昨日とはうって変わり静かに始まりそうなきまま舎です。
お天気も曇り空で落ち着いています。
朝、ランチの予約が入っていないと
今日はどなたかいらしてくださるのかしら~
それとも寂しくすごす事になるのかしら~と一人物思いにふける事があります。
物思いにふけるといえば、もうすぐ母の日。
どんな人にも母はいる。
たとえ、子供に恵まれない人でも必ず母親との関係は存在するわけで
自分が親になってみて初めて親の気持ちが分かったと言う話ではなくて
自分の親に対する気持ちや、親も一人の人間として見ると改めて違う面が見えてくる話です。
母は2001年5月7日(13年前の昨日)に亡くなりましたが
最後、ぎりぎりまで自宅で過ごしていました。
いよいよ痛みに耐えかねて、病院へ行きました。
母はすでにそのときには、
もう2度と家に帰ってくることが出来ないと思っていましたので
ずいぶん片付け物をしたり、色々な事を親子で話しました。
今思うと、良い時間でした。それこそ神様が最後に与えてくださった親子の時間でした。
そして、こんなことがありました。
二人でテレビを見ていました。
たぶん子育ての番組でした。
子育てをするにあたって自分の親子関係が非常に影響を及ぼすという内容でした。
厳しく育てられると、いざ自分が子育てをする時には自分の子供を愛せなかったり
ひどい時には虐待にまで発展するようになるというものでした。
病の床にいる母に対して、何を思ったか(今、思うと~???ナゼにそのような時に?)
私はいきなり過去の事を怒り出して母を責め立てました。キレ易い
私は長女でいつもしっかり良い子でいなくてはならないと
(今、思うと~単なる思い込みぃだね)いう強迫観念があり、
わがままを言えない、甘えられない子供時代だったように思うのですが
(実際、そうではなかったかもしれないのだけどね)
その積もり積もった思いが一気に爆発して
今まさに末期の母にそれをぶつけてしまいました。
だから、子育てが上手くいかないのはそのせいだと(と決めつけて。。すごい娘だにぁ)
そうしたら、母は何と言ったと思う。。。。??
『あ~ありがとう~。私が死ぬ前に言ってくれて。本当にありがとう。
本当にごめんね。ごめんね。教えてくれて、謝ることができて良かった~。』と言ったの。
私もびっくり
なんだか気が抜けて、気が抜けたと思ったら
スットンとモヤモヤも抜けちゃってね。
今まで悩んでいた自分の子育ての事なんて何処かに吹っ飛んでいっちゃったよ
それからは子育てではそんな事では悩まなくなったのは言うまでもないよ。
本当にわからなくて人を傷つけてしまうこともあるけれど
そういうチャンスがある時には『ごめんなさい』と言えたらイイなと思ったよ。
母の『謝ることが出来て良かった~』という言葉はずっと忘れないね
母もクリスチャンだったから全てが赦されていたのですが
最後、娘との心を交わしての会話が嬉しかったと思うな。
私もだんだん母が亡くなった歳に近づいてきて
天国での再会がこころから楽しみだよ。待っていてね。おか~ちゃん
そして今、私は母が立っていた同じ台所に立ってランチを作っているなんてホント不思議ぃ。
今朝の『花子とアン』でね、
はなちゃんが最初は印象が悪かったけれど
その後『腹心の友』となった蓮子様について
父親にこう言ったのね。
『人は心を開いて話してみんとわからんけ!』とね。
本当に、心開いてみんといろいろなことが分からないよね。
そして、今朝見つけた聖書の言葉には、
『The sacrifices of God are a broken spirit. A broken and contrite heart,
O God, you will not despise. 』Psalms 51-16~17
『神へのいけにえは砕かれたたましい、砕かれた心、悔いた心。
神よ。あなたはそれをさげすまれません。』 詩篇51.16~17
長々と読んでいただきありがとうございました。
ウザイ場合は飛ばしてね。
文章ばかりで写真が無いので、近くの豊平公園の最近の様子を載せま~す。
では、今日もこぴっとかんばるだよ
これからも楽しそうだね。
デコイじゃないよ。リアルだよ!
私の好きな植物たち。
おまちしていま~す。