2008年5月15日、30週2日、1008gで生まれた寛太朗の成長記録

生後535日目、寛ちゃんは突然お空へと還っていきました。寛ちゃんと過ごした日々は、ママの心の宝物♪幸せをありがとう。

おススメのページ♪

2010年02月12日 07時52分01秒 | 素敵な詩
朝から号泣してしまいました。

このブログを読んでくださって、メールフォームからメールを下さった方のページを読ませていただきました。

sakusaku115さん、どうもありがとうございます。

寛ちゃんからの言葉に感じました。

大切なお子さんを亡くされたママさんにおススメです。。。
↓↓↓
http://chirorin115.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_99b1.html

たくさんの天使ママが頑張っています!

心に響く詩『オランダへようこそ♪』

2009年06月18日 07時07分56秒 | 素敵な詩
6月17日(水)生後398日目

今日は、昨日仲良しのママ友に教えてもらった詩が、すごく心に響いて、気持ちがすごくラクになったので、ここでも紹介したいと思います。

「オランダへようこそ」は、ダウン症児のお母さん、エミリー・パール・キングスレーさんが1987年に書かれた文章です。

『オランダへようこそ♪』

私はよく障碍を持つ子供を育てるって、どんな感じか聞かれることがあります。
障害児を育てるというユニークな体験をしたことがない人が理解して、想像出来るように
こんな話をします。

出産の準備をするというのは、すてきな旅行の計画をすることに似ています。
例えば、イタリアへの旅。旅行ガイドをどっさり買い込み、現地での行動を計画します。
ローマのコロシアム。ミケランジェロのダビデ像。ベニスのゴンドラ。簡単なイタリア語を覚える
かも知れません。とても、わくわくします。

そして、何ヶ月も待ちに待ったその日がやってきます。あなたはカバンを持って、いよいよ出発
です。数時間後、あなたを乗せた飛行機が着陸します。
スチュワーデスが来て、「オランダへようこそ。」と言います。

「オランダですって?」とあなたは驚きます。
「オランダってどういうこと?」
「私はイタリアへ行くはずだったのよ!ずっと前からの夢だったのに!」  
しかし、飛行計画が変更になり、オランダへ着陸したのです。
あなたはそこに留まらなければなりません。

ここで考えて欲しいのは、あなたは不快で汚くて、伝染病、飢饉や、病に侵されたひどい場所
に連れてこられたのではないと言うことです。ただ、ちょっと違う場所なのです。

あなたは、新しい旅行ガイドを買わなければなりません。そして、全く違う言葉を覚えなければ
ならないのです。また、今まで会ったことのない人々に出会うことになります。

ちょっと違う場所へ来ただけなのです。イタリアに比べて、時はゆっくりと過ぎていき、イタリアのよう
な華やかさはありません。でもしばらくここにいて、深く息を吸いこんで、周りをみわたすと…
オランダには風車があることに気がつきます…チューリップも。
オランダにはレンブラントの絵もあります。

あなたの知人たちは、イタリアへ行ったり来たりして、とても楽しい時間を過ごしたと自慢します。
あなたは残りの人生、こう言い続けるでしょう。「私もイタリアへ行くはずだったの。
そのつもりだったの。」

イタリアへ行けなかった痛みは癒えることはないでしょう。失った夢はあまりにも大きすぎるのです。

しかし、いつまでもイタリアに行けなかったことを悔やんでいると、オランダのすばらしさや、美しさを
楽しむことは出来ないでしょう。


この詩をネットで検索して読んでいる時に、辿り着いたページも紹介します。
少し長いので載せる事は出来ないので。。。
http://plaza.rakuten.co.jp/moridiary/2006
ほんの一部だけを載せさせてもらいます。。。(もりちゃんの日記より)
(PCからでないと、ちゃんとページにリンクしません…)

「たまごくらぶ」を読んで、
もうすぐ「ひよこくらぶ」だなあ、とうっとり夢見ていたのに
何が悲しくて輸血の許可証のサインだの、入院の申し込みだの、
乳幼児医療の申し込みだのをしてるんだか?
手術の同意書?緊急手術、医療方針の決定。
遺伝子検査。おいおい…。


どちらを読んでも、心がラクになりました♪

普通に妊婦生活を送って、普通に産んで、普通に育てて、普通の生活をする…

なんで、私には出来なかったの?出来ないの?と、きっと同じように思ってるママさんって私だけじゃなく、たくさんいると思います。

だって、まさか自分が…ちょっと特別な子育てをするなんて、お腹に授かってウキウキ喜んだあの瞬間には、考えてもみなかった未来ですもんね。

でも、胸を張って『幸せ』と言えます。
すごく幸せ!!すごくすごく幸せ!!!すごくすごくすごく幸せ!!!!

