毎日のように、断捨離を意識している。外出が少なく、家の中を眼にする時間が多いせいかもしれない。DVDを見ながらのエアロビやテレビを見ながらのストレッチで運動不足にはならず、標準体重維持。家事をすることも、効果的な運動になると、テレビで医師だったか専門家がコメントしていた。
以前から仕事が減るにつれ、比例して家事の時間が増えてきたが、主に料理や掃除が多く、断捨離は、なかなか進まなかった。
初めて断捨離という言葉を知ったのは、10年ぐらい前だった。物を所有することを断ち、不要な物は捨て、持っている物への執着から離れる。
何て素敵な言葉かと思った。ネット検索して調べると、インドの宗教にある言葉というようなことが、詳しく書かれていた。最近、もう一度検索したら、日本の提唱者の女性と男性の名前がある程度で、10年前に読んだ時のような断捨離という言葉についての詳細な記述のサイトが見当たらなかった。
単なる整理整頓が目的ではなく、もしかしたら私は人一倍、物を所有するのが好きで、物を捨てることを惜しみ、物への執着が強い人間かもしれないと自己分析していたので、いっそう断捨離という言葉に惹かれたのだと思う。
物を所有し過ぎて、不要な物があり過ぎるため、捜し物と掃除と整理に時間がかかること。物への執着が強いと、失った時にショックが大きく、過去から離れているつもりで実は離れていないというのは、精神的に良くないこと。それで、断捨離を実行しようと決めたのである。
それから10年経つのに、物が減った感じが、あまりしない。使わないバッグや履かない靴を取り出しては捨てて、断捨離できたと、その時はスッキリしても、別の日に新たに買ってしまう。食器もかなり捨ててスッキリしたら、合うサイズや形の皿を捨て過ぎて、また新たに買ってしまう。着ない服も少しずつ捨ててはいるが、時には買いたくなるし、さらに、シーツ・下着・タオル・寝具カバーなどの新品と使わない衣料品が、こんなにもあったのと驚くほど、あちらこちらから、まとめて出てくる。
また、だいぶ以前だが、収入がわりとあったころ、〈カタログ通販・フリーク〉だった時期がある。原稿を書き上げるたび、締切の解放感から、郵送されてきた通販会社のカタログ本をめくっては買いあさっていたが、未使用の商品がやたらと出てくるのである。
(こんな物、買っちゃったんだわ)
買ったことを忘れている商品で、不要な物が多いのは、店舗ではなく通販の衝動買いだからかもしれない。
(これ、使おうっと)
そう思う物も、いくつかはある。
テレビで、『ウチ、“断捨離”しました!』という番組を、番組名登録の予約録画をして毎週見ているが、断捨離の意欲がいつも以上に湧いてくる。
番組では、よく、相談者の家の部屋の床が見えなくて、〈物置部屋〉という言葉が出てきたりする。その乱雑ぶりの映像を見るたび、
(私のウチって、きれいに片付いてる!)
