気の広場

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地震・雷・火事・おやじ ・・・ 5.父の怒りは回数少なく

2011-03-05 15:00:14 | Weblog
「 冗談いうな うちのおやじはしょっちゅう雷をおとしている。

  戒めになるどころか バカバカしくってみちゃいられないよ 」

  ・・・ という子どももいます。


これは 父がまちがっています。


神様が年百(びゃく)年中怒りつづけたのでは

  神罰の効力もうすいし 人々は恐れを感じなくなる。

それどころか

そんな神は人間を不幸にすると憎まれ

  ・・・ しまいには捨てられてしまうでしょう。



神や天の怒りは回数が少なく

しかも 容赦ない激烈さをもってこそ ・・・ 戒めの力となる。


父も同様です。


折角 地震や雷と並べられたのですから

  その怖さに かろがろしさがあってはならないでしょうね。





* 2010.11  東ブータンで





地震・雷・火事・おやじ ・・・ 4.知恵

2011-03-05 12:00:51 | Weblog
人間は知恵の動物ですから 天災を防ぐ工夫をこらします。

と同時に 天災を天罰とうけとめて

  自らの行いを戒める能力を生んでいった。



「ノアの洪水」を創造した旧約聖書の作者

天国と地獄を説く宗教家

極楽と阿修羅の地獄をつくり出した仏教家

  はみな ・・・ 「恐怖と戒め」の知恵を発揮した人たちです。


彼らは 恐怖と反面教師として 人間の自戒力を高めようとしたのです。



「地震・雷・火事・おやじ」とは

  江戸時代の庶民がねりにねった知恵のあらわれ

  ・・・ とみてもよいでしょうね。





* 2010.11  東ブータンで





地震・雷・火事・おやじ ・・・ 3.罪と罰

2011-03-05 09:30:53 | Weblog
天罰というコトバがある。


科学のすすんだいまでも

地震や洪水 旱魃(かんばつ)や疫病がつづくと

  ・・・ 人間の力をこえた「天」の怒りを想像する。

そして

なにか人間がしてはならないに手を染めているのではないだろうかと

  ・・・ 不安にかられる。


宗教上の罰とは そういうものです。

神の怒りに触れるぞ ・・・ というおののきが

  人びとの自堕落やおもいあがりを戒めてゆくわけです。


罪と罰の関係です。





* 2010.11  東ブータンで





地震・雷・火事・おやじ ・・・ 2.戒め

2011-03-05 06:30:50 | Weblog
「 地震・雷・火事・おやじ 」

  この四つが一列に並んでいるのは どういうわけだろう。



天災は だれきった人々の心をひきしめる。

火事でさえ 「油断」と人間の心のゆるみや傲慢の鼻をへし折る。

つまり

地震・雷・火事は 単に恐怖の対象をあげつらっているのではなく

  人間に対する戒めとして

  ・・・ そのこわさを示しているのではないでしょうか。



おやじが そのあとにつづいているのは

  父のこわさが子どもに対する戒めであり

  ・・・ 教訓であることを物語っているのではないでしょうか。





* 2010.11  東ブータンで





地震・雷・火事・おやじ ・・・ 1.天災・人災

2011-03-05 05:30:51 | Weblog
「地震・雷・火事・おやじ」と四つならべてみて

さて 自分の親父を思い出し

父になってしまったオノレを顧みると ・・・

  なんとななくただ「こわい」ということ以上の意味が味わえてくる。



地震も雷も自然現象だから

  自然の運行と意志に従って 突如として襲ってくる。


