2008年5月15日、30週2日、1008gで生まれた寛太朗の成長記録

生後535日目、寛ちゃんは突然お空へと還っていきました。寛ちゃんと過ごした日々は、ママの心の宝物♪幸せをありがとう。

寛ちゃんへの手作りケーキ♪

2009年11月30日 17時04分28秒 | 天使ママ日記 2009.11~
月命日なので、何かしてあげたくって、『チーズケーキ』を焼いてみました♪


(焦げ目がちょっと足りなかったな…)

冷めたら寛ちゃんにお供えしま~す。。。

寛ちゃん…注入一筋だったから…
何をお供えすべきか…悩みます。。。

天国へいくと、病気などは全て治るようなので(と言われている)、ミルクだけではなく、ご飯やお菓子、果物もお供えしてます。

寛ちゃん、チーズケーキ喜んでくれてるといいなぁ。。。

たくさんの天使ママが頑張っています!

1回目の月命日

2009年11月30日 10時09分21秒 | 天使ママ日記 2009.11~
今日は、寛ちゃんの1回目の月命日です。

(31日に亡くなったので、31日のない月は30日が月命日となるそうです。)

さっき、兄夫婦から、お花のアレンジメントが届きました♪



カワイイお花。。。
ピンクはママの好きな色なんだけど、ママがピンク好きだから、我が家のインテリアはピンクが多いし、寛ちゃんのベビーカーも、お布団もピンクだったから、きっと寛ちゃんにとっても落ち着く色だっただろうなぁ…って勝手に思ってます。

1ヶ月前の今頃、寛ちゃんは朝寝をしていて、ママはブログで朝寝の様子を更新して。。。
いつもと何ひとつ変わらない日常を過ごしていたんだよな…。

午後イチの血液内科外来も普通に行って、診察でも元気で調子いいね!と言われ、普通に帰ってきて…

なのに、突然の発熱…。

先月の今頃には…こんな未来が待ってるなんて、考えてもみなかった…。

この1ヶ月…

寛ちゃんが亡くなった事は頭で理解してるけど…
心は全然ついていってないのが現実。。。

でも、前を向いて歩く!とそう心に誓って、なんとか歩んでるかな。。。

泣いて荒れ狂って現実逃避するほうが、よっぽどラクだけど…
そうしない!とパパと二人で決めて、頑張ってます。

パパは辛い中、頑張って仕事に行ってくれています。
私が同じように出来るかと言われたら、出来なと思う…だから、パパにはすごく感謝しています。

私は、まだ一人で外に出る勇気がなかなか持てず…先週にやっとこさスーパーに一人で行けるくらいになったけど…
ダメな日は、一日カーテンを開ける事すら出来なかったりします。

今週から、パパを見習って、私もはじめの一歩を踏み出すつもりです。。。

前回・前々回のブログにはたくさんのコメント、メールフォームへのメッセージ、たくさんたくさん本当にありがとうございます。

お一人お一人に返事を書きたい気持ちはあるのですが…

書くと、辛い瞬間を思い出してフラッシュバックしてしまったり…涙が溢れ出てしまうので…出来ないでいます…

本当に申し訳ありません。

みなさんから温かい言葉を頂いて、ただただ素直に嬉しかったです。

寛ちゃんの今までの頑張りを褒めてくださって、私の育児を褒めてくださって。。。

そうやってみなさんが言ってくださったお陰で、私の中の後悔が少なくなりました。
本当に感謝しています。


このブログを閉鎖するべきなのか…と迷いましたが、寛ちゃんの生きた証だし、ママとして必死に育てた証だし。。。
何より、優しく見守ってくださる方がたくさんいるので、継続して天使ママのブログとして、ちょこちょこ更新していけたらな…と思います。

きっと、気持ちの波が大きく、ダメな日は、読んで不快な思いをさせてしまうかもしれませんが…そんな時はスルーしてください。

私は記す事で、気持ちの整理が出来るタイプなので。。。
その時、その時に思った事を、これからも書いていこうと思います。

この1ヶ月、非公開で、ちょこちょこと書いてたので、それも一部公開します。。。
(かなりブルーな記事もあるので…それはスルーしてください。。。)

たくさんの天使ママが頑張っています!