と、優越感に似た感情が湧くこともある。
ただし、室内だけを他人が見て、きれいに片付いているのであって、押し入れやクロゼットやキッチンや洗面所などの収納部分はゴチャゴチャと詰め込んであるから、
――他人のことは言えない――
と、ちょっぴり反省。その収納部分を開けなければ、部屋の床によけいな物は置いてないし、すっきりときれいなだけである。
私の断捨離方法は、テレビで見るやり方とは少し違う。
押し入れ、クロゼット3つ、キッチンや洗面所などの収納部分から、1日に1箇所だけ、入れてある物をすべて出して、そこから不要な物を処分していくのは同じだが、
(これ、どうしようかしら)
捨てようかやめようか、迷う物が多く、そんな時は元に戻しておくことが多い。テレビで見るように、一気にやって断捨離が終わりましたではなく、後日、また、入れてある物をすべて出して、選んで不要な物を処分していく。
取り出した物を見て、その時に捨てるか持っているか決めるだけではなく、スーパーへ出かけて歩きながらとか、お風呂に入っている時とか、他のことをしている時に、ふと迷う物が脳裡に浮かび、
(やっぱり、あれ、思いきって捨てようっと)
そう決心して、処分する。その繰り返し。
さらに、また、少し時期が経ったころ、取り出した物から迷った物を再度、眼にした時は気分が変わっていて、やっぱり捨てようという気になったりもする。
収納部分から、出したり入れたりである。出したり入れたり出したり入れたりを繰り返すことが、時間もかかり運動にもなり、確実に物が減って整理もされていく。
断捨離のテレビ番組を見て、
(私のウチって、きれいに片付いてる)
と、本当は言えない部屋が1つだけある。このブログを書いている部屋。大きめのデスクの上に2つのパソコン、プリンター、電話の親機、ネットのルーターにWi-Fiルーター、A4判の紙類などなど。さらに、寝室から移動したドレッサーとスツール、大きな書棚が2つ、〈積んどく本〉が数十冊、ハンディ掃除機、スキャナー、〈そよ風〉の風が気持ちいい扇風機、電話や掃除機やネットやスキャナーや扇風機のアダプター付きを含めた、さまざまな電気コードが床の上にゴチャゴチャと置かれている。ドレッサーの台の上には化粧品や化粧ポーチやティッシュの箱やその他がゴチャゴチャ雑然と。
天井の蛍光管を交換してもらう時とか、2年前の火災報知器交換工事の時など、半日かけて整理整頓することに。この部屋だけは、他人に見られたくない部屋である。もし、誰かがコッソリ見ていたら、ショックのあまり卒倒してしまうかもしれない。
以前、心療内科の診療もする知人の内科医師にその話をした時、私の精神状態が原因と言われて、ショックを受けた記憶がある。部屋が整理されているかされていないかは、住む人の精神状態の表れというようなことも言っていた。
(この部屋にいる時の私の精神状態が原因だったのね!)
納得した。確かに、この部屋にいると、他の部屋とは違う精神状態になることを自覚している。
もちろん、整理や掃除を全くしないわけでは、ない。整理しても整理しても、すぐ乱雑になってしまう不思議な部屋なのである。
(私の精神状態が安定したら、きれいな部屋になるわ)
そう信じている。
以前から仕事が減るにつれ、比例して家事の時間が増えてきたが、主に料理や掃除が多く、断捨離は、なかなか進まなかった。
初めて断捨離という言葉を知ったのは、10年ぐらい前だった。物を所有することを断ち、不要な物は捨て、持っている物への執着から離れる。
何て素敵な言葉かと思った。ネット検索して調べると、インドの宗教にある言葉というようなことが、詳しく書かれていた。最近、もう一度検索したら、日本の提唱者の女性と男性の名前がある程度で、10年前に読んだ時のような断捨離という言葉についての詳細な記述のサイトが見当たらなかった。
単なる整理整頓が目的ではなく、もしかしたら私は人一倍、物を所有するのが好きで、物を捨てることを惜しみ、物への執着が強い人間かもしれないと自己分析していたので、いっそう断捨離という言葉に惹かれたのだと思う。
物を所有し過ぎて、不要な物があり過ぎるため、捜し物と掃除と整理に時間がかかること。物への執着が強いと、失った時にショックが大きく、過去から離れているつもりで実は離れていないというのは、精神的に良くないこと。それで、断捨離を実行しようと決めたのである。
それから10年経つのに、物が減った感じが、あまりしない。使わないバッグや履かない靴を取り出しては捨てて、断捨離できたと、その時はスッキリしても、別の日に新たに買ってしまう。食器もかなり捨ててスッキリしたら、合うサイズや形の皿を捨て過ぎて、また新たに買ってしまう。着ない服も少しずつ捨ててはいるが、時には買いたくなるし、さらに、シーツ・下着・タオル・寝具カバーなどの新品と使わない衣料品が、こんなにもあったのと驚くほど、あちらこちらから、まとめて出てくる。
また、だいぶ以前だが、収入がわりとあったころ、〈カタログ通販・フリーク〉だった時期がある。原稿を書き上げるたび、締切の解放感から、郵送されてきた通販会社のカタログ本をめくっては買いあさっていたが、未使用の商品がやたらと出てくるのである。
(こんな物、買っちゃったんだわ)
買ったことを忘れている商品で、不要な物が多いのは、店舗ではなく通販の衝動買いだからかもしれない。
(これ、使おうっと)
そう思う物も、いくつかはある。
テレビで、『ウチ、“断捨離”しました!』という番組を、番組名登録の予約録画をして毎週見ているが、断捨離の意欲がいつも以上に湧いてくる。
番組では、よく、相談者の家の部屋の床が見えなくて、〈物置部屋〉という言葉が出てきたりする。その乱雑ぶりの映像を見るたび、
(私のウチって、きれいに片付いてる!)
