白さの虜になっていったようでした。
診療代金お代りに持ってくるのは
鮎の友釣りの時の、、おとりとなる、、、立派な鮎でした。
小川の瀧の真下を掘って、、川の小石を並べて、、大きな石で囲った中に
患者さんが持って来てくれた鮎を、、楽しそうに,、飼っていました。
余談になりましたが、、、父はクマクス博士や
ジョン万次郎や、、、お爺ちゃんお様な
ダイナミックな自己主張の有る人が大好きだったようです。
南紀にも,クマクス博士のような
「単独で外国の学会に発表」という
各地区に大学のない和歌山らしい、学者の育ち方だと思いましたが
「 粘菌」という極めて、、海の底から隆起した火山の創った土壌が
長い年月で風化して、コケや粘菌の世界をつくっていったゾーンで
もし,、、クマクス博士が、大学を卒業して、研究室に残り
大學という組織から、
しかるべき立場で発表していたとしたら
粘菌の論文は、多くの学生にも紹介されて、
中高校の理科にも取り上げられt
後継者の研究者が、
大学を通しての研究費が獲得でき☜
紀州の大地の成り立ちと、
火山や火山の創りだす軽石的な空洞の多い
水分を多く含める、、コケや粘菌の発生しやすい
地学の分野からの、、、
コラボレーションした、、合同けんきゅうに発展して
後継者が、、
その粘菌の臨床的応用など、、、医学にも結び付けた
とんでもない薬品の発見意繋がっていたかもしれないと思えるように
学会は円周の一つのドットのように、、
、無数に規則どうり並んで
ルールを守り、、、円周と円周の中の中心という
学門が、、すべて一致するであろう、、、
未来につながる一点を目指して
学会のルールは、、教授も、研究者も,学生も、
学会発表は、、、
その研究にかかわった人物が多い方が良いと思って見ていた、
確かに、、、某先生のノーベル賞のように
単独の天才の研究の結果の功績という成り行きも有るけど、
先生は、、もともとは整形外科医で有り
医師仲間も居れば、、
研究仲間も
しかるべき組織に点在している
大学卒であり
医師であるから
発見された成果を、、惜しげなく
実際に臨床に役立てる方向の、、研究者や臨床現場に
礒自分の手で、、無償で配られて、、、
研究成果が実際に医療に反映して
苦しむ患者さんの藤の夜会に役立つ方向付けまで
ご自分でされるという、、、
「名誉と栄光の為には生きていない」という
高いモラルの医師でもいらしたことが
基礎医学の研究室や、、諸々の研究室傘下から
順番道理の事をしていたら、、、このようなすごい結果が出るまでに
人生はタイムアップになっていたかもしれない、、、
NHKの牧野博士が産まれるまでの大河ドラマを見ていて
男尊女卑の時代の長かった日本には、
もてる才能を、、、制度の為に、
世に出して貢献できなかった女性も多かったのではないかと
日本の政治家の、、、学問への理解の薄さを
研究成果をつなげてゆくという事の出来ない、、、
不思議な制度が
Nipponの研究者の質も落としてしまうのではなかろうか?
Nipponの研究分野への、、、予算、、
短期間ではあった、、が
弟は、、クマクスや、、、ジョン万次郎や
牧野富太郎や、、、
明治20年代ぐらいの生れなのに
南紀から、、東京に出て、青山師範(現代の筑波大の前身の師範学校)
卒業後、、、一人でアメリカに留学して
わつぃが出逢った爺ちゃんは60過ぎでは無かったろうか?
イメージと計算が合わないほど、、、若さがあり
その時は「南紀の疎開地の村の村長さんになっていて
東京から来た「早川、、、なんだかさん」という代議士と
ダムの建設のことで、、電気が無いのは先が見えないと、、、
最後の余生をかけていたようでした。
疎開地の和歌山の村で生まれた、、、弟、、、
戦後の日本の復活のシンボルになった「団塊の世代のおとこのこである」
Nippon緒戦後の復活を医学分野で貢献した、、、弟たちの世代は
政治の力で、、、最後まで研究を指せてほしかったと思うのは
戦後の復活の渦巻くエネルギーの中で
もみくちゃのなりながら、、、男尊女卑の世界を活きながらも
弟のような、、団塊の世代が、、、日本を、、もとのように
誇りある日本に戻す原動力だと信じたから
我が家も「男尊女卑のすごい所がありましたが、、、」
女性には、出産育児という、国への貢献が前提になっている時代でした。
10人兄弟などは、、、あちこちにいました。
少子化問題で、、、男の産休、、、この発想は
政治家さんらしいと思いますが
産休が有る事で、、、
子供は1人でよいという男性が増えたのでは??