今までの人生で考えた事もなかった事を考え、感じ、得た事のなかったものを得て、深く繋がる友も出来て、家族の絆も深まって、パパを尊敬できて、

寛太朗は、普通の幸せと、特別な幸せ、+αを、私にプレゼントし続けてくれている気がします。

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『道』 『めぐりあい』

2008年09月24日 09時47分56秒 | 素敵な詩
『道』

長い人生にはなあ
どんなに避けようとしても
どうしても通らなければ
ならぬ道というものが
あるんだなあ

そんなときはその道を
黙って歩くことだな
愚痴や弱音を
吐かないでな

黙って歩くんだよ
ただ黙って
涙なんか見せちゃダメだぜ

そしてなあ
そのときなんだよ
人間としての
いのちの根が
ふかくなるのは

『めぐりあい』

あなたにめぐりあえてほんとうによかった
ひとりでもいい
こころからそういってくれるひとがあれば  


どちらも相田みつをさんの詩です。

子は親の鏡

2008年09月22日 08時22分24秒 | 素敵な詩
「子は親の鏡」
ドロシー・ロー・ノルト

けなされて育つと
子どもは
人をけなすようになる

とげとげした家庭で育つと
子どもは
乱暴になる

不安な気持ちで育てると
子どもも
不安になる

「かわいそうな子だ」
と言って育てると
子どもは
惨めな気持ちになる

子どもを馬鹿にすると
引っ込み思案な子になる

親が他人を羨んでばかりいると
子どもも
人を羨むようになる

叱りつけてばかりいると
子どもは
「自分は悪い子なんだ」
と思ってしまう

励ましてあげれば
子どもは
自信を持つようになる

広い心で接すれば
キレる子にはならない

誉めてあげれば
子どもは
明るい子に育つ

愛してあげれば
子どもは
人を愛することを学ぶ

認めてあげれば
子どもは
自分が好きになる

見つめてあげれば
子どもは
頑張り屋になる

分かち合うことを教えれば
子どもは
思いやりを学ぶ

親が正直であれば
子どもは
正直であることの
大切さを知る

子どもに公平であれば
子どもは
正義感のある子に育つ

やさしく思いやりをもって
育てれば
子どもは
やさしい子に育つ

守ってあげれば
子どもは
強い子に育つ

和気あいあいとした
家庭で育てば
子どもは
この世の中はいいところだと
思えるようになる

育ててくれてありがとう

2008年09月22日 08時09分42秒 | 素敵な詩
『育ててくれて、ありがとう』


  ボク、ママにぜひ
  つたえたいことがあるんだ。
  ボクをそだててくれてありがとう!
  ボクがここまでこれたのは、
  ママがいてくれたから。
  ママのこどもに
  うまれてきてよかった・・・・・・。

  ボクはほこのこよりも、
  よけいにママのてをわずらわせてきたね。
  なんとかここまで、せいちょうできたのも、
  ママとパパのおかげさ。ボクはそのことを
  いつもかんしゃしているんだよ。

  ボクはひとしれぬ
  ママのくるしみやかなしみを
  じっとみまもってきた。
  ボクはいつだって、
  ちいさなカラダのおくで、
  ママにがんばれ!がんばれ!
  ってさけんでたんだよ。

  ボクはしっている。
  いままでママがなんども、なんども
  くじけそうになり、たびたびうちひしがれてたことを。
  そして、ひとりぼっちで、
  なみだもかれはててしまうほど、ないたってこともね。
  ママがなきつかれて、ねむっていたとき、
  ボクはカラダからぬけだし、
  ママをそっとだきしめて、
  なぐさめていたってこと、しってた?

  みんなはボクのことを、
  いろいろときづかってくれるけれど、
  ボクはボク。ほかのみんなと
  すこしちがうところがある、
  ただそれだけさ。それがボクなんだ!
  ボクたちのことを、ハンディキャップをもった
  こどもって、ひとはよぶけれど、
  ハンディキャップというのは、ひとがそれぞれ
  もっている、さまざまな「じょうけん」のことなんだ。

  ボクがこのせかいにやってきたのは、
  このカラダをつかって
  どれだけのことができるか、
  じぶんのもっているちからを、
  ためしてみるためだったんだよ。
  そのためにボクは、さまざまな「じょうけん」を
  じぶんじしんにあたえたんだ。