と、優越感に似た感情が湧くこともある。
ただし、室内だけを他人が見て、きれいに片付いているのであって、押し入れやクロゼットやキッチンや洗面所などの収納部分はゴチャゴチャと詰め込んであるから、
――他人のことは言えない――
と、ちょっぴり反省。その収納部分を開けなければ、部屋の床によけいな物は置いてないし、すっきりときれいなだけである。
私の断捨離方法は、テレビで見るやり方とは少し違う。
押し入れ、クロゼット3つ、キッチンや洗面所などの収納部分から、1日に1箇所だけ、入れてある物をすべて出して、そこから不要な物を処分していくのは同じだが、
(これ、どうしようかしら)
捨てようかやめようか、迷う物が多く、そんな時は元に戻しておくことが多い。テレビで見るように、一気にやって断捨離が終わりましたではなく、後日、また、入れてある物をすべて出して、選んで不要な物を処分していく。
取り出した物を見て、その時に捨てるか持っているか決めるだけではなく、スーパーへ出かけて歩きながらとか、お風呂に入っている時とか、他のことをしている時に、ふと迷う物が脳裡に浮かび、
(やっぱり、あれ、思いきって捨てようっと)
そう決心して、処分する。その繰り返し。
さらに、また、少し時期が経ったころ、取り出した物から迷った物を再度、眼にした時は気分が変わっていて、やっぱり捨てようという気になったりもする。
収納部分から、出したり入れたりである。出したり入れたり出したり入れたりを繰り返すことが、時間もかかり運動にもなり、確実に物が減って整理もされていく。
断捨離のテレビ番組を見て、
(私のウチって、きれいに片付いてる)
と、本当は言えない部屋が1つだけある。このブログを書いている部屋。大きめのデスクの上に2つのパソコン、プリンター、電話の親機、ネットのルーターにWi-Fiルーター、A4判の紙類などなど。さらに、寝室から移動したドレッサーとスツール、大きな書棚が2つ、〈積んどく本〉が数十冊、ハンディ掃除機、スキャナー、〈そよ風〉の風が気持ちいい扇風機、電話や掃除機やネットやスキャナーや扇風機のアダプター付きを含めた、さまざまな電気コードが床の上にゴチャゴチャと置かれている。ドレッサーの台の上には化粧品や化粧ポーチやティッシュの箱やその他がゴチャゴチャ雑然と。
天井の蛍光管を交換してもらう時とか、2年前の火災報知器交換工事の時など、半日かけて整理整頓することに。この部屋だけは、他人に見られたくない部屋である。もし、誰かがコッソリ見ていたら、ショックのあまり卒倒してしまうかもしれない。
以前、心療内科の診療もする知人の内科医師にその話をした時、私の精神状態が原因と言われて、ショックを受けた記憶がある。部屋が整理されているかされていないかは、住む人の精神状態の表れというようなことも言っていた。
(この部屋にいる時の私の精神状態が原因だったのね!)
納得した。確かに、この部屋にいると、他の部屋とは違う精神状態になることを自覚している。
もちろん、整理や掃除を全くしないわけでは、ない。整理しても整理しても、すぐ乱雑になってしまう不思議な部屋なのである。
(私の精神状態が安定したら、きれいな部屋になるわ)
そう信じている。