一条きらら 近況

【 近況&身辺雑記 】

カルテを書く医師

2021年07月04日 | 最近のできごと
 担当医師が、私のスマホのデータを見てカルテを書き始めた。朝食後、パソコンで作成した、日にち・症状の経緯・飲んだ薬のデータである。プリントしようとしたら、インク切れでプリンターが止まってしまい、スマホに移した箇条書きメモのデータだった。プリントを見せれば、正確で、時短にもなると思ったのである。
 医師はその箇条書きメモのデータから抜粋しながらカルテを書いている様子だった。
(きっと先生も時短になるって思ってるわ)
 そう呟いたが、時々、医師は手を止めて私の顔を見ながら質問した。ごく短い質問ばかりで、私の答えをカルテに書きとめる。
 なるべく詳しく箇条書きメモをしてきたつもりでも、書き足りなかった点があるのは無理もない。
 医師から質問されるたび、信頼感が生まれたし、うれしかった。やはり医師と患者は、信頼感と相性と雰囲気が大事だと思う。その3つのどれも不足していないので、来て良かったと思った。
 診療所ではなく病院の整形外科にしたのも、正しい選択だったと思った。
 穏やかで落ち着いた声と口調で話す、いかにも病院の医師タイプの医師だった。
 私の主観では、医師には、診療所の医師タイプと、病院の医師タイプの医師がいる。
 テレビでコメント中の医師をチラ見した時も、そのことを瞬間的に感じたりする。
 10年ぐらい前までの一時期、私が診察や特定健診に行っていた近所の診療所の担当医師は、病院の医師タイプの医師だった。
 若いころに知り合い、友人として付き合っていた診療所の医師は、いかにも診療所の医師タイプの医師だった。
 診療所と病院の違いは、診療科目の数や医師や看護師の数の違いだが、ずっと以前は、診療所より病院のほうが優秀な医師がいるというような先入観があった。それは体験からだった。
 人生で初めて病院へ診察に行ったのは、唯一度の経験の出産直後で23歳の時だった。
 風邪の症状で、最初は近所の診療所へ行き、診察を受けた。40代に見える男性医師だった。問診と聴診器の検査の結果、風邪という診断だった。
 その日、人生で唯一度の経験をした。医師が看護師に薬と水を持って来るように言い、運ばれてくると、その薬を飲みなさいと私に言ったのである。処方する薬と同じ薬ということで、少しでも早く飲めば早く治るということなのかと思った。
 コップの中に水は8分目ぐらい入っていたが、私は3分の1ぐらいの水で薬を飲んだ。すると、もっと飲みなさいと医師に言われ、さらに飲んだが、コップに水は残っている。医師は、また、「もっと飲みなさい、全部」と言い、私はそうした。
「薬を飲む時は、水を多く飲まなくちゃ駄目」
 と、医師が言った。「はい」と私は素直にうなずいた。
 その後、レントゲン室へ案内され、壁際の診察ベッドに横たわり、また診察した。私は腕と胸と脚にできた淡いピンク色の発疹のことを言ったが、医師は私の腕と胸と脚を見るだけだった。顔と手と足にはできなかったので、全身の発疹ではなかったが、気になっていた。その時の医師の言葉は、記憶にない。
 レントゲン撮影して、処方薬を受け取り、帰宅した。
 薬を1週間飲んでも、症状の咳と発熱と発疹は、治らなかった。
 病院へ行くことになった。近所の診療所へ行った時は元夫が付き添ったが、病院へは、家事と新生児の娘の世話で泊まりに来ていた母が付き添った。
 初めて病院へ診察に行った時、その施設の広さに圧倒されるような気がした。子供のころに、お見舞いで行ったことのある病院は、もっと小ぢんまりしていた。
 待合室にいると、名前を呼ばれ、診察室へ母と一緒に入る。
 担当したのは30代半ばぐらいに見える男性医師だった。問診や聴診器や私の身体の発疹を見た後、
「風邪ではなく、麻疹(はしか)です」
 と、医師は断定的な口調で言った。母が驚き、
「この子は子供のころ、麻疹になりましたけど」
 そう言った。
「それは三日麻疹です。子供の時に三日麻疹になっても大人になってから治るのに時間のかかる麻疹になるということはあります」
 医師は穏やかな口調で説明し、母は納得したり質問したりしていた。麻疹の予防接種は小学生の時に受けていたが、大人になってからの危険な麻疹になったということになる。
 ずっと医師と母が話していて、私は黙って聞いているだけだった。2人のやり取りの言葉も半分ぐらいしか理解できなかった。病弱だった子供時代の延長で傍に母がいることの安心感に包まれていた。
 いくつか注意を受けたりして、処方薬を受け取って帰宅した。
 毎日、母が体温計で私の体温を測り、きちんと処方薬を飲んで、一日中寝ていた。薬のせいか、午前も午後も夜も眠気に襲われ、眠ってばかりいた。目が覚めている束の間の時間は、本を読んで過ごした。
 熱は39度の日が続き、もう死ぬのではないかという想いが、かすめた時もあった。
 風邪の症状が出て寝込むようになってから、治癒するまで1か月以上かかった。人生で一番の大病である。大人の麻疹は危険で、死ぬこともあるらしかった。
 その経験から、診療所より病院のほうが、優秀な医師がいて正確な診察をしてくれるという先入観を持つようになったのだった。
 当時と現在は違うから、その先入観は、とうに消えている。
 私の作成データから抜粋してカルテを書き終えた医師が、スマホを私に返し、椅子ごとクルリと向き直った。
 いよいよ診察、と緊張感に包まれながら、簡単メイクではなく目許をバッチリ・メイクしてくればよかったと小さな後悔が生じた。
(そんなこと考えてる場合じゃないわ。集中して、しっかり、先生の話を聞かなくちゃ)
 ふと、虚心坦懐という言葉が浮かんだが、とてもそんな心地にはなれなかった。

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