私のダンナは戦争中野生れですが
産休などで育児するぐらいなら、、、子供はイラン、、、というぐらい
育児や、、家庭への責任の意識は少ないですね。
男に、育児や、台所に加わらせるぐらいなら
育児中や緒さん緒前後に
国の費用で、家政婦覇権をした方が、、、
よっぽど、、、親戚縁者も、、お金が出るとなると
若い者に、、偉そうに先輩して赤ちゃんンを世話出来て
お金の入る、、、婆ちゃんは、、、
アルバイトに来ると思いますよね。
ダンナなんか、、、産休とってくれたら、、、
女房は余計忙しくなるタイプですよね。
政治家さんは頭で考えるかもしれませんが
私の周りの男どもに、、、赤ちゃんお世話を頼んだら
おしっこの時はオムツを取り換えても
大の時は、、一旦あけて、、又もとにオムツを戻し
母さんが帰るまでには、、、赤ん坊は,、大が出せて気持ちが良いのもだから
転がりまわって、、、ダンナは傍でいびきかいていて
の詩歌になった背中の大を、、、剥がすという事もありました。
旦那の産休は、、、男の持って生まれた性格はヒグマと一緒で
少子化の大きな原因は、、、男性の育児参加が義務化しつつあるという
本能に逆らった政策だと思いますね、、、
出産手当、、育児手当、、、子守覇権代、、支給
要するに、、、若くて思いやりのない旦那の世代の、、どアナあいてる男の育児に
女性を豊かな状態にするという、、、お産後の一年を孤独にしない政策と
助っ人をウゴカセルお産手当、、、、
国を守る男の子の場合など
未来に国に尽くすのだから、、、赤ちゃんの時代に、、月給を出して
赤ちゃんが生まれると、、、婆ちゃんにも、兄弟姉妹にも
お金で育児を頼めるようにすればよいのと違うかな~~~
婆ちゃんの孤独も無くなって、、、受動する余生で呆けるより
赤ちゃんの世話で。。能動的になると、、、地方も減るのと違うかな??
3歳に成ったら、、国が保育園から大学まで、、、助っ人することで
子どもは産もうかな、、、☜なるのと違うかな??
子供を産んだ女性の老後はみじめになるのは困りますよね。
北海道などは、、、育児終わって老後は、、
嫁に来たものは「よそ者」に戻されるような、、、
地元優先の、、、排他的な風潮が、、残っていますよね。
政治家さんンは、、男の本性は、、、アンチ育児の細胞で成り立っているという事を
表面で誤解したら、、、結果は出なと思いますよ。
我が家のダンンは「医師をすること以外は、、、しませんね」
未だに、、新聞を自分で取りに行けない、、、。
無駄話になりまして横道だらけの日記帳です。
80才目の前の、、、バカっ婆ちゃん野、、ばかばか日記です。





がんセンターで、、検診研究に生涯をささげた研究者の医師たちも
50周年の時代に引き継ぐ世代交代の時期には
全く新しい勢力と入れ替わり、、、
研究予算も、国に寄付するような形
タマムシ色の政治力が介入して
独立法人と名前が変り
退職金は半分になり、、いきなりの
研究中断、、、定年という即時即決の、、身の振り方への、、不安定な状況になった
団塊の世代への、、、政治の政権交代で、、すごい仕打ちは
兄弟であっただけに、、、あいた口がふさがらないような、、、
尻切れトンボで、、、「独立法人へ」
そしてまた元の「国立の戻ったときは、、、中身が入れ替わっている」
知らないのは、、、、、直接、、、かかっていた患者さんお一人だった私など。
地方から、、東京まで、、、名医を探して、、命を持するために
此処に来るのは、、、異常状態の我が身に起きた、、、卵巣腫瘍の為だった。
かかりつけで、、術後の検診を受けようと上京すると
がんセンターは知らない顔になっていた。、、知っている先生は居なくなっていた。
がんセンターの独立法人に変わった事で、、、団塊の世代の老後は、、、一変したと思いますね、
外野の私は、、患者というだけで、、いろいろ教えてくれる人が
かかってきた先生が居なくなったと、、、嘆いていた。
生涯の研究成果の引き継ぎは、、、育てた部下から出ることはなく
全く別の、、、愛知県の方からの新勢力に引き継がれ
50周年で出版予定だった研究成果の未来への展望となる
総まとめの学会発表のチャンスは、、独立法人になる事で
税金の徴収、、、
研究費の返還、、、退職金の半額になった事、
政治の力で、、、同じに見えるのは建物だけになった段階で
再び、、、国立がんセンターとなったようである。
独立法人にしたのは、、、がんセンターの団塊の世代が実力で得てきた研究費や
退職金を。半額にするためだったのか?
