気の広場

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  日常雑感あれこれ・・・

死なずとも ・・・ 8.受難の強さ

2011-03-09 08:30:59 | Weblog
受難の強さ 根性とはどんなエネルギー源から湧いてくのでしょうか。



「大観」と「無私」の力です。


「大観」とは

  失敗もあれば成功もある という図々しいふてぶてしさをもって

  ・・・ 世の中と人生を達観すること

「無私」とは

  父自身の幸 不幸にわずらわされない自己犠牲のことです。


俗にいえば

失敗は成功のもと という悟り

  右手を失っても左手がある というとらわれない心の力です。



そして

自分がどんなに痛めつけられ つらい想いをさせられてもよいから

  妻や子を 友や仲間を幸せにしようという自己を捨てる勇気が

  ・・・ 受難を甘受させる原動力となります。





* 2010.11  東ブータンで





死なずとも ・・・ 7.そしり ・ 受難

2011-03-09 05:30:03 | Weblog
自らを顧(かえり)みて少しもやましいところがなければ

  どのような苦難をもはねのけて 再生できます。



人の噂は七十五日といいますが ・・・

  一番苦しいのは はじめの一週間ぐらいです。

どんな苦しみも七日耐えると 力が出てくるものです。


釈尊は 「七日にしてそしりは消えん」といっています。

彼もまた 悪罵中傷(あくばちゅうしょう)に耐えて

  教えを広めるべく闘った人です。


一週間という時の荊(いばら)に耐えぬけば

  心にゆとりも生まれ 活路もひらける。



「そしり」というのは非難攻撃のみをさしていうのではなく

  自分の親しい者から受ける苦一般を意味しています。


父子心中の父親に この受苦に父心があれば

  ・・・ 死を選ばずともよかったのです。





* 2010.11  東ブータンで





死なずとも ・・・ 6.慰めは無意味

2011-03-09 04:02:08 | Weblog
裏切りや挫折に直面すると

  人は慰めや憐れみを求めたかるものです。

人の弱さでしょう。


だが この慰めぐらい無意味なものはありません。


私が苦しんでいるとき 師がゲーテの言葉を書いて送ってくれました。

「 慰めは 無意味なことばだ。

  絶望し得ないものは生きてはならない 」

「 すべての慰めは卑劣だ 絶望だけが義務だ 」


人は裏切られてはじめて

  人間の生を偏見なく直視できるものなのかもしれません。



そして 男性は すでに人を信ずるとき

  裏切られることの一つや二つ覚悟している。


慰めは求めない。

平気で耐える。


この受難の心がなくては

  ・・・ このひろい世の中を生きてゆくことはできないのです。





* 2010.11  東ブータンで



  


死なずとも ・・・ 5.裏切り

2011-03-09 04:01:22 | Weblog
「 あなたは人を信じすぎるのです。

  お人よしです。自分で苦労を求めているのです 」

  ・・・ むかし 家内はよくいいました。


私は随分親しい人に裏切られ煮え湯をのまされました。



人間は生きている以上

  裏切りという残酷な報復からのがれることはできません。

しかも
 
裏切者が必ずしも良心の呵責を受け

  世に裁かれるとは限らないものです。


それは 裏切った人間は

  自分が人を裏切ったなどと思わないからです。


裏切りにはかならず

  これを合理化しようとする自己愛が働くものなのです。


裏切る人には心の痛みがありません。

裏切られた人の苦しみは永遠ですが

  裏切者は ・・・ 人の痛みを想うことなく刺す。





* 2010.11  東ブータンで





死なずとも ・・・ 4.独り苦吟し

2011-03-08 05:03:25 | Weblog
女性は 一般にお天気ものだから(失礼)

夫の仕事がうまくゆくと大いに笑い

どじをふむとがっくりして

  人生は灰色だと力をおとす。

度胸がないから取り越し苦労をする。


また それだからこそ

こまごまと先々のことまで心配しへそくりまで用意する。


地震にそなえて食糧を買いこんだり

  子どもが病気になってもうろたえないように貯金もする。


しかし それが母性の尊さです。

女らしさです。

失敗を恐れ万が一を考え慎重になる。

この母がいなくては家庭の落着きは保たれません。



もちろん 父親とて失敗を喜んでいるわけではない。

大いにくさっているのです。

「平気 平気 なんだこれくらいのこと」と口先ではいうものの

  一人自室にとじこもって

  ・・・ 善後策や打開策に苦吟し懊悩しているものです。


家族には自分の苦しみをあらわさず 独り難事に耐え闘っているのです。

それが ・・・ 父です。





* 2010.11  東ブータンで
 

 


