気の広場

気の世界あれこれ・・・
  日常雑感あれこれ・・・

知恵の母 ・・・ 2.とらわれ

2010-10-01 05:41:26 | Weblog
釈尊は 蜜を吸うという目的以外振り向きもしない蜜蜂に

  人生のすばらしさをみとったのです。


人間は とかく蜜を取りにゆきながら

  途中で花べんをつみとったりします。

花の香りの前に立つと身動きできず 自分の目的を忘れてしまいます。


人間は 道草を好むイキモノです。



頭脳が他の動物よりも複雑で 進んでいるために

  その頭にとらわれてしまいます。

ものをまとめる力があるから まとめる力にだまされます。


行き先を忘れて 道端の一本の毒草に心をうばわれ

  それが人生だと思いこみます。



こうして 中心点に突き進まず

  周囲をあてどなくさまよい歩いているのが人間です。


人類解放と叫びながら 人殺しに熱中したり

国民のためと唱しながら

  自分たちの利益にとらわれる政治もこの道草です。



蜂のように

ただ もっとも大事な蜜だけをとっていったら良いのに

  ・・・ 肝心なことを忘れます。


せめて財産があればと思って苦心している間に

いつの間にか 所期の目的をうち忘れて財産にもたれかかり

財産をもつがゆえに苦しみ

  また享楽を求めて 享楽に悩みもするのです。



こうした「矛盾」は道草の とらわれ にあるのです。




(再掲)

花びらと色と香をそこなわず ただ蜜味(みつ)のみたずさえて

  かの蜂のとび去るごとく 人びとの住む村々に

    かく仁者(ひじり)は歩めかし       (法句経)





最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。