  みんなだって、よくみると、
  ひとりひとり、ずいぶんちがうよ。
  すがたや、かおだちも。
  みんながおなじだなんて、
  そんなのおかしいし、
  ひととちがうってことのほうが
  あたりまえで、しぜんなことだよね。

  カラダは、ひとがこのよでいきていくための
  うつわのようなものなんだ。
  そして、どのようなカラダであれ、
  それをつかって、どんなじんせいをつくるか、
  どんなことができるか、だれもが
  チャレンジしているんだよ。

  ボクのなかまはたくさんいる。
  じぶんではいきができないこ、うごけないこ、
  しゃべれないこ、ゆびさきや、まぶただけしか
  うごかせないこ。
  たつことも、あるくこともできないこ。
  しんぞうがよわく、めやみみが、ふじゆうなこもいる。
  とつぜんこえをあげたり、じぶんをおさえきれず、
  あばれてしまうこもいるよ。

  でも、いろんな、こんなんをのりこえて、
  みんないっしょうけんめい、いきている。
  かぞくのみんなも、いっしょにがんばっているんだ!
 
  ボクらはくるしみにはまけないし、
  こわがったり、めげたりもしない。
  つらいことは、えいえんにつづかないし、
  ボクたちは、そのくるしみをのりこえる
  ちからをもってうまれてきたって、しっているから。
 
  「じょうけん」は、カラダのことだけじゃないよ。
  せいかくや、かんじかたや、かんがえかた、
  かぞくや、かていかんきょう、そうしたすべてが
  「じょうけん」として、それぞれの「かだい」として
  あたえられている。
  そう、ひとはみな、それぞれの
  じんせいのチャレンジャーなんだ!

  ボクがあえていまのカラダをえらんだのは、
  こんなんなじんせいにチャレンジする
  ゆうきとちからが、あったからだってことを
  りかいしてもらいたいんだ。
  それはママだって、おなじ!
  ボクをそだてるという、たいへんなじんせいに
  チャレンジしているんだよ。

  ハンディキャップって
  じつはなにかにチャレンジするための
  チャンスといってもいい。
  おおきなハンディキャップを
  かかえているひとや、そのかぞくは、
  チャレンジせいしんにあふれてる、
  すばらしいひとたちだ。

  ひとが、マラソンでながいきょりをはしったり、
  けわしく、たかいやまにのぼろうと
  してみたりするのは、なぜだろうね。
  ひとがそれぞれの「じょうけん」のなかで
  チャレンジするのも、それとおなじなんだよ。

  じつをいうと、ひとのじんせいって、
  1かいこっきりのものじゃないんだよ。
  だれもが、いままでなんども、なんども
  このよにうまれ、そして、さまざまなじんせいに
  チャレンジしてきたんだ。

  そして、そのときそのそきのじんせいを
  ともにすごすかぞくや、まわりのひとたちにも、
  それぞれのはたすべき「やくわり」が
  あたえられていて、みんなでともに
  せいちょうしようとしているんだよ。

  ボクはこのせかいでは、
  ふじゆうのようにみえるけど、
  ボクのほんとうのすがたをしったら、
  きっとママもパパもおどろくよ。
  ボクのたましいは、かんぺきさ!
  そのちからづよさと、かがやきを
  かんじてほしいな!

  ボクがこのカラダをえらんで
  このせかいにうまれたってことは、
  すごいことなんだ!
  そして、きょうまでやってこれたのは
  きせきかもしれない。
  ママとパパとみんなが
  こころをよせてくれたおかげさ。
 
  これから、ボクがどういきていくか、
  たしかにそれはたいへんかもしれないけど、
  ボクには、なかまがいるし、てだすけしてくれる
  ひとたちもたくさんいる。
  しゃかいも、すこしずつだけど、ボクたちのような
  チャレンジャーに、りかいをふかめつつある。
  そのためにも、ボクたちはがんばっているんだよ。

  いろんなひとが
  いろんなじんせいをおくっているけれど、
  どんなにくるしいじんせいだって、
  だれもがかならず、のりこえられる!
  だって、そのじんせいは、もともと
  それぞれのこころのおくふかいところで
  けいかくしたんだから。

  ボクがママのこどもにうまれたのは、
  ママにあいたかったから。
  ママのあいを、だれよりもひつようとしたから。
  そして、ボクがパパのこどもにうまれたのは、
  パパのゆうきを、だれよりもひつようとしたからなんだ。

  ママにそだててもらえて、
  ボク、ほんとうにしあわせだよ!
  ママ、パパ、ありがとう。
  ボクをたいせつにそだててくれて、
  ありがとう!