死なずとも ・・・ 3.受難に耐え

2011-03-08 05:02:07 | Weblog
父とは 受難に甘んじ耐え生きぬく人です。


「苦中の苦をうけざれば人の上の人為(た)る難し」

  というつらい役目をひきうけて勁直に生きるのが父です。



人間の一生はうまくゆくことのほうが少ない。

むしろ 失敗や裏切りに見舞われ

  挫折感を味わうことの多いのが男の人生です。


もちろん 晴れの日もあります。

成功の宴に酔うこともある。





* 2010.11  東ブータンで





死なずとも ・・・ 2.妻の骨灰を食べる夫

2011-03-07 03:42:24 | Weblog
こんな例もあります。


知人の僧侶から聞いた話ですが ・・・
 
50歳になる料亭の主人が 妻に先だたれ悲しみのあまり

  荼毘(だび)にふした骨灰を埋葬せず 家にもって帰り

  ・・・ 毎日 一匙ずつ食べていたということです。


想像しただけでも ぞうっとする不気味な話ではありませんか。



死者を弔う能力すら喪った父は ・・・

  もはや 人間として藻抜けのカラです。


こうした父親たちは

ふりかかった苦難 孤独 寂寥 生活の煩わしさといったものに

  ・・・ 耐え抜く力がなかったのでしょう。



妻が生きていてくれたら

もう少し我慢して家庭にふみとどまっていてくれたら

  という儚(はかな)い願望のみを追って ・・・

現実につきつけられた苦を受けとめる受難の能力が欠けていたのです。


これはもはや 父とはいえません。

父心喪失者です。





* 2010.11  東ブータンで





死なずとも ・・・ 1.子連れの無理心中

2011-03-07 03:40:31 | Weblog
36歳の父親が4歳の長男を絞殺し

  自分もガス自殺を計ったが 死に切れず自首した事件がありました。


調べによると この父親は

妻に家出され 一週間ほど帰ってくるのを待ったが 戻らないので

  ・・・ 前途を悲観して子連れの無理心中をしたということです。



このところ こうした父と子の心中がふえているような気がします。


悲惨な例としては

愛妻を亡くした板金工の父が 三人の子どもをかかえて苦労し

ノイローゼの果てに十三歳になる長男を絞殺したあと

  十歳 七歳の二人を刺殺し 自分も自殺した事件もありました。



板金工という専門技能をもち収入もありながら

  途方にくれて 無残な一家心中を決行するこの父の心理には

  ・・・ いったい何が欠けていたのでしょうか。





* 2010.11  東ブータンで






地震・雷・火事・おやじ ・・・ 12.「雷おやじ」たれ

2011-03-07 03:39:31 | Weblog
父は「雷おやじ」であることが ・・・ 子どもを救うのです。


幼な心に「こわい」という感情をうえつけられた人は

  ・・・ たえず自分を反省します。

善と悪の ・・・ ケジメがつきます。


悲劇の人間をつくらないためにも

  ・・・ 父は憤怒の人でなくてはなりません。



また 他人の悪を許し傍観する卑怯な人間にさせないためにも

  ・・・ どしどしと雷をおとしてゆくべきでしょうね。





* 2010.11  東ブータンで





地震・雷・火事・おやじ ・・・ 11.悲劇

2011-03-06 09:30:48 | Weblog
私のまわりにも悪い人間はいろいろいます。


なかでも ある会社の経営者は その典型的な人です。

彼は ヤクザの出身ですが

  会社をにぎると公金を流用し

  ・・・ 自分の好きなことをやりはじめました。


いうことをきかない社員をあつめては罵り

  この世でおれが一番えらいのだと吹聴します。

そればかりか 金の力で人をしばりつけようとし

  怒声を発し 社員を金銭で買収したりします。


また 嘘が好きで自分の都合が悪くなると重役たちに責任を転嫁します。


そして 悪がばれないようにお金をあちこちにばらまきます。


彼を知る人はみな ・・・ 陰で罵ってます。

しかし 誰もとがめません。

「あれはギャングだから」 ・・・ と眺めています。



彼は 幼少のころ父を喪いました。

兄に育てられたのです。


父から懲悪の教育をうけてこなかったために

  彼は 自分の悪行に気づかないのです。


「子どもは親の財産を狙う悪魔だ」

  ・・・ これが彼の子ども観です。

「船が溺れそうになったら 妻子を殺してもおれはボートにのりうつる」

  ・・・ 彼の人生哲学です。