外国では、、ホーキンズ博士の頭脳の中身が健在である間は
研究者は、、頭脳だから、、、臨床医は経験が宝だから、、、
政権交代で、、、2番じゃダメなものが、、有ると思いませんか?
高校三年間の勉強は、、限りあるものをやれば、、、有名大学に入れる時代の官僚が
日進月歩の世界情勢の変化で、、、答の有る問題のスーパーエリートの集団は
産休が有るから、、、男は子供をつくらない、、、少子化につながるという
答えのない考えが出来るだろうか??
人の子事にはプライドという、、自己制御のできない化け物が住み、
男のプライドのすごさが解るだけに、、、政策は、、数学ではないと、、思いますよね。
男が女を支配するのは良くないが
政治家が、、、立証できない男のプライド、、、仕事への執着、、、それを要素に加えないと
80才目の前の時代遅れの婆ちゃんは、、、本能で、、政治家の着眼点を変えないと
人間を育てる環境は、、、母と子供の「日々に、、変る楽しさ」の温存で
キャリアウ-まんに負けない、、、母親には、育児を要素に入れたトータルな
生涯設計の妙味を組み込むことで、、、
女性は、、独身コース
結婚、、離婚、、、育児コース
出産、育児、、、それから子供を施設に預ける
数多ある人間の出来上がるコースを、、、どれも健全遺すると
少子化は解決すると思いませんか?
母子家庭には、、、移り住む村落の過疎化を防げる育児を提供して
子連れ、、農村嫁は、、肩身が狭いどころか、、、
過疎の村アゲテのサポートで仲間になれる意識改革とか、、、
発想を、、男性は育児に向かない!!
思い遣りの方向が、、、とんでもない方を、、向いている。
究極の場で、、、自分をとるのが、、、男、、、
子の神経では、、子供の本当のピンチにキズカナイ
女の政治家は、、、ヅ脳明晰で美人なのに、、、脳のどこかに,、ど穴あいてるのと違うかというぐらい
国を預けるには、、、3本の毛が足りない議員が結構いるようですね。
国の勢力が、、、、「二番ではだめなのですか?」という女性議員の
予算をけずるだけの、狭量な理解の無さが

短期間の政権交代のあいだに起きてしまい
創設期からがんの早期発見
がんとともに勤務できる人生の確保、、、
人類のがんである、、不治の病と続けた医師は
CTを画像面でも
、 医師の診断麻為に必須であると欲するところの画像を映し出させる機械の開発、
医学の知識が基礎となった、画像そのものの研究に、
東芝の技術陣も合流した。円卓を囲んだような
発想の理想的な開発は、がんセンターの創設期の、ビルの廊下で寝泊まりしながら
少ない研究費の為、、、無給で、研究は2年間も続いたという事が
「がん回廊の朝」「明日への挑戦」など、、昭和の単行本として
TVドラマにもなって
民間の知る所田なって、
がんの早期発見で、、、死に至るがんの病は
勤務しながら、、同居して延命効果を測れる病にと代って行った。
男性に多い,前立線のがんなどは、、、ほぼほぼ、、
早期発見、、手術で、、、
命は助かる患者さんが出てきたのは、、昭和の時代もおわるころ、
Nippon の要人のがんの治癒の報道が
新聞で大きく報道された事でも、、、知る年代の人は知っている。
Nipponの要人の
画像診断のフィルムの最終チェックは、、、
東大も京大も、、がんセンターの検診検査長あてに
依頼してきているフィルムが 机の足元を区切る境目のように
並べられて、、いたのを、、、卵巣腫瘍で診断を受けた後
目前に置いて、、、影の実力者が、、、どんなに忙しくても
真摯に受け止めて、、
名誉とか、、栄光だけではない、、、
今、死なれては困るキーマンたちの
最終のチェックが、、、こんなところで
徹夜で
引き受けられていたのだと、、、
この先生は、
最後の画像診断のチェックを
借場の泊まり込んで読影していたのを思い出すのです。
国のVIP ,,東南アジアの王族家族、
東京大学の
トップの地位の、医師は、
家内の診断依頼するのなら、、
がんセンターのM先生だ!と
すでに数々の受賞をしている先生ではあるが
高ぶる事も無く、、、
最終診断を依頼されるトップの医師だった。
そして、、政権は鳩山さに移った。
政権交代、、退職金半分
税金2倍、、、
「 独立法人化。」
そしてまた、、、
