ということを昨日は学ばせていただいた。
私はblogを日記代わりにしているから日々の出来事や身辺のことを普通の人よりも多く書くかもしれない。
それをネットで親しくなった人達に読んで戴いて共感していただきたいという願望もあったかもしれない。
が、読まれるのは共感してくださる人達だけではない。
共感より、むしろ反感を持つ人のほうが多いかもしれない。
それならblogには何を書けばいいかということになる。
人の為になる記事を書くという行き方もあるだろうし、女性ならお料理を紹介するという行き方もある。
が、私は人間が出来ていないから、人の為になるような記事は書けない。
料理はするが、人に紹介するようなものではない。
また出来上がった料理をblogアップしようとすれば、器やテーブルセッチングにも気を使わなければならない。
私は、そういうことに気を使うのは苦手だ。
ブログアップするためだけに時間を使いたくないとも言えるかもしれない。
が、見せていただくのは好きだ。私も主婦の端くれで毎日のご飯を作らなければならないから参考にさせていただける。
私は、それより、自分の周囲で起こることに対して感じたこと、思うことを書くほうを好むと言えるかもしれない。
しかし、この方向性はあまり歓迎されないようだ。
それなら、書くことをやめて、読ませて戴くことに徹したほうが賢明かもしれない。
そんなことを昨日は思った。
それにしても、昨日は危急を救ってくださるフォロワーさんがいて助かった。
この場を借りて、改めてお礼申し上げます。
★話すより聞くに徹したほうが良いならばblogも書くより読むを
★身の上を書けば反発する人もゐるのはリアルな世界と同じ
★自慢するわけにあらねど殊更に書かぬことあるそれは誰にも
★正直に書けば家族が迷惑を被ることもままある定め
★不幸のみ書けばblogは暗くなり善きこと書けば嫉妬をさるる
★妬まれるほどのものなど持たねどもそれでも嫉妬されることある
★漱石の「智に働けば角が立つ情に棹させば流される」なり