すべてが自己本位の考えです。



私は 子どものころに父に叱られ戒められなかった人間の悲劇を思うと

  ・・・ 彼が浮かんできます。





* 2010.11  東ブータンで





地震・雷・火事・おやじ ・・・ 10.父の雷鳴

2011-03-06 06:30:46 | Weblog
鉄は熱いうちにうてという。

子どもの小さな過ちをみのがすことは思いやりのない態度です。


幼少のころから父の怒りにふれ

  父は どういうときに怒るかはっきりと教えこませることが

  ・・・ 子どもの幸せです。


「悪いことをしたら大変だぞ」という子どもの心理的不安は

  父への恐怖を拡大します。

だから 万一悪いことをしたら

  どんなにか父に叱られるだろうという不安をもつ。

それが自らの悪にたいする警戒心となるのです。


天の戒めと同じです。



父は なにも子どもの人格すべてを否定しようとして怒るのではありません。

「其の悪を攻(せ)めて、人の悪を攻むるなし」 のわきまえのもとに

  ・・・ 雷鳴をひびかせるのです。





* 2010.11  東ブータンで





地震・雷・火事・おやじ ・・・ 9.「嘘」をしかる

2011-03-06 04:30:51 | Weblog
母の怒りは 子どもと一対一の関係で発生するものです。

そこには 世間という広がりをもった倫理が介在しません。


父は 子どもの内部に芽生える社会悪の根を断つために怒るのです。



寝小便やガラスを割ったぐらいのことで

  ・・・ 父のこわさを示す必要はありません。

しかし

もし子どもが「嘘」をついたり

  人をだますような行為をしたときには

  ・・・ 父は鞭をふるうべきです。

なぜなら 「嘘」は社会悪の根源だったからです。



ですから

母が怒って父が笑っているなどということは

  ほんらい ・・・ ありえないことなのです。


こわくない父は

社会の倫理にたいしても
 
  また 自己自身のモラルにたいしても鈍重な 良心なき人です


父は 悪を告発しないことに恥じなくてはなりません。

「人もって恥なかるべからず」 ・・・ です。





* 2010.11  東ブータンで





地震・雷・火事・おやじ ・・・ 8.父は懲悪の人

2011-03-06 03:32:28 | Weblog
父は 罪悪を憎む人です。

   悪を責めない自己を恥じる人です。

   子どもに 人間としての善・悪をたたきこむ人です。


母は うちたたかれた子をかばい 救う人です。



叱らずにすむような子供は この世に存在しません。


子どもは 悪への鋭い嗅覚の持主です。


ポルノ雑誌や非行を誘う本が飛ぶように売れるのは

  不良化する可能性を どの子どもも備えている証拠でしょう。



父が懲悪の人であるのは

よりよき社会をつくろうと願っているからであり

  自分の生きた社会の過ちを 子どもに犯させまいとするからです。





* 2010.11  東ブータンで





地震・雷・火事・おやじ ・・・ 7.ダメおやじ

2011-03-06 03:30:55 | Weblog
ちかごろのお父さんは子どもを叱りたがらない ということです。



「地震・雷・火事・おふくろ ・・・ なんだって」

  子どもが教えてくれました。

「お父さんみたいにおっかないおやじは まず少ない」

  と息子はいいます。



母が怒るが 父はニコニコしている。


母が叱ると 父が止めるのだそうです。


・・・ 許し難いことです。



そんな父親が多いから

  犯罪が激発し 悪がはびこるのでしょう。





* 2010.11  東ブータンで





地震・雷・火事・おやじ ・・・ 6.おやじのこわさ

2011-03-05 17:00:15 | Weblog
父の怒りは人工的です。


しかし

その怒りとこわさのうちに

  神罰・天罰のごとき条理が備わっていなくてはならない。

防ごうにも防ぎえない力がひそんでいなくてはならない。


いつ爆発するかわからない火山帯の大地を歩んでいるような

  ・・・ こわさを子どもに与える。

それが ・・・ 父のこわさ というものです。



「天災は忘れたころにやってくる」 といいます。

横着な人間は天災が襲ってきて はっとする。


父と子の関係もそうです。


子どもは 叱られる義務がある。

父には 叱る権利がある。


父の怒りをこわがってこそ ・・・ 子どもは怠惰から救われるのです。





* 2010.11  東ブータンで