退職金半分、、、独立法人化、、、そして
国は研究費を半分以下にけずって
がんセンターの創立にかかわったわけでもない、、、
愛知県の医師や研究者と入れ替えていった。
発足当時から努力の結晶で牽引してきて医師たちは
退職金は半分になった。
税金は過剰された。
がんの早期発見の仕事は軌道に乗り
外貨を稼げる部門として、、がん戦他のビルはどんどん発展した。
純粋に研究に没頭した医師たちの「50周年」の
研究の総集編に成であった、、、50年間の総まとめのファイルは「
後輩に受け継がれるべき研究論文としては日の目を見ないまま
がんセンターには、、、なんの功績も無いと言えそうな
東北の某大学から、、、カヤマサントカいう台風がやってきて
でん部を吹き飛ばして、、、世代交代で
創立からも功労のない、愛知県からの医師と入れ替えて
50周年の論文が出版されるはずの長きにわたる功労者の
研究費は没収
税金は増える
大将金は半分、、、
「二番じゃだめなんですか!!!と、、声だかに節約一辺倒に
医学的な価値のワカラナイ議員が
政治あKの権力で、、、経済的な稚風で
道路に逆さになった車のように
今まで,、がんセンターをけん引してきた医師は
新政権の「センゴクサント、、その派閥」によって
世代交代をさせられて、、、創生期からの医師たちも
がんセンターから居なくなって,、いた。
私はあの日から、、、検診していない。
まもなく、、「独立法人」にシテから、、、
経済的に、退職金半分、研究配布金の返納、、経済的な
創生期からの努力で積み上げられた外貨獲得や
勝因の退職費用など研究費も
返納した後、、、生涯の時間をがんの早期発見意尽くした
弟も、、、老後の為に、、、
生活費を考えたのかもしれない、、、
多くの紙の本として、、、
政権の都合で、、、ワンクリックで消えるかもしれないデジタルではなくて
がん戦他@の画像の発展とともに生きた成果を
13冊の紙の本として残したのであろう、、、、
この本を全部手に入れて、、、私は
兄弟が頑張った足跡を、、、兄弟が生きた温もりとして
研究は個人の努力でも、、国はそのすべてを
国が決めた後継者の前に
投げ出し、、、燃やしてしまうという事を
感じて、、、政権交代の、、、クレパスに行き当たった
団塊の世代の、、後期高齢者に、、、実績が評価されて
幸多き老後を送れますようにと、、、
祈る事しか出来ない、、、
世代交代の、断層を感じたのが
研究分野の、、時代とともに発展する事の
ITや医療ロボットのあいだに消えてゆく
デジタルへの、、、不連続な進展に、、一見見えるが
均衡を保てなくなるある種のデジタル下剋上に
アナログ的な先駆者の優秀な頭脳の表面の知識の砂鉄が
デジタルな磁石で、不規則にくっつけられる誤差のあいだに
最も人間らしい努力を重ねてきた
団塊の世代の弟たちが、、、
老人としての余生になって
何もしてあげる力のない、
時のは思い出すようなら,、、
お電話かけてください。
まだ痴呆には成っていませんから、
応答h出来ますよ、
アナログの感性がバランスを保っていた部分が
デジタルだけの不連続な次世代継承によって
ITとデジタルな統一世界の誤差は、、、、
偏差値70のアナログ人間を凌駕して
偏差値45のハンパなづ脳が
ITもPC も、、、スマホも使いこなして
Dーポイントを稼ぎながら、、、
無料で数多のアプリを使いこなして
アナログな偏差値70の優秀性は発揮されずに
支配されてゆくだろう。
スマホも、、d、ポイントも、、、
チンプン関珍の怖さが先行して
自分の電話番号を、、、
passwordにすることで
電話会社に、個人情報垂れ流しが始まり
悪のハッカーによって再起不能のダメージの
架空の借金を、、、クリック一つで負わされるような
億無を見て、、、飛び起きることが有る。
80に成ったら、、、、迷いを撤廃して、、
地道なアナログ人生を行こうと思ている。、
、、
、国立がんセンターに戻ったけれど
北海道から、、検査に行く気のしない、、、別人んで
かって通ったがんセンターは、、、
知人の先生の居ない
見知らぬ先生方で埋まっていた。
税金の召集、、、退職金の半分以下にした政治以下。
生涯貢献した研究実績は、、、はっぴょの機会を失って
彼は、、一言の不満文句でを言う前に
