一条きらら 近況

【 近況&身辺雑記 】

届かなかった年賀状

2008年03月15日 | 最近のできごと
 先月、1枚の印刷ハガキを受け取った。差出人は初めて見る女性名だが、その姓は珍しい旧漢字の、友人の名である。
(彼の奥さん……)
 一瞬にして、私は悟った。
 ――かねて病気療養中のところ――
 その最初の文章に、胸がズキンと痛くなる。
(療養中……!)
 今年の彼からの年賀状に、
 ――体調を崩しています。――
 と、添え書きしてあった。体調を崩しているなんて年賀状に書くような人ではないので、私はずっと気になっていた。メールのやり取りをしている友人ではない。お見舞いの手紙を書こうか、電話をしようか、まさか入院しているはずがないけれど、電話して家族の人が出て、そう告げられたら……。許可があれば、お見舞いに行きたい。でも、入院しているとしたら、彼は年賀状にこのような添え書きをするだろうか。年賀状を書いた後で入院したのだろうか。
 来る日も来る日も、私は迷い続けた。最近はメールのやり取りばかりで、手紙やハガキを書く習慣がなくなっているため、机の上に便せんと封筒を出しても、なかなか書けない。パソコンの前に座るたび、机の端に置いた便せんが眼に触れるが、どうしても書けない。
(そうだわ。春になったら、思いきって電話してみよう)
 私はそう決心して、明るい気分になった。彼の体調も良くなっているかもしれない。春がいい。心身共に明るく晴れやかになれる季節。春の陽射しが輝き始めたら――。
 そう決意していた矢先に、ハガキを受け取ったのである。
(間に合わなかった……もう彼に会えない……)
 そう呟いた瞬間、熱いものが喉にこみあげ、ふいに涙があふれた。
 ――かねて病気療養中のところ、昨年十二月二十七日に永眠しました。――
 ハガキに、そう書かれてあり、
(ええっ……)
 と、私は愕然となるような思いがした。
(今年ではなく、昨年12月27日に亡くなったなんて……!)
 今年の元旦も、彼からの年賀状を受け取って読んだ時、彼はもう、この世のどこにもいなかったのだ――。訃報のハガキは、年末から新年にかけての時期を避けた配慮だったのかもしれない。
(年の暮れ……12月27日……)
 その日、私は何をしていたかと気になって、昨年のメモ・ダイアリーを見てみた。夕方、外出したメモがあって、その日を思い出した。前日、夜更かししたので正午近くに起床し、午後はパソコンで年賀状のプリント作成をし、夕方、出かけた。編集者の○○さんと会って、お喋りをしながら繁華街のダイニング・バーで食事を共にし、その後、カラオケルームで交互に歌って楽しんだ。
 友人が永遠の眠りについた時刻は、私が寝ている時か、パソコンに向かっている時か、○○さんと会っている時だろうかと、考えても仕方のないことを、思いめぐらせずにいられなかった。
(会いたかったのに……ごめんなさい……もっと早く、会っておけばよかった……)
 頻繁に会う友人と違って、何年も何十年も会わなくても、友人と呼びたい大切な人が数人いる。彼は、その中の一人だった。私が短大生のころ、親しかった人に紹介されて知り合った。大手出版社の美術編集部の編集長をしていた彼は、知識も経験も豊富な〈大人の男性〉で、憧れの人という存在だった気がする。よく本を買ってくれた。現代小説、歴史小説、ノンフィクションの単行本も。私が読みたい、書店にない本を、探して手に入れてくれたこともある。都内の落ち着いた店で、食事やアルコールを共にしながら、人生についてや、読んだ本について語り合った。美術編集部でも作家と面識があって、当時の有名作家たちの話を聞くのも興味深かった。私が結婚してからは、何年ぶり、という会い方になった。
 最後に会ったのは、十数年前、志茂田景樹氏の出版記念パーティの時である。会場の壁ぎわに1人で立っていた彼の視線と、私の眼が、ふと合った。そのパーティに彼が来るとは思っていなかったので、私は驚き、なつかしくて、うれしくて、彼のもとへ駆け寄りたい気持ちを抑えながら小走りに歩み寄って行った。
「お久しぶりです! 今日、会えると思わなかったわ!」
「元気そうだね」
 独特の穏やかな微笑が、たまらなくなつかしかった。今度、ゆっくり会いましょう、積もる話もあるしねと約束したが、彼は定年の1年前にガンが見つかり、退社した。その後は、年に1度ぐらいの手紙のやり取りだが、彼は勤務していた出版社からドキュメンタリーの本を出し、ボランティア活動をしながら、郷土資料館に勤めていた。手紙やハガキの文面から、彼の病気は治ったものと私は思っていた。
 だからこそ、体調を崩していると添え書きされた今年の年賀状が、気になったのである。
(もう彼から年賀状は来ない……)
 最後となった年賀状を、もう一度見てみた。特徴のある彼の筆跡。毎年、ハガキの上半分にイラストのプリント、下半分に縦書きで手書きされていたが、今年は珍しく横書きである。例年より、センテンスも多く、少し長い。最後になる年賀状と意識していたのかどうか、わからない。
(私の年賀状、今年は彼に届かなかった。添え書きも、彼は読んでくれなかった……)
 毎日、その想いで胸があふれた。そんなある日、友人と会った時に打ち明けたら、
「恋人だった男性?」
 そう聞き返された。恋人では、なかった。けれど、秘めた思い出もある友人である。これからも時々、思い出したくなる大切な大切な友人――。
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