火事にも意外性はあるが

地震や雷にくらべれば 人間の営み方に深くかかわっている。

  漏電による山火事も 人間が注意すれば避けることができる。


おやじとなると

  これは全く人間の意志のかたまりである。



こうみてくると

地震が一番人間の意志から遠く離れている

予知測定が難しい。


雷雲は天気予報で大体察知できる。

しかし 防ぎようがない。発生を止めるわけにはいかない。

せいぜい避雷針にとびこんでくれるのを願うしか手がうてない。


火事は人間が不注意でなければ ほとんど防御できる。


つまり

地震からおやじまでの流れは

  次第に人間に身近になってくるこわさをあらわしているのでしょうね。



地震や雷は天災だが 火事とおやじは人災です。


人災を好む人間はいません。


おやじに怒られて嬉しがる子どもは少ない。





* 2010.11  東ブータンで





父の広い目 ・・・ 6.気宇広大

2011-03-05 04:30:56 | Weblog
広い目の父は

  母のせっかちをコントロールし 子どもの短慮を戒めます。


「自分ひとりが こんなにも不幸なのか」 という狭隘な自己をほぐし

  世間に目をひらかせてくれます。


きりのない子どもの欲望にも

  「貧しい人々をみなさい」 と抑制を加えてくれます。



しかし

父が広い目をもつためには

  多くのことを目にし 自らの教養を深めなくてはなりません。


父は広い目をもって

  自分と家族のポジションを正確に位置づける人であるべきです。



「戸庭を出でずして 通塞(つうそく)を知る」ぐらいの人物

自分の心にきけば他の人々の心も分かるような父


そして

「遠山を銜(ふく)みて長江を呑む」

  気宇広大なお父さんであってこそ

  ・・・ 家人のひろびろとした心眼がひらかれるのです。




* 2010.11  東ブータンで





父の広い目 ・・・ 5.生活の知恵

2011-03-05 03:42:14 | Weblog
こんな俗歌があります。

扇をもって酒宴の座興にうたう歌です。


「 扇一本手にもつならば

  舞をまおうか 踊りをおどろうか 絵か歌かこうか 七輪あおごうか

  光秀討とうか ながながの浪人で ・・・ 」 と歌い

  ・・・ 最後は 扇を開いて その上にものを受ける恰好をする。


つまり 扇一本あるだけで

舞踊もやれるし 七輪あおぐまねも
 
  刀を上段にふりかざした武士のすがたもできるわけです。


これは「扇」の使い道の広さを歌っているのですが

  ・・・ そこに広い目がある。



落語家や講釈師は

  一本の扇にさまざまの役目を与え ストーリーを展開します。

一本の扇は 時に天秤棒にもなれば箸やキセル 筆にもなる。

暑さをしのぐために生まれた扇は

  実に多種多様の機能(はたらき)と効用をもっています。



扇はあおぐものときめこんでいるのは ・・・ 「井の中の蛙」です。


その反面 こうした「知恵」をもっている。

生活の知恵です。




* 2010.11  東ブータンで





父の広い目 ・・・ 4.大慌てしない

2011-03-05 03:41:26 | Weblog
子どもが病気になったときも

ただ高熱にとらわれたり

  ひきつけに大慌てしないのが父です。


ひきつけならば

  割箸を用意し 浣腸すればよい。


「ひきつけの電話が入ったら

  タバコ一服してゆけばよい。たいていは治まっている」

  ・・・ これは むかしの医者のコトバです。


父は ・・・ それを知る人です。




* 2010.11  東ブータンで




 