貴重な者も全部...断捨離してしまった。
現場に、、がんセンターの患者だった私は目の前で事実を見て
こんなところに、、、影の実力診断医が居たことを認識した。
50周年の目安で、、人生を捧げた研究成果を、、
次の代に継承すべく執筆していた、、奥のファイルは
発表の成果による、育てた関係者の手に、、
未来の指標を示すことが出来ないまま
独立法人化して、退職金は半額以下、、、
全く見知らぬ他大学の大学職員に引き継がれ、、、
残務整理に、がんセンター再訪問した研究者のs老医師に
若手の、、愛知から来たという医師が
その先生が、がんセンター立ち上げの時からの
艱難辛苦を乗り越えて、
日本に、CTやMRI、、ぺットCTなど、
世界を駆け巡って講演したり
時の政治の首相の健康診断医師としての相手であり、
某国立大学の総長クラスの先生方の御婦人や、
東南アジアの国王家族の診断など
国を背負う者の御婦人の健康の最終画像読影と
論文の査読、、日本の画像診断をけん引した医師は
「ここは、もう、、千葉大の先生方の来るところでは⒮りません、」
門前払いになったというから、、、
日本の政権交代は、、、
愛知県から、、がんセンターの創設期からの功労のある先生は
門前払いをされたという、、、勢力の入れ替わりが
独立法人という、、、そして、、、退職金半分以下、、、
研究費の没収、、、未知なる勢力への再配布、、、
戦後、、研究と臨床の総合の病院として
日本にも研究と臨床の両輪の病院が出来たという事で
医科大学の医局を享受のお許しを得て外部研究機関へと飛び出して、、、
日本の研究分野の嚆矢としてのがんセンターの成り立ちは
臨床医と研究分野の医師の皆の
希望の新型病院として昭和40年代に
発足したのでした。
研究者に理解の薄い日本の、夜明けでもあった。
医学分野の研究施設は臨床太結びつて
研究費用は患者さんのがんの早期発見で国も推奨できた
研究費の 獲得は、不治の病だった「がん」と共存できるという
がん細胞の早期発見早期治療で、、、東南アジアや外国からの
VIPの指名する検診センターは外貨も獲得した。
昭和天皇陛下 、平成天皇陛下の、、検診検査も
担当した組織ぐるみで、最後の読影の依頼は、ここを通過して
診断がなされたことは、、、民間のように
金銭がらみでなかったことにより
国の要人の画像の最期チェックは、実力ともなった長が自らの奉仕で
最後の診断のてぇっくをしていた、他人にはまねのできない
医師に必要な細胞の映し出されるCT画像を、世に出した研究者だった。
この先生が、自室の部屋いっぱいに、まとめた画像のファイルが
定年と、、ほぼ同時に来る50周年の総まとめの
後輩に引き継ぐための出版のファイルだったはずである。
東北から、、カヤマサンとか言う医師によって、
がんセンターの人員は総入れ替えになり
coronaの第9波にかからない、、
80近い婆ちゃんは
ほどの実力者だともしらずに
自分がコロナにかからないで
早朝買い物と
家の毎日の掃除と、
まだまだ、、、食堂に行ってもらいたくない旦那の為に
弁当持参していってもらうという、、、
食べたくなるような少量づつの、、、品数多くて一口弁当を
目下の仕事と心得て、、、
旦那は6回目の予防注射を受けて
早朝のタクシ-通勤で
月給の半分以上は交通費ですが、、、
仕事しか頭にない「医者バカですが、、、
病院では、患者さんからは何も受けとらないという規則が有るのですが
お手製の、いくらをつけたものなど、、
弁当箱に詰めて、、、旦那のフアンの婆ちゃんが
自宅に届けてくれた、弁当の入っていたミニバックに
私は、2食分の弁当を入れて、
札幌市から依頼された乳がん検診に出かけてゆくのを
この年になっても、検診してもよいという、
資格試験を通過しているダンナに免じて
旦那が先に旅だつまで、、、コロナでは死なない様にと、、、
マスク、、、閉じこもり、、、早朝買い物、、、
未だにコロナと闘い続けている、、、
年寄りには
5類になっても、、コロナがコワイ、、、平成23年の秋ですね。
旅行の一つも、、、申し込んではいません。
精神が、、健康なのは、、NHK 野地球規模のTVと、、、
今日は、、、「伊豆の踊子」で有名な
天城峠の登山番組に、、、癒されましたね!!
