私の実家のお盆は8月。
お盆明けに、母から電話がかかってきた。
毎年、母は市内の実家へ、お盆のお参りに行っている。母の両親と兄夫婦はとうに亡くなり、甥一家が暮らしている。例年よりゆっくり過ごして、甥の長女の手料理も美味しかったとか、甥からどんなに歓迎されたか、うれしそうに話していた。
一家の主婦だったころの母は、実家へ行っても形式的なお参りで、すぐ帰って来た。本家だから親戚がたくさん来るし、のんびりすることはできなかったからだ。両親がいるころは、のんびりできず、いなくなってからはゆっくり過ごせるというのも、何だか可哀相な気がする。けれど、両親には会えなくても、生まれ育った実家へ行くことが、母には楽しみの1つなのだ。
「帰りに、今年で最後かもしれないから、って言ってきたの」
電話で、母が言った。
「また、そんなこと言って。来年もさ来年もその翌年もずっと行けるわよ」
私は言った。内心、母は口先だけで、そう言っていると感じた。明るい声、明るい口調だったからだ。実家へ行く時だけは、兄が車に乗せて行く。ふだん、内科や歯科や近くの親戚へは義姉が連れて行くので、滅多にないそのことも母には楽しみのようだった。
来年の夏も、その次もその次も、あと何年も母が実家へお盆のお参りに行けますようにと、その夜は就寝時にお祈りした。
お盆明けに、母から電話がかかってきた。
毎年、母は市内の実家へ、お盆のお参りに行っている。母の両親と兄夫婦はとうに亡くなり、甥一家が暮らしている。例年よりゆっくり過ごして、甥の長女の手料理も美味しかったとか、甥からどんなに歓迎されたか、うれしそうに話していた。
一家の主婦だったころの母は、実家へ行っても形式的なお参りで、すぐ帰って来た。本家だから親戚がたくさん来るし、のんびりすることはできなかったからだ。両親がいるころは、のんびりできず、いなくなってからはゆっくり過ごせるというのも、何だか可哀相な気がする。けれど、両親には会えなくても、生まれ育った実家へ行くことが、母には楽しみの1つなのだ。
「帰りに、今年で最後かもしれないから、って言ってきたの」
電話で、母が言った。
「また、そんなこと言って。来年もさ来年もその翌年もずっと行けるわよ」
私は言った。内心、母は口先だけで、そう言っていると感じた。明るい声、明るい口調だったからだ。実家へ行く時だけは、兄が車に乗せて行く。ふだん、内科や歯科や近くの親戚へは義姉が連れて行くので、滅多にないそのことも母には楽しみのようだった。
来年の夏も、その次もその次も、あと何年も母が実家へお盆のお参りに行けますようにと、その夜は就寝時にお祈りした。