京照日記

アンティーク店の京照が「着物に対する熱い思い」と、お客さんとの会話で気が付いたことを発信しています。

自分のエンディングは、自分で決めたい。大阪弁で「自分のけつは自分でぬぐう」と、言うはるぇ

2013年08月03日 18時46分27秒 | ヒラメキのヒント
リンちゃん、こんばんわ。

お父さん、どうぇ。

ほんま、家族はんの入院は、つろおすぇ。

うちは、この機会に書いとかんことがあるんどす。

それは、医療の限界と寿命どす。

うちが家族の病気のことで、身内ともめて、ほんで家を出たことは前に話ましたなぁ。

その時は、自分の専門のことを信じて、絶対に治癒してもらおうと、考えていたんどす。

けど、体は死んでも、魂は永遠に不滅どすから、その生き死には、あんまり人生の結果には、関係ないんやないかなぁ。

この頃は、そう思うんぇ。

そやから、病気に負けたり、あきらめたり、専門からみたら、許されへんことでも、その人の人生には、必要なことかもしれへんなぁ、そう、考えるようになったんどすぇ。

そやから、お父さんにも、自分の病気のことを、自由に決められる、そういう、選択があるんどす。

中国の荘子はんが、不自由な体に閉じ込められて、かわいそうな長生きのことを、書いとうどす。

うちは、それを読んで、「なにがなんでも、長生きせんでも、ええんや。」。

そう思ったとき、心が自由になりましたぇ。

医療や介護の現場では、「死」は、負けることどすから、みんな、なんとか治癒させようと思って、頑張るんどすけど、

ほんまは、頑張らんでも、ええんどす。

「生き死に」の決定権は、どこか遠いとこにおす。

ほやから、素直に自分の心の声に従うたら、ええんどす。

お父さんが、透析を嫌がってはっても、それがお父さんの運命やと、思うこと、できまへんか。

うちは、そう思んぇ。

しんどい体で、長生きするんは、おつらいと、思いますぇ。

お父さんの好きなように、決められたらなぁ。

ほんま、おせっかいなことどした。

お父さん、お大事に。

ほなな。

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