父の広い目 ・・・ 3.役割

2011-03-04 09:40:22 | Weblog
小児科医を悩ませる母親たちのコッケイな質問は

  たいていの場合 この早のみ込みによるものです。


「おんぶか」

「だっこか」

「うつむいて寝かせるべきか いなか」

「日光浴は冬もすべきか どうか」

  ・・・ ともかく 大変な騒々しさです。



そんなとき

「どっちだっておなじだよ」

  ・・・ こうあっさりあびせかけるのが父です。

家事がつらければ
 
  そのどこかに自分を満たしてくれるものを発見してみろ

  ・・・ と目を開かせてくれるのが父です。


父は 一時の気休めやなぐさめでいうのではない。

鳥なき里のこうもりのように わずかなつまらぬことにさわぐ家人に

  ・・・ 「広い目」をもたせようとしているのです。




* 2010.11  東ブータンで





父の広い目 ・・・ 2.早トチリする母

2011-03-04 06:40:09 | Weblog
家庭をすてて飛び出してゆく母親のほとんどは

  ・・・ 「他人志向」で近視性の女性です。


「毎日家事なんかしていたのでは バカになってしまう。

  働きに出よう。パートタイムでもいいからつとめたい」

  ・・・ この心理もおなじです。


自分の能力・おかれている立場・家事育児のもつ人間的重さ

それらが目に入らないで

  ・・・ 「外」にばかり幸福の鳥がいると早トチリする。


あるいは

「放任主義」という本が出ると読み漁って ・・・ 子どもをほったらかす。

かと思うと

「厳しい家庭教育」なる本を買いこんで ・・・ 子どもをびしびし叱る。




* 2010.11  東ブータンで





父の広い目 ・・・ 1.気短かな母

2011-03-04 03:50:44 | Weblog
知恵のある人は「多聞」だけでなく 広い視野をもった人です。

仏教に「多聞天」とともに 「広目天」という守護神があります。

父には この広い目が必要です。



人間は自分のニーズ(必要性)に従って他人を評価する。

せっかちに要・不要で事を捌(さば)く。

人間のある断面からのみ能力や人柄をきめつける。


それも必要です。



母には意外と気短なところがあります。

「あの子はだめね」 即断を下す。


父親からみると それが近視眼で軽率に映る。


「どうしてうちの子だけ こんなにできないのでしょうか」

  ・・・ 母親は思いつめてしまう。

「ああ こんないやな環境で生活しているはいやだ。

  引越ししましょうよ」 ・・・ 性急に結論を出したがる。


どこか他に移れば もっと幸せがあるだろう。

うちの子よりも頭のいい子がいるに違いない。

  ・・・ そうした「他人志向」におちいる。




* 2010.11  東ブータンで





父の長い目 ・・・ 9.バトンタッチ

2011-03-04 03:50:15 | Weblog
父は 長い人生を生きながら

「新しきを得て故(ふる)きを捐(す)つれば 後必ず寒し」

  ・・・ のことわりを知る人です。


温故知新は懐古趣味ではありません。

ジーパンをはいてキセルをさして歩くのが懐古趣味です。



父の長い目は 先人の知恵を子に伝える最大の力です。


「冠婚葬祭」の入門書を読まねば 日本の作法が分からないような父では

  ・・・ 伝統のよさは子孫に残せません。


どんな小さなことでもよい。

父の生きた歴史に息づく伝統をバトンタッチするのが 長い目の役割です。




* 2010.11  東ブータンで





  

父の長い目 ・・・ 8.挫折の姿

2011-03-04 03:49:36 | Weblog
思慮深い父は けっして自分の成功話を語りません。

むしろ 挫折の歴史を語るものです。


誇張した父の自慢話や美話ぐらい

  子どもにとって うそ寒く しらじらしい無意味なものはありません。

子どもは 父の理想よりも

  理想実現のための挫折の姿によって評価するものですから。



長い目の父は

  過去を問い 現在をみつめ 未来を設計する歴史感覚で

  ・・・ 子どもを育てられる人なのです。


伝統のすばらしさ 故知の深さも

  こうした父の目があって ・・・ はじめて子に伝わります。




* 2010.11  東ブータンで





父の長い目 ・・・ 7.人生はマラソン

2011-03-03 12:00:26 | Weblog
人生は長い。

マラソンです。


三、四年負けても 二十年、三十年先で勝てばよい。

マラソンで初めに相手をかけ抜く選手は 途中で落伍するものです。



父は 長い時の流れに目安を置いて

  「ゆっくりゆけ」 ・・・ と教えてやるものです。

それには ・・・

なぜ失敗が成功のもとか

人生は どうして長い勝負で勝つことが大切か

  ・・・ 自己人生に照らして語ってやればよいのです。




* 2010.11  東ブータンで





父の長い目 ・・・ 6.待てば海路の日和下駄。

2011-03-03 09:00:31 | Weblog
日本には「長い目」の諺は多い。

  急がば回れ 待てば海路の日和(ひより)下駄。


あわてることはない。

のんびりゆこうよ~おれたちは~ ・・・ です。



子どもが一年ぐらい病気しても

「 学校の一年や二年早く卒業したって べつにえらくなるわけでない。

  気にするな 」 ・・・ そういってくれるのが父です。


父が短慮をもって子を責めたら かえって病気は重くなる。


これは 知恵のない愚かな父のすることです。




* 2010.11  東ブータンで