リンちゃん、こんばんわ。
お父さん、どうぇ。
ほんま、家族はんの入院は、つろおすぇ。
うちは、この機会に書いとかんことがあるんどす。
それは、医療の限界と寿命どす。
うちが家族の病気のことで、身内ともめて、ほんで家を出たことは前に話ましたなぁ。
その時は、自分の専門のことを信じて、絶対に治癒してもらおうと、考えていたんどす。
けど、体は死んでも、魂は永遠に不滅どすから、その生き死には、あんまり人生の結果には、関係ないんやないかなぁ。
この頃は、そう思うんぇ。
そやから、病気に負けたり、あきらめたり、専門からみたら、許されへんことでも、その人の人生には、必要なことかもしれへんなぁ、そう、考えるようになったんどすぇ。
そやから、お父さんにも、自分の病気のことを、自由に決められる、そういう、選択があるんどす。
中国の荘子はんが、不自由な体に閉じ込められて、かわいそうな長生きのことを、書いとうどす。
うちは、それを読んで、「なにがなんでも、長生きせんでも、ええんや。」。
そう思ったとき、心が自由になりましたぇ。
医療や介護の現場では、「死」は、負けることどすから、みんな、なんとか治癒させようと思って、頑張るんどすけど、
ほんまは、頑張らんでも、ええんどす。
「生き死に」の決定権は、どこか遠いとこにおす。
ほやから、素直に自分の心の声に従うたら、ええんどす。
お父さんが、透析を嫌がってはっても、それがお父さんの運命やと、思うこと、できまへんか。
うちは、そう思んぇ。
しんどい体で、長生きするんは、おつらいと、思いますぇ。
お父さんの好きなように、決められたらなぁ。
ほんま、おせっかいなことどした。
お父さん、お大事に。
ほなな。
お父さん、どうぇ。
ほんま、家族はんの入院は、つろおすぇ。
うちは、この機会に書いとかんことがあるんどす。
それは、医療の限界と寿命どす。
うちが家族の病気のことで、身内ともめて、ほんで家を出たことは前に話ましたなぁ。
その時は、自分の専門のことを信じて、絶対に治癒してもらおうと、考えていたんどす。
けど、体は死んでも、魂は永遠に不滅どすから、その生き死には、あんまり人生の結果には、関係ないんやないかなぁ。
この頃は、そう思うんぇ。
そやから、病気に負けたり、あきらめたり、専門からみたら、許されへんことでも、その人の人生には、必要なことかもしれへんなぁ、そう、考えるようになったんどすぇ。
そやから、お父さんにも、自分の病気のことを、自由に決められる、そういう、選択があるんどす。
中国の荘子はんが、不自由な体に閉じ込められて、かわいそうな長生きのことを、書いとうどす。
うちは、それを読んで、「なにがなんでも、長生きせんでも、ええんや。」。
そう思ったとき、心が自由になりましたぇ。
医療や介護の現場では、「死」は、負けることどすから、みんな、なんとか治癒させようと思って、頑張るんどすけど、
ほんまは、頑張らんでも、ええんどす。
「生き死に」の決定権は、どこか遠いとこにおす。
ほやから、素直に自分の心の声に従うたら、ええんどす。
お父さんが、透析を嫌がってはっても、それがお父さんの運命やと、思うこと、できまへんか。
うちは、そう思んぇ。
しんどい体で、長生きするんは、おつらいと、思いますぇ。
お父さんの好きなように、決められたらなぁ。
ほんま、おせっかいなことどした。
お父さん、お大事に。
ほなな。
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