ある子どもは小学校の入学試験の時、金魚を見せて、これは何かときかれれたら、「判らない」と答えました。
判らない筈はないと親が問うと「ランチュウにしては頭が小さい、和金にしては尾が大きい」と答えました。
同じ子にリンゴを見せて、これは何かと問うと、「富士(リンゴの一種)だ」と答えました。
デリシャスを見せるとデリシャス、紅玉を見せると紅玉だと答えました。
・・・ しかし、リンゴがどんなものであるかは、その子は判りません。
眼、耳、鼻、口と教えていると顔がどこにあるか判らなくなるのと同じです。
顔の判らない子に眼や鼻を教え過ぎることはいけません。
その子が絵を描きました。
見ると、枝にとまっている鳥の足が開いたままです。
これは生物学の本の図をまねたものであったそうですが ・・・ 記憶はあっても、空想ははたらきません ・・・ 。
教え過ぎるということにも害がある ・・・ ことを考えておかなければなりません ・・・ ね。
なによりも、いと恐ろしきは ・・・ その子の親も、教え過ぎの中で育っていたことです。
☆
判らない筈はないと親が問うと「ランチュウにしては頭が小さい、和金にしては尾が大きい」と答えました。
同じ子にリンゴを見せて、これは何かと問うと、「富士(リンゴの一種)だ」と答えました。
デリシャスを見せるとデリシャス、紅玉を見せると紅玉だと答えました。
・・・ しかし、リンゴがどんなものであるかは、その子は判りません。
眼、耳、鼻、口と教えていると顔がどこにあるか判らなくなるのと同じです。
顔の判らない子に眼や鼻を教え過ぎることはいけません。
その子が絵を描きました。
見ると、枝にとまっている鳥の足が開いたままです。
これは生物学の本の図をまねたものであったそうですが ・・・ 記憶はあっても、空想ははたらきません ・・・ 。
教え過ぎるということにも害がある ・・・ ことを考えておかなければなりません ・・・ ね。
なによりも、いと恐ろしきは ・・・ その子の親も、教え過ぎの中で育っていたことです。
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