一条きらら 近況

【 近況&身辺雑記 】

イケメン・ドクター

2021年06月27日 | 最近のできごと
 名前を呼ばれて受付窓口へ行くと、カウンターの内側の看護師さんから、
「4番の診察室のドアのポケットに、これを入れて、お待ち下さい」
 と、A4サイズのブルーのファイルブックを渡された。
「はい」と答えて受け取った私は、並んだ診察室の前を歩いて行った。
 4番の診察室の、ドアの半分の高さの所に四角いケースがあったので、そこにファイルブックを入れた。
 ドアの上に、診療科名と医師のネームプレートが掲げてあった。
 5分ぐらい待った後、部屋に入るようにと看護師さんの声がした。
 診察室に入り、よろしくお願いしますと言って、椅子に座りかけた時だった。開いたファイルブックを手にした看護師さんが、名前をと言うので、フルネームを口にすると、
「あ、違う。すみません、5番の部屋です」
 と、何故か慌ただしそうな口調で言った。
 私は4番の診察室を出て行きながら、
(看護師ミスね)
 内心、呟く。小さな許せるミスだけれど。患者の取り違えの医療ミスが、一瞬、連想された。
 隣の5番の診察室に入った。
 デスクの前の医師の顔を見て、「よろしくお願いします」と言いながら、内心、
(さっきの医師よりイケメン!)
 と、うれしくなった。マスクをしているから、イケメンかどうかわからないが、4番の診察室の医師より、澄んだ目をしたイケメンそうなタイプの中年医師だった。
 苦あれば楽あり。辛い日々に耐えた私に神様のご褒美と感じた。
 もっとも、医療機関へ行くと、女性医師は苦手だが、担当する男性医師は皆、イケメン・ドクターに見えて好きになってしまう。医師という職業の男性に会うことが珍しくて好きなのかもしれない。今まで会ったのは、内科医師、歯科医師、産婦人科医師。そして当日の整形外科医師。女性医師以外は、嫌いとか苦手と思った男性医師は、1人もいなかったと言っていいくらいだった。
 思い出した。1人、大嫌いな医師がいた。
 病弱だった子供時代、何度も母に連れられて行った診療所の初老医師は、毎回、号泣しまくる私に残虐非道な注射針を突き刺す悪魔みたいで大嫌いだった。注射が終わってもシクシク泣き続ける私を宥めることもせず、やさしい言葉もかけてくれず、私の顔を見ながら母に、「10歳になれば丈夫な身体になりますよ」と、いつも言うのだった。10歳になればというのが、どんな根拠か知らないが、正確には小学3年からは、腹痛も発熱も嘔吐もなく、風邪も引かず、ぐったり横になることも寝込むこともなく、学校を欠席しないし、薬も飲まないし、診療所も行かなかったから、10歳ではなく8歳の時に病弱ではなくなったことになる。神経質な子供が罹る〈自家中毒〉という病気が完治したのだった。
(あの残酷で冷酷で残虐非道な医師に会いたくなかったからだわ)
 大嫌いな医師に会いたくない一念が子供心に染み付いて、10歳より2年も早く、健康になったのかもしれなかった。
 昔のできごとは忘れがちだが、あの時期は今でも鮮明に記憶している。
 自宅から徒歩で10分ぐらいの所にある診療所だった。
 途中に駄菓子屋があって、通りかかって店のほうを見る私に、母は毎回、
「今日、泣かなかったら、帰りにお菓子買ってあげる」
 と、言い、
「うん」
 と、喜んで答えてしばらく歩くが、診療所の門を眼にした瞬間、激しく泣き出してしまう。行かない、行かない、行かない、行かないと口走り泣きながら母の手を引っ張って帰ろうとしても、無駄な抵抗だった。母に抱き上げられて、あっという間に診療所に着いてしまう。号泣とシクシク泣きの地獄の時間が過ぎ、診療所の門を出ると、安堵と笑顔。どんなに泣いても、毎回、駄菓子屋に寄って、母はお菓子と玩具を買ってくれた。
 母は、私がぐったりして寝込むようになると、いつもよりはるかにはるかに、やさしくなる人だった。私を溺愛した祖母と同じくらいに、この上なく、やさしい母に変身する。子供心に、それがとてもうれしかった。
 私は4人きょうだいの末っ子だが、上の姉は4歳の時に病死した。母はその不幸を経験しているからこそ、いっそう、私を元気で丈夫な身体にと強く願ったのかもしれなかった。
 5番の診察室に入って、担当のイケメン医師の診察が始まる前に、私は説明した。
「今朝、日にちと症状と飲んだ薬の名前などのメモのデータをプリントしようとしたら、インク切れでプリンターが止まってしまったので、データをパソコンから移したこれを見ながら話したいのですけど」
 と、ポシェットからスマホを取り出して少し操作した。すると、医師が、
「じゃ、ちょっといい?」
 と言いながら、私のスマホに手を伸ばした。プリントではなくデータを入れたスマホを医師が手にするとは思わなかったので、
「あ、はい」
 スマホを渡しながら、理由もなく小さな喜びに包まれた。

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