先月、実家へ行った。母はとても元気だった。毎年、この時期になると、インフルエンザのワクチンの注射をして貰いに行くらしいが、今年もして来たということだった。このワクチンの注射をすると、インフルエンザもかからないし、風邪もひかないと、母はいつも、うれしそうな顔で話すのである。実際、母はインフルエンザにかかったことはないし、家族が風邪をひいても、滅多にうつらない。
週に3日、デイ・サービスへ行っていて、月に1度は義姉の都合で数日間のショート・ステイをするらしい。気分転換になるでしょう、と義姉が言った時、
「でも、風邪やインフルエンザの感染が心配ね」
と、私は言った。
「それは大丈夫。お医者さんの診断書で、風邪もインフルエンザもかかってないって証明できないと、泊れないことになってるの」
義姉が、そう言ったので、
「ああ良かった。それなら安心ね」
私は、ホッとした。よく、高齢者施設で集団感染の記事が新聞に載ったりするから、心配だったのだ。
その日は母と義姉と姉と私の4人で食事したりお茶を飲んだりして、楽しく過ごして来た。
12月と1月、母は妹に会いに、義姉の車で連れて行って貰ったらしく、その時のことを話したりした。8人きょうだいのうち、末っ子の叔母と、下から2番目の母だけになってしまったから、たった1人のきょうだいに会いに行くのが楽しみなようだった。
叔母は糖尿病があったが、6年前、脳疾患で入院し、退院してほとんど回復したので、次男が車で叔母を連れて、私の実家によく遊びに来ていた。2年半前、再発作で倒れ、入院していたが、その後、有料の施設に移った。新しい建物の民間施設で医師と看護師が常駐し、広くて落ち着ける個室に、叔母は暮らしている。会話はスムーズではなくなったが、叔母と母は、ちゃんと言葉を交わせる。
「会うと、いつも、◯◯(叔母の長男の名前)のことを言うから、かわいそうで……」
と、母は声を詰まらせた。そのことを話す時、母はいつも涙声になる。叔母の長男は2年前、永遠に旅立ってしまった。そのことを、誰もが叔母に話さないでおこうと決めたのだ。もし、長男の死を知ったら、強いショックを受け、せっかく可能な限り回復した体調も悪くなってしまうからだ。
叔母は、長男が来ないことを寂しそうに言うこともあるが、仕事で忙しくて来られないのだと、母に言うらしかった。叔母の長男は定年後、嘱託の仕事についたばかりで、ガンの手術をし、入退院していたことを、叔母の記憶の中から消えてしまったとは思えない。けれど、病気の悪化は伝えていなかったから、いつか長男は会いに来る、定年後の仕事できっと多忙なのだと自分に言い聞かせているのかもしれない。あるいは、周囲が隠していることを、もしかしたら叔母は知っていて、知らないふりをしているのかもしれないと、そんな気もかすかにした。
私は母の昔話を聞くのが大好きである。母は、亡くなった2人の姉と4人の兄の名前と、両親の名前を、1人ずつ口にして、私がそのたびに、どんな人? どんな性格? と質問すると、とてもなつかしそうに楽しそうに昔の家や肉親たちのことを話してくれた。母は海軍で戦死した長兄のことを話す時、いつも泣く。手紙のやり取りをしていて、特に仲の良かった兄だったらしい。その兄の死を知った時の両親の言葉が母は忘れられなくて、いっそう悲しげな声になるのだ。けれど、他のきょうだいの話や両親の話になると、また明るい顔つきに戻って、私たちを笑わせたりする。
今月は、姉が1人で行って来たが、母が元気だった様子を、すぐ電話で伝えてくれた。来月はまた私と一緒においでと、母が言ったらしい。子供時代、母と叔母が仲良しで頻繁に行き来していたのを、姉も私も憶えている。母が叔母と仲良し姉妹でいるように、姉と私がいくつになっても仲良し姉妹でいることが、母はうれしいらしい。そのことを、時々、姉と確認し合って、いつまでも仲良し姉妹でいようねと言い合っている。
週に3日、デイ・サービスへ行っていて、月に1度は義姉の都合で数日間のショート・ステイをするらしい。気分転換になるでしょう、と義姉が言った時、
「でも、風邪やインフルエンザの感染が心配ね」
と、私は言った。
「それは大丈夫。お医者さんの診断書で、風邪もインフルエンザもかかってないって証明できないと、泊れないことになってるの」
義姉が、そう言ったので、
「ああ良かった。それなら安心ね」
私は、ホッとした。よく、高齢者施設で集団感染の記事が新聞に載ったりするから、心配だったのだ。
その日は母と義姉と姉と私の4人で食事したりお茶を飲んだりして、楽しく過ごして来た。
12月と1月、母は妹に会いに、義姉の車で連れて行って貰ったらしく、その時のことを話したりした。8人きょうだいのうち、末っ子の叔母と、下から2番目の母だけになってしまったから、たった1人のきょうだいに会いに行くのが楽しみなようだった。
叔母は糖尿病があったが、6年前、脳疾患で入院し、退院してほとんど回復したので、次男が車で叔母を連れて、私の実家によく遊びに来ていた。2年半前、再発作で倒れ、入院していたが、その後、有料の施設に移った。新しい建物の民間施設で医師と看護師が常駐し、広くて落ち着ける個室に、叔母は暮らしている。会話はスムーズではなくなったが、叔母と母は、ちゃんと言葉を交わせる。
「会うと、いつも、◯◯(叔母の長男の名前)のことを言うから、かわいそうで……」
と、母は声を詰まらせた。そのことを話す時、母はいつも涙声になる。叔母の長男は2年前、永遠に旅立ってしまった。そのことを、誰もが叔母に話さないでおこうと決めたのだ。もし、長男の死を知ったら、強いショックを受け、せっかく可能な限り回復した体調も悪くなってしまうからだ。
叔母は、長男が来ないことを寂しそうに言うこともあるが、仕事で忙しくて来られないのだと、母に言うらしかった。叔母の長男は定年後、嘱託の仕事についたばかりで、ガンの手術をし、入退院していたことを、叔母の記憶の中から消えてしまったとは思えない。けれど、病気の悪化は伝えていなかったから、いつか長男は会いに来る、定年後の仕事できっと多忙なのだと自分に言い聞かせているのかもしれない。あるいは、周囲が隠していることを、もしかしたら叔母は知っていて、知らないふりをしているのかもしれないと、そんな気もかすかにした。
私は母の昔話を聞くのが大好きである。母は、亡くなった2人の姉と4人の兄の名前と、両親の名前を、1人ずつ口にして、私がそのたびに、どんな人? どんな性格? と質問すると、とてもなつかしそうに楽しそうに昔の家や肉親たちのことを話してくれた。母は海軍で戦死した長兄のことを話す時、いつも泣く。手紙のやり取りをしていて、特に仲の良かった兄だったらしい。その兄の死を知った時の両親の言葉が母は忘れられなくて、いっそう悲しげな声になるのだ。けれど、他のきょうだいの話や両親の話になると、また明るい顔つきに戻って、私たちを笑わせたりする。
今月は、姉が1人で行って来たが、母が元気だった様子を、すぐ電話で伝えてくれた。来月はまた私と一緒においでと、母が言ったらしい。子供時代、母と叔母が仲良しで頻繁に行き来していたのを、姉も私も憶えている。母が叔母と仲良し姉妹でいるように、姉と私がいくつになっても仲良し姉妹でいることが、母はうれしいらしい。そのことを、時々、姉と確認し合って、いつまでも仲良し姉妹でいようねと言い合っている。