プット

2009年11月27日 11時17分57秒 | 天使ママ日記 2009.11~
勤めてた幼稚園がカトリックの幼稚園だったんだけど、年長さんのクラスには週に一度シスターのお話の時間があった。

ある日のシスターのお話のテーマが『守護の天使』だった。

一人一人に、見守ってくださっている守護の天使がいる、って。

純粋で優しくて美しい清らかな天使たち。
天使はいつも私達の傍らにいてくれる。
幸せな気持ちの時には頭上をぱたぱたと嬉しそうに飛びまわり、悲しいとき、つらい時には励ましてくれる。

その話をふと思い出した。

パパとママの守護の天使はきっと寛ちゃんが務めてくれてるんだろうなぁ…って思いながらニンマリした♪

守護の天使って、赤ちゃん天使がなるんだって。。。

赤ちゃん天使って、『プット(putto)』って言うんだって。。。
なんだかカワイイね!!

日本語では『智天使(ちてんし)』

※神の姿を見ることができる(=智:ソフィア)ことから「智天使」という訳語をあてられた。(サイトから引用)

ちなみにママの名前には『智』って字が入ってる。。。なんだか、そんだけの事だけど、嬉しい(笑)

寛ちゃん天使が守ってくれてると思うと、泣いてばかりはいられないな!!と思う。

クリスチャンではないんだけどね。。。
でも、寛ちゃんが仏様になったってよりは、天使ちゃんになった方が、イメージがピンとくる感じ。。。

たくさんの天使ママが頑張っています!

はじめの一歩!!

2009年11月27日 10時44分32秒 | 天使ママ日記 2009.11~
何もしない毎日…
家から一歩も出ない(出れない)日が続き…
ひどい時はカーテンを開ける事すら出来ない…

でも、心の中では前に進まなきゃ!と思ってる。

少し急いででも、自分の環境を変えて、外に出ていくようにしなきゃ!と思う。

で。。。はじめの一歩を踏み出す決意をしました。

ん…ってか二歩目かな???
(前回、保育ママの見学をしたのが一歩目だったかも)

入院中の病気の子ども達に、絵本を読み聞かせたり、工作を教えたり、遊び相手をする保育ボランティア。。。

来週見学に行かせてもらえる事に決まりました!!

幼稚園での経験も生かせるし、病気の子どもに笑顔のプレゼントが出来るし、なんと言っても、恩返し!!

その病院は、寛ちゃんを産んだ総合病院なんです。

個人病院から転院が決まり、受診したその日から緊急入院になって、不安いっぱいな中、医療関係者のみなさんのお陰で、前向きに頑張れました。

緊急帝王切開になった時にも先生&助産師さんの迅速かつ心のこもった対応で、勇気&安心を持って手術に挑めました。

その後、寛ちゃんはNICUにお世話になって、私は産婦人科病棟でお世話になって。。。(寛ちゃんはママの退院より一足先に転院したけど。。。)

寛ちゃんの病気の事で、荒れ狂ったように泣いてた私を、みなさんが温かい心のこもった看護で、癒してくれました。
NICUの看護師さん、産婦人科病棟の助産師さんの存在がなかったら、前を向く勇気を持てなかったと思います。

寛ちゃんも私もお世話になった病院でのボランティア活動、少しでも力になれたら…恩返しが出来たら…と思います。

寛ちゃん、ママ頑張るから見ててね!!

たくさんの天使ママが頑張っています!

寛ちゃんママ

2009年11月26日 22時19分39秒 | 天使ママ日記 2009.11~
今日は、仲良しのAちゃん&Aちゃんママが、お昼ご飯を持って遊びに来てくれた。

Aちゃんママが『寛ちゃんママ』って普通に呼んでくれる事がすごく嬉しくて、寛ちゃんがいた時と何も変わらず関わってくれて、心が救われる。

寛ちゃんが亡くなって以降、みんな腫れ物に触るような感じなのか…
友達からメールが来る事はほとんどなくって…
もちろん誰とも会ってなくって…
社宅でたまたま会った人は、みんな寛ちゃんの話題を出さないように必死…

もちろん悲しいし…
寛ちゃんに会いたいし…
まだまだ泣いてしまう事も多いし…

でも…

最近、寛ちゃんもいなくなって、友達もいなくなった…みたいな気分で、二重に悲しかったし、淋しい気持ちだった。

だから、普通に接して貰えて、寛ちゃんも一緒にいるみたいな気分になって、本当に嬉しかった。

寛ちゃんにって、お土産に、可愛いクリスマスのクッキーをプレゼントしてくれた。

前にパパのお友達もプリンを寛ちゃんの分も頭数に入れて買って来てくれた。

その時も、今回も、本当に嬉しかった。

『寛ちゃんママ』ってのがあだ名みたいになってたし、そう呼ばれるのが当たり前だったし、今、寛ちゃんはお空に逝ったけど、でも、今までもこの先もずっと寛ちゃんのママだし。。。

久しぶりに『寛ちゃんママ』って呼ばれて、本当に心地よかった♪

Aちゃんママありがとう!!
そして、これからも今までと変わらず仲良しでいてね!!