  これから、なんどうまれかわっても 
  ボクはママたちといっしょだよ。
  おたがいがんばって、それぞれの
  じんせいのチャンピオンになろうね!

    書籍名:『育ててくれて、ありがとう』
      著者名:葉 祥明
      出版社:サンマ-ク社
 

生んでくれてありがとう

2008年09月22日 08時06分44秒 | 素敵な詩
『生んでくれて、ありがとう』

 
  だいすきなママへ・・・・・・。
  ボクはこのことをどう、つたえたらいいのか、
  ずっとかんがえてきた。
  これからボクは、ママのこころに
  とてもたいせつなことをかたりかけるよ。
  ボクをうんでくれたママに、 
  ボクのこと、もっとしってほしいから・・・・・・。

  ママ、ボクがうまれたとき、
  ボクのカラダのことをしって
  おどろいたでしょう?
  ごめんね。ボクがみんな
  とすこしちがっているんで、
  しんぱいしたんだね。

  でも、ボク、ちいさいけれど、
  ほら、こんなにやわらかくて、あったかい。
  そして、いっしょうけんめいに
  いきようとしている!

  ボクのカラダは、
  けっしてまちがいや、ぐうぜんで
  こうなったんじゃないんだ
  もちろん、なにかのつぐないなんかでもない。
  ボクがほかのことちがうのには
  ふかいわけがあるんだ。
 
  なんだかボク、おかしなことをいってるみたいに
  おもうかもしれないけど、
  このカラダそのものが、ボクのすべてではなく、
  そのおくにいて、カラダをいかし、うごかしているのが、
  ほんとうのボクなんだ!
 
  ボクはしっていた。
  ママのおなかのなかで、このカラダが
  できるまえから・・・・・・。
  ボクが、どんなふうにうまれるかを。
  それだけじゃなく、これからさき、
  ボクがどんなせいかつをし、
  どんなじんせいをおくることになるのかも
  ぜんぶわかっていたんだよ。

  すべてをわかったうえで、
  ボクはママをママにえらんだ。
  なぜって、こんどのじんせいで
  ボクがチャレンジしようとしていることに
  もっともふさわしいカラダのボクをうけいれる
  おおきな、おおきなあいが、ママにはあったからだよ。
  ママもこころのどこかで、そうかんじていなかった?

  そう、これはボクにとって、
  たいせつなチャレンジなんだ!
  このせかいでハンディキャップをもって
  いきることが、どんなものであるかを
  けいけんするための・・・・・・。
  このカラダで、ボクはじぶんが
  どこまでがんばれるのかを
  ためすつもりさ。

  うまくいえないけれど、
  このカラダはボクじしんが
  のぞんだものなんだよ。だからママは、
  もうじぶんをせめたりしないでね。
  むしろボクは、ありがとうって、いいたい!
  こんなふうにうんでくれたママに、
  こころから、ありがとうって・・・・・・。

  ボクにとってたいせつなのは、
  じんせいのそのときそのときを
  いかにいきるかなんだ。
  ふつうのじんせいをおくり、
  あたりまえのせいかつをするには、
  ひといちばいのどりょくがひつようだけど・・・・・・。
  でも、これはボクにとって、
  とてもやりがいのあることなんだ。

  たしかにボクはいろんなこと、
  ほかのこたちとおなじようには
  できないかもしれない。
  でも、よおくみて!ボクはまいにち、すこしずつ、すこしずつ
  せいちょうしているよ! ママはわかるでしょ。
  あたりまえのことでも、ボクがこのカラダで
  はじめてやれたときのよろこびは、
  なにものにもかえがたいものだよね!

  ボクがせいいっぱい、いきることで、
  みんなにつたえられることがいっぱい
  あるとおもうんだ。
  いきること、あいすること、
  いのちのすばらしさ、ふしぎさ・・・・・・。
  それを、ママやパパや、きょうだいたち、
  まわりのひとたちにかんじてもらえたら、
  ボクはとてもうれしい!

  それから、みんなのたすけがひつような
  ボクのようなにんげんが、このせかいには
  たくさんいるんだということを
  おおくのひとにしってもらうことも、
  こんどのボクのじんせいの
  たいせつなもくてきのひとつなんだ。

  でも、じつをいうと、だれもがなにかの
  ハンディキャップをかかえていきている。
  あかんぼうも、わかものも、おとなも、おとしよりも、
  せいかくだって、かおつきだって、たちばだってさまざま。
  かんぜんなひとなんていないんだよ。
  そうなんだ、ひとはみんな、
  なにかしらのハンディキャップがあるからこそ、
  おたがいにきづき、まなべることが
  たくさんあるんだ!
 
