第2回目の歴史教室をふれあい会館で行った。講師に奈文研 都城発掘調査部の小田裕樹先生を迎えて、「平城宮東院地区の発掘調査」と題して、これまでの発掘研究のお話をいただいた。
今回は、我が第四自治会の地域にある東院庭園の話だったのでとても興味があった。従来平城宮跡は正方形と思われていたが、1964年、国道24号線を橿原から北上して建設することになり発掘を始めて開始し、1999年~2004年に大型掘立柱建物を検出。その結、果国道24号線は大きく右にカーブをして宇和奈辺古墳の一部を削って北上しました。(宇和奈辺古墳の削られたところからは6000体の埴輪が整然と並んで発見されたそうです。)
この平城宮の東部一帯には、光仁天皇の宮と言われる楊梅宮の柱跡の発見があり、その南に楊梅宮南池(東院庭園)が発見され、東院庭園は現在復元されている。
この、楊梅宮では天皇や五位以上官人・蝦夷など内向きの饗宴が行われ、毎年正月節会の会場となっていたそうです。
また、この地域には、楊梅宮の東側の国道24号線の地下には、長屋王が天皇や外国使節団を迎えて宴会を行った別宅(佐保楼)があったそうですが、平城宮跡の東部地域は、天皇や貴族の別宅があり国内外の賓客を招いて饗宴をしたところだったようです。
その証拠が、先日我が自治会の中で新築される現場を発掘をしたところ、皇太子という木簡が出土したという報道がありました。またその際、平城京でも使われていない「緑釉軒瓦」が出土したりしたそうです。
また、建物の柱が八角形をした木造物が出現したらしいですが、これも平城宮跡内建築物には、八角形の柱は使われていないそうです。これらのことから、この地域が天皇や、皇太子の住居など重要施設があったようです。
また、復元された東院庭園の隅楼の屋根の上に金色の鳳凰があしらわれていますが、これは復元当時、宇治平等院の鳳凰を真似て作ったらしいのですが、同じ発掘場所から、東院庭園の隅楼に似た建物の絵が描かれた瓦が出土し、その絵の中の建物の屋根に鳳凰らしきものが描かれていたことで、復元された東院庭園の鳳凰が想像であったが、現実に奈良時代にはあったことが証明されたと言われていた。
これらの話を聞いて、自治会内の小さなエリアの発掘でしたが、そこからこんなに素晴らしい出土品があったことを初めて知るとともに、世界遺産平城京の中に住んでいることに感謝しました。
我が家の下からも、何が出てくるだろうかと夢を誘われる。
そのあと、長屋王宅跡地から出土した32000点以上の木簡とともに土器も多数出土しましたが、その中に列点を刻した土器があったが(星座のような穴が開けられた土器)、この土器の列点を万葉集研究者により存在が推定されていた奈良時代の盤上遊戯「樗蒲(かりうち)」の盤面であることがわかった。
この列点は、現在も韓国で遊びに使われている「ユンノリ」(双六のようなもの)と同じようなものであり、奈良時代でも遊んでいたことが紹介されたり、「樗蒲(かりうち)」の「うち」とあるようにサイコロゲームが、いつの間にか博打に使われるようになり、禁止令が出るほど人気だったらしい。
1時間半の講座だったがあっという間に過ぎてしまった。
自分が住んでいる地域の地下に、奈良時代を現す木簡や土器が眠っていることに改めて魅力を感じた。
夜は、法華寺八月会の夏祭りの打ち合わせ。子供さんがポスターを描いてくれた。
さぁ~~ いよいよ夏祭りだ