今日のころころこころ

2014・8・16 おばさんのこころ 送り盆

送り盆である。

交差点で、綺麗な女性から話しかけられた。見たことある気がするが?あれ?どなただったっけ?
息子の同級生のお母様であった。しばらく立ち話してるうちに、完全に思いだした。
F君のお母さん覚えてる?と言われて、ああチアキさん!と次の瞬間、亡くなったのよ、の言葉。呆然とした。享年56。死因は肺癌だったという。煙草なんて吸わない人だった。なんで肺癌なんだよ?何故だか怒りに似たものがこみ上げてきた。
グランドピアノを弾く人だった。割烹着よりロングドレスが似合うような女丈夫だった。旦那様はマスコミ関係で生活は安定していた。
が、どういうわけだか、料理とお酒を出す小さな店を持つことが夢だった人だった。調理師の免許をとるために3人の子供を育てながら合間小間に賄い系のパートに行っていた。かといってガツガツではなく、本当に合間小間であった。息子はよくF家の招かれて色々と御馳走してもらっていた。大喰いで申し訳ないと謝れば、いいのよ!いいのよ!たくさん食べてくれて嬉しいのよ!いい喰いっぷりだ!喰え喰えって旦那も大喜びしてるのよ!と笑っていた。
参観日に二人で管理栄養士さんに捕まって、F君とM君が食べてくれるから余ったのは全部1組に入れてます!と言われて、管理栄養士さんは嬉しそうに報告してくださるが、まともに喰わせてないようで二人で赤面したこともある。
私が知っていたのは、そこまで。子供たちは別々に進学した。
その後、彼女は夢をかなえたという。F君は夢かなって教員となり、彼女の方も神泉町に店を出し池尻大橋に引っ越しまでしたという。それが、店を出してたった数か月で肺癌で倒れたという。
神も仏も無い。無かったんだ。あんなにひたむきでいい女が、なんで?なんでそんな目に合うんだよ?
派手で華やかに見える見てくれとは正反対に人付き合いが苦手でこころは真っ暗な引籠りの私が曲がりなりにもなんとか息子を育てられたのも、彼女のような人がいてくれたからだ。そんな彼女の夢のお店、その開店を知らなかった私は、なんのお礼もできなかったじゃないか。
そばに殴れるもの蹴飛ばせるものがあるのだったら、滅茶苦茶にしたかった。
送り盆である。

いつも決まった時間帯にみえる顧客様御夫妻が、遅い時間帯にみえた。
お珍らしいですねと申し上げたら、送ってきたとおっしゃる。てっきり御先祖様だと思い、それはそれはお疲れ様ですと申しあげたら、娘だ!とおっしゃる。咆哮のようなお声であった。
なにを言っておられるのだか理解できるまでに時間がかかった。
御夫妻の一人娘。きょうだいがいない本当の一人娘。新盆、享年52だったという。お孫さんが24だというのが救いのような気もしたが、結婚して子供授かってその子が成人するのを見届けることができたというのが救いの気もしたが、逆縁というのであろうか。親にとっての子は、いくつになってもなにものにも代えがたいものだったんだ・・・親より後に逝くものだったんだ・・・
いつもとびきり明るい御夫妻だった。まさかそんな悲しみに耐えておられようとは・・・絶句。

送り火は、太古より続く火なのかもしれない。
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