若き日に、、、40代の時に
私大に合格した息子の学費が払えなくって、、、薬剤師に復帰しようと
北大の薬学部の聴講生を受講して、、学生書が手に入ったおかげで
本州との合同、、植物探索の、、、
富士登山の、トリカブトの軍政のまま移動していく
附子の発芽の見学と、、、
樹海の植物の探索で
富士登山と、、青木が原の植物探索の日のことを思い出したのですよね、、、
感動しました!!!
ヒマラヤにも
北大の一行に勧誘されて、
登山をサポートしたという
野人の風格では有ったが、、
大学の教授の植物参謀が務まっていた助手の先生が
「植物に関しては、、薬剤師は、、、僕から言わせると
いまいちの奴が多い、、、」などと
生薬探索会の時、、、
「kikoさんよう、、、お前さんバカと違うか?
「イケマ」と「コイケマ」の区別もつかねえで、、、
生薬探索会もあったもんじゃねえよ」、、と
薬剤師の植物の見分けの甘さを指摘されt、、、
北大の植物園長とは、、ダンナも親しくしていただいていたので
「こんな生意気な事を、言われた、、」というと、、、
「あいつらしいよ、、、植物に関しては、、三橋教授も舌を巻いていた。」
それを聴いて、、北大の生薬学の聴講生となったのでした。
この叔父さんは、教授を体感される時、
この人は北大の植物学には必要な人だと太鼓判で、正規の助手として
教官になった人だと聴きました。
富士山の樹海の植物探索の時、
バスガイドが、、
一行が探索を得て
出てくる出口まで
バスを回して待っていますと言った。
私は、、南紀の山の中で13歳まで、、
わらじで「ソリ道を駈けて遊んだ山猿ですから!」
シメタ!!、、ナイフと、ビニール手提げと、手袋とタオルがあれば
こんな平らな林は、、、荷物は要らない、、、と思った。
リュックも、、弁当も、上着も、、全てバスに置いてきた。
しかし、、、ここは紀州では無かった。
富士の樹海は、魔物の住めるような。。地下壕や、、洞穴や
苔むした地面だと思って足を入れると、、ずぶずぶと良くも悪くも、、、
お化け屋敷のような、、迷い道だらけであった。
2時間ぐらいで、、、こんな平らな林は駆け抜けると
南紀の山のつもりでいた。
探索は、、地底の洞くつに生えている、、コケ類にまで
採取の許可が、リーダーの昭和大学の植物園長がゲットしていた。
昼が過ぎても、、、樹海からは出れないのだ。
昼過ぎに、、皆はリュックを降ろして、、、遅すぎる昼時の休みに入った。
私だけが、、、弁当はバスの中、、
、御ケツのポケットに缶ジュースが有るだけである。
北大聴講の指導教官である、、大学助手のおっちゃんは、、
「この、、バカ垂れの生徒に、、皆さん。、昼飯は分けないでください!!」
「このバカ垂れは、、
樹海に入るのに、、
リュックをバスに置いてくるという、、、
大自然の厳しさから、、
教えてやらねば、、、
つぎの登山探索には連れてゆけません!」
猿に、、餌をやらないでくださいって、、、
誰かが、、笑い転げた。
東京薬科大学の先生が、、
「kikoさん、、あいつ、、あっちに行っちゃったよ!」
「僕、、こんなに食べないから、、半分食べてよ、、、荷物軽くするの手伝ってよ」
私は、、思わず笑いがこみあげてきた、、、
「腹が減っては戦はできません、、、戴きます!」
「東京薬科大学はさすがに、、、お茶代の教授になってゆくような
女子大の先生も勤まるような、、、紳士であるな~~~!」
感謝とともに、、、原野でヒマラヤを踏破するタイプの北大教官と
世界のランの会を、東京ドーム開催するような東京の大學との
rディに対する、、、扱いが違うな~~~、、、と
自分野ドジを棚に上げて、、、後半は、、、
いこごちの良いその先生の、、、植物の説明を聴きながら
楽しく、、苔の世界の青木ヶ原の実習を、、快適に済ませて
その後は富士登山に向けて、出発したのでした。
今日の、、静岡の、天城越えの登山番組を見乍ら、、、
実に40年近く前の藤の探索登山を思い出しながら
懐かしさでイッパイだった。
北大の、、「猿に餌はやらないでください1」の
おっちゃん先生は、、、後日、対馬の植物探索会に連れて行ってくれました。
「kikoサンよ~~対馬はな、、、
500メートルの
ハイキングコース並みの低い山だよ」
南紀の山猿の私は、、、ズックで沢山だな、、、
500メートルの
植物探索なのだから、、、
九州の博多で待ち合わせて、、、植物園の職員らと合流しました。
鳥居をくぐって、、、散歩のつもりの山道を、、少し行くと、、、
なんとなんと、、!!、、
鎖のついた岩山登山が
500メートル近くまで続くのでした。
樹木リンもあるのですが、、、岩登りには閉口しましたね、、、
ズックの靴底は、、滑るし、、足は痛いし
、、、ハンカチを靴底に敷いて、
ともかく、鎖にぶら下がって
登頂成功!!