  ママ、ボクをみて!
  これがボク、ありのままのボク。
  だけど、ママ、これからさきのことをかんがえて
  おそれないで!あきらめないで!
  なにがあってもだいじょうぶ。
  このよにおこることには、すべていみがあり、
  むいみなことなんか、なにもないんだ。
  おおきな、おおきな、みえないちからをしんじて、
  あんしんして、このことをうけいれればいいんだよ。

  つらいときには、そこからすこし、はなれてごらん。
  そうすると、みえなかったものがみえてくるよ。
  くるしみのなかにも、よろこびややすらぎがあり、
  うつくしさだって、すくいだってあるよ。
  しんぱいしないで。
  すべては、なるようになっていくからね。

  もちろん、ボクだって、これからさき、
  うなったり、ないたり、おこったり、
  はがゆいおもいをしたりもするかもしれない。
  でも、そんなボクを、こころのふかいところで
  じっと、みまもっているもうひとりのボクがいる。

  ママもそうだよ。なやんだり、
  かなしいおもいをしたりしているママを
  ふかいところではげましたり、なぐさめたり、
  やさしくみまもっているそんざいがいる。
  だからママは、けっしてひとりぼっちなんかじゃない。
  じぶんひとりで、くるしみをぜんぶ
  ひきうけなくてもいいんだよ。

  ボクはママをしんじている。
  はじめはたいへんだし、つらいだろうけど、
  そのうち、ママはボクのためにもつよく、
  たくましくなっていき、
  もう、どんなことにも、なきごとをいわなくなる。
  むしろ、ボクのようなこどもをもったことで、
  ほんとうのあいや、いのちのすばらしさをしり、
  おもいやりぶかいひとになるだろうって。

  ボクにとっても、ママにとっても、
  まわりのみんなにとっても、
  このいっけん、ふこうにみえることも
  じつは、そうぞうもつかないほどの、すばらしく、
  かんどうてきなドラマだって、いずれは
  おもうはずなんだ!
  
  ボクのねがいは、
  ママがだれにもひけめをかんじることなく、
  むしろほこりをもって、いきてほしいってこと。
  きそいあったり、くらべたりするせかいとはちがう、
  おだやかで、おもいやりにみちた、やさしいせかい。
  それが、ボクのいきているせかいなんだ。
  ママも、みんなも、すこしずつ、
  そのことがわかってくるはずさ!

  たいせつなのは、ボクもママも
  いま、いきているってこと。
  すぎたことをくよくよかんがえたり
  さきのしんぱいなんか、しなくてもいいんだよ。
  ボクといっしょに、このいちにち、いちにち、
  いっしゅん、いっしゅんを
  ひたむきにいきようよ!

  ママ、ほんとに、ボクをうんでくれて、ありがとう!
  パパ、ボクをうけいれてくれて、ありがとう!
  みんなで、とくべつの、とびきりのじんせいを
  あゆんでいこうね!

    書籍名:『生んでくれて、ありがとう』
      著者名:葉 祥明
      出版社:サンマ-ク社



天国の特別な子ども

2008年09月22日 08時02分35秒 | 素敵な詩
天国の特別なこども

                         
会議が開かれました。

地球からはるか遠くで

“また次の赤ちゃん誕生の時間ですよ”

天においでになる神様に向かって 天使たちは言いました。

“この子は特別な赤ちゃんで たくさんの愛情が必要でしょう。

この子の成長は とてもゆっくりに見えるかもしれません。

もしかして 一人前になれないかもしれません。

だから この子は下界で出会う人々に

とくに気をつけてもらわなければならないのです。

もしかして この子の思うことは

なかなか分かってもらえないかもしれません。

何をやっても うまくいかないかもしれません。

ですから私たちは この子がどこに生まれるか

注意深く選ばなければならないのです。

この子の生涯が しあわせなものとなるように

どうぞ神様 この子のためにすばらしい両親をさがしてあげてください。

神様のために特別な任務をひきうけてくれるような両親を。

その二人は すぐには気がつかないかもしれません。

彼ら二人が自分たちに求められている特別な役割を。

けれども 天から授けられたこの子によって

ますます強い信仰心と豊かな愛をいだくようになることでしょう。

やがて二人は 自分たちに与えられた特別の

神の思召しをさとるようになるでしょう。

神からおくられたこの子を育てることによって。

柔和でおだやかなこのとうとい授かりものこそ

天から授かった特別な子どもなのです。”

 
Edna Massimilla 作

大江 祐子 訳