2008年5月15日に生まれた寛太朗は、1歳5カ月15日15時間の命を生き抜いて、天使になった。
1と5が並ぶのはただの偶然なのかな?
それとも、『一期』生まれてから死ぬまでを懸命に生きた!ってことかな?
5月15日の誕生日花は『忘れな草』、花言葉は「私を忘れないで。」、ただの偶然かな?
それとも、この日を選んで生まれてきたのかな?
2008年10月31日、5カ月15日のNICU入院を経て退院、家族で初めて家で過ごした記念日。
それからぴったり一年の10月31日に日付が変わった瞬間に、心臓が止まったのはただの偶然かな?
それとも、神様から家で過ごせるのは1年ですよ、って告げられてたのかな?
火葬場からの帰り道、お骨になった寛太朗を抱っこして、母親の直感で、もしや??って思った。
不謹慎だけど、お骨になった寛太朗を毎日計測していたベビースケールで計測したら1150~1200g(50g単位)。
そして、育児記録を見返して、やっぱり!
私が寛太朗を初めて抱っこ出来たのは生後35日目、それまでは保育器の窓からつんつんしたりナデナデしたりしか出来なかったけど、念願の初☆抱っこ、その日の私の育児日記には『寛ちゃんを初めて抱っこしたよ。寛ちゃんはめちゃめちゃ小さくて軽いのに、ずっしりと命の重みを感じました。』と。
その日の体重が1162g。
これもただの偶然??
それとも、寛ちゃんが、お骨を抱いた時に、ママが悲しい気持ちではなく、懐かしい嬉しい気持ちになれるように、粋な計らいをしてくれたのかな?
4年が経った今でも、いつの時も会いたくて抱きしめたくてたまらない。
たった一度でもいいから会いたい抱きしめたい、たった一言でもいいから声が聞きたい、それすら叶わない…
でも、寛太朗は、天使になった今でも、親孝行をたくさんしてくれている。
たくさんの人と出逢わせてくれて、人の優しさを教えてくれて、たくさんの大切なことを気付かせてくれる。
寛太朗のお母さんになれた事が、何よりも幸せ。
そして、親バカ丸出しだけど、我が子はスゴイと思う。
かんちゃん、いままでも、これからもずっとずっとだいすきだよ。いつもありがとう!!これからも、ママのこころのなかで、いっしょにいきていこうね!!ママのこどもにうまれてきてくれて、ほんとうにありがとう!!
10月31日0時28分、あの日から4年。。。
4年の歳月が流れた今でも、寛太朗を想ってくれる人がたくさんいることは、寛太朗も、私も本当に嬉しくて、とても有り難いことです。
30日の朝から、メールや、お花、手紙や、お供えのお菓子など…たくさんの人の優しさに、心が救われました。
我が家のリビングはまるでお花畑のように、いい香りに包まれています。。
本当にどうもありがとうございます!!