生薬学会からの許可書のもとに
地元の探索の植物採集の許可書を戴き。
椿の原種の種を採集。枝も戴いて、濡れハンカチと新聞紙に包んで持ち帰り
「発芽薬品につけて、、挿し木をして
、部屋で40年間も鉢植えにして同居してきました。
つぼみは出来るのですが、、、花が開かないで落ちてしまいます。
40年間に咲いたのは3回だけですが、、、
北海道の庭に地植えする気にならないで
50センチくらいの盆栽になった椿の原種を
「対馬ちゃん」と呼んで、、、私の同居人です。

NHK の、登山番組の中でも、、
日本の山を踏破している、、、彼が、、、
高野山の修験者の坊さんと、、、
お経の声を出しながら、、大峰山一帯の
修験者の道なき道をついて登るのを見乍ら、、、
少年の面持ちの残るころから
NHKの登山番組を見ているせいなのか、、、??
あの時ばかりは、、、
心の登山と、、、下腹からの発声法を知らない田中君が
体力消耗する、、、落とし穴に居るのを気の毒に思いながら
田中君だから、、、
修験者の、、発声法で体力の消耗しない登山に
呼吸困難になりながらも、、、ついて行けたのだと、、、
番組の企画の乱暴さに負けなかった田中君に
涙が出てくるほど、、、
無事でよかったね、、、!と、、
TVに何度も、、、話しかけました。
偉かったと思いました。

都の小池さんが
corona対策で、、必死に、、ホテルの部屋を確保して
医療崩壊を防ごうとしている位、、、
専門知識のない人に、、、医療の片棒を担がせることは
小池さん虐めになると思いながらも
やれる才媛は、、その人しかいないから、、、
見ているしかなかった。
小池さんは、、コロナ対策で、、タイヘンだったことは
思いやるしかありません、
素人の医学知識で、、、専門家の先頭を走らなければならないという
政治家の先生方の、、、苦行のような3年間を観てきましたが
医療体制は、、保健証書の一枚にしても
人の命がかかっている、、、専門家の台所に入り込み、、、
腕を振るうのと同じような気がしないでもありません。
専門知識と、、専門体験の現場を生涯の仕事にしている
医療関係者の中の
毛細血管や細かい神経の
首から上の発達と
首から下の神経の発達にいたるまで
網羅して、人の命の前に立っている医療スタッフのグループを
一枚のカードで、統括するのは、、、
二人と同じ人間老いない生命の人間を
パターン化して統括できる税金の収集事業のような
少ない次元ンをデジカるかするのとは異なった次元の問題を
無限大に含んでいるから、、、
量子力学を使ったパソコンが出ても
命を一派ひとからげに、、数字や二進法の世界で分類が出来ない
多次元のものが、、人間宇宙の未開の世界であるからして
頭の良い学生たちも、、、日進月歩で置いてけぼりになる可能性大の、、医師に
なりたいと、、、その力の多様性は、政治家によって統括されるような
無限の数字より、、、長年の感も、、
經驗も、、閃きにも似た神の御加護が無ければ
国民ナンバーで分類できる、、
統括できるという、、、
物理的なもののほかに
一生を通して命と向き合った
医療人の世界独特の、、、
精神を含めた、、専門家の世界に
政治家の知識と機械の便利さと、政治力の法律で
見えないものの取り巻いている命の世界に
便利さだけで、、切り込もうとしているという
医療人を、命の前に、、、ITロボットにして統括してしまえるような世界になるようで
生命のある人間は
デジタルな世界になっても、、、アナンログな生き物ですから
国民ナンバーは正しいことで押しまくってくると
遊びのないクラッチのようなもになって、、、
事故が起きる理由もわからないまま、、、
人命が救えない事故が起きると思いませんか?
