閏日を過ぎて西暦3月に入りました。
旧暦 1月23日
昨日の北海道は3年前を思い出す荒れた天候だった様です。
私の住む旭川はかなり穏やかな天候でしたが、市内から30分程車を走らせると、猛吹雪、ホワイトアウト状態の中で 何台もの車が横道に埋まっていた…と聞きました。
今朝も農道を走っていたら全く何も見えない真っ白な状態になり、ビビりました。((((;゜Д゜)))))))
でも帰り道は青空が広がって…
やっぱり私はお天気の神様に守られている様で、有難い有難い!ありがとうございます!と言いながら帰ってきました。
今朝、頂いたメルマガに《ありがとう》の語源が書かれていました。
以下
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3月9日はサンキューの日、「ありがとうの日」です。
普段からよく使う言葉「ありがとう」ですが、お釈迦様が弟子に説いたこんな教えが元となっています。
お釈迦様:
人間に生まれてきたことをどう思っていますか?
弟子:大変喜んでいます!
お釈迦様:
では、どれくらい喜んでいますか?
弟子:・・・。
(返答に困ってしまいました)
お釈迦様:
広大な海に、真ん中に小さな穴の開いた丸太が浮かんでいます。
その海の底には1匹の目の見えない亀がいて、百年に一度、海面に顔を出すのです。
その目の見えない亀が百年に一度、海面に顔を出したとき、その浮いている丸太の穴に頭を入れる可能性はあると思いますか?
弟子:・・・。
(答えに困りました。絶対にないとは言い切れないが、あまりにも確率が低いからです)
お釈迦様:
数億の生命がいるなかで私たちが人間に生まれることは、目の見えない亀が丸太の穴に頭を入れることが有るよりも難しいこと……
有り難いことなのです。
この『有り難い』が「ありがとう」の由来となっていると言い伝えられています。
有ることが難しい、つまり「滅多にない」ことです。
喜びや楽しみだけでなく、苦しみや悲しみも、人間として生まれてきたからであり『人間としての経験は全て有り難いこと』なので感謝をしましょう、というのがこの盲亀浮木の教えです。
なにげない言葉ですが、人に感謝すること・感謝されることはとても尊い行為だということを感じますね。
ちょっとだけ意識して「ありがとう」という言葉を使ってみてはいかがでしょう。
(=´∀`)人(´∀`=) (=´∀`)人(´∀`=)
有るのが難しい位の奇跡を、私達はいつも頂いているんですね。
当たり前 こそが 有難い。
奇跡と思った事は 本来は有り得ない有難い事なんですね。
今日はドリームスペル暦K72
ツォルキン暦 13キミ(K26)
超古代マヤ暦 オク11(数字にするとK50)
全ての数字が意味を持っていることに気付かされました。