医療だけは、、、政治家が
医療現場を体験するには、、国を預かるだけに
時間不足のデーターで考える事になると思いますよね。
人間世界は、、、デジタルではないですからね
最後のプライドを奪って、、政治の下僕として統括しようrとしたら
専門家になるまでに、、孤独な努力を積み重ねた医療の専門家は
精神が持たないでしょうね、、、
多くの子供を産み育てられるはずの医師の家庭には
莫大な税金がかかってきますから
医師になった息子は、、、
50近くになって結婚願望も
子供を持ちたいとも言いません。
少子化対策には、、、まず、、とりあえず
医師の家庭の税金を控除すると
人間にテーマを於いている医師は
一人っ子にして、、、付き合いや楽器参加を優先にして
日進月歩の医学についてゆく為のお金を節約するには
2人が限度だと、、勤務医は思いますよね。
政治家さんが思っている以上に
医師の家庭は、人様の3倍の努力で、
筋肉で、出費を抑えて、、、又、、頼られているというレベルを意識して
勝負服で頑張っているから、、、
贅沢な世界ではなくて、、
戦場なんですよね、、日々そのものが、、、
ホームラン打たないと
兜がかぶれないのですよね、、、きっと???



話はNHKの修験者との大峰山一帯の祈りの世界に入り、、、
医療と何の関係あるうのかな?、、、て思うでしょう??
修験者と同じことを指せる、、、発生は
田中君でなかったら死んでいたのではと、、思いました。
彼は、、登山のプロ中のプロだから
あの発声法で、、登頂成功したが、、、
NHKの企画は、、、今回ばかりは、、、私は、、、ハラハラして、、、
気の毒な田中さんの、無茶苦茶な試練を
お大師様の御加護が有ったのではないかと、、、
南紀の山の険しさを知り、、、
修験者の通る山には入らないという、、、危険を察知している地元の人は
一日にして、、修験者の同行二人の登山は、、
、もう、、、企画は考え直して
視聴者の、、婆ちゃんをハラハラ、、させないでね、、、
田中君、、、本当に、、、プロというのは、、、
スゴイもんだと、、、今回ばかりは、、、
知らないでついてゆくときは
声の出し方で、、、致命傷に近い体力の消耗が有ることを
体得してから、、こうした企画は実行に移すべきだと、、、
医療スタッフチームの、、薬剤師としての職業意識が立ち上がって
楽しむ前に、、、田中君の健康を祈って、、TVを観終わったときは
がっくり疲れてしまいました。
とても、、意義のある、、素晴らしい企画では有るのですが
このような、、声を出しながらの企画は
山中で、、思わぬ健康被害が出てしまうと、、、
助けられない、、、がけの上に居るような企画だったと思うのは
80歳に、、来年は、、、なろうという歳の
文字どうり、、、「老婆心が、、、」
この時ばかりは、、ムスコように思えた田中君の健康に絞って
見ていたせいなのだろう、、
他の人から言わせると
田中君の魂を、、大きな何かに導いてゆく
苦行の、、研ぎ澄まされた
登山番組だったとも、、、とれるから、、、
健康上、、何も起きなくてよかったと、、、
こういう番組は、企画の段階で、、、
田中君に、下腹から声を出す
腹話術を教えるべきなのかもしれませんね。
視聴者に、、見せる番組制作は
真似されることまでNHKは考えないと
NHKは、、皆のお手本で寿司、、科学的にも、学術的にも
皆が、、真似をしたい師匠格の位置にいることを考えると、「
これが、、高校生あたりに真似されると
なんで、、、山で、遭難したのか?
体調の変化が、、原因が、、声を出す発声法に有るなんて
誰も気が付かないのではないでしょうかね、、、
老婆心で余計な事を考えながら見てましたね。
この苦行をクリヤー出来た田中君は
ものすごくラッキーな悟りとともに
仏の御加護も
南紀の山の祈りに満ちた空間の
御加護を、、一身に集められるだけの
強者だったという事でしょう,、ゕ?
山の神仏に守られて、、良かったと思いましたね。
結果良ければすべてよし!!
NHK大好きだよ~~~!!

ワツィは寝不足で寝ぼけています、、、後で総点検して文章をコンパクトにして
推敲します、

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