たくさんの天使ママが頑張っています!

残念…

2009年11月26日 10時55分03秒 | 天使ママ日記 2009.11~
今日は、日本クリニクラン協会に電話をしてみました。

オーディションや、研修などについて、いろいろ教えてもらいました。

が、今年度のオーディションはもうないとの事、
来年度のオーディションは未定との事…

残念…。。。

詳細は資料を送って頂けるとの事なので、お願いしました。


今は、一番は、寛ちゃんの弟か妹が来てくれる事が一番の望みだけど、
クリニクラウンには60歳の方もいるようなので、いつかは叶えたい夢です。

たくさんの天使ママが頑張っています!

夢。。。

2009年11月25日 21時38分09秒 | 天使ママ日記 2009.11~
今日は、社宅のSさんの奥様の誘いで、保育ママの見学をしてきました。

Sさんは私が寛ちゃんを亡くし、引きこもっているのを気にかけてくれていて、
子ども好きだから、保育ママの助手をしてみてはどうか?とのメールをくださった。

正直…複雑だった。

外に出る機会を作る事で、一歩前に進むなら…という思いと、

まだ無理かも…という今の正直な気持ち。

そして、他の赤ちゃんの育児のお手伝い…寛ちゃんはヤキモチを焼かないかな…って。


寛ちゃんが亡くなってから、様々な事を考えて、毎日を過ごしてる。

今、自分のしたい事はなんのか…

何が自分に出来るのか…

したい事は、病児育児に関わるボランティアが一番。

病児育児・在宅看護の大変さを知ってるから、自分と同じように必死に育ててるママのサポートがしたい。

病児に絵本を読み聞かせるボランティアとかしたい!

大きな夢は、クリニクラウンになる事!
これは小さい子どもが将来の夢として答えるレベルだけど、クリニクラウンになりたい!と思う。

オーディションは年に一度不定期で、この3年で400人が受け、実際にクラウンになれたのは13人だけ…

無謀なのかな…と思うけど…

でも、なりたい!
病気の子どもや、ママに笑顔のプレゼントがしたい!!

寛ちゃんがGCUに移ってすぐの頃、初めてクラウンさんに会った。

保育器の中の寛ちゃんに、外から鈴を鳴らしてくれて、踊ってくれて、私の手を取って踊ろう?って誘ってくれて。。。
私はクラウンさんと踊って、寛ちゃんはクラウンさんの鳴らす鈴の音を子守唄に眠ったなぁ。。。

あの時、心から笑顔になれた、あの感動とか喜びとか、あの時に私の何よりもの薬となったから。


話は反れたけど…

子どもに関わりたい、と思う。。。
でも…正直、見ず知らずの健康な子のお世話がしたいか…いや、出来るか…って言われたら、今はやりたいとは思わない。
幼稚園の先生としての復職も全く視野にない。

それが素直な気持ち。

保育ママのお仕事を見学して…

やっぱり人様の大切な子どもの命を預かるってのは無理…だと思った。

寛ちゃんを亡くして、命は、いつ何時どうなるかわからない…儚いものだ…って現実を知ってしまったから。

多分、保育よりも、昼寝してても息をしてるか…とか気になって、しかたないと思う。

ま、これは自分に次の子が生まれても同じだけどね…

そんなこんなで…
保育ママの助手さんはお断りしようと思ってます。

たくさんの天使ママが頑張っています!

手元供養

2009年11月24日 17時26分52秒 | 天使ママ日記 2009.11~
一般的に四十九日が終われば、納骨なんだけど、我が家にはお墓がありません。。。(パパは次男だから)

ま、お墓があっても、まだ入れたくない…ってのが正直な気持ち。

寛ちゃんが亡くなってから、通夜の日まで、遺骨は、しばらくの間は手元に置いていよう!と思っていました。

しかし、お坊さんにそれを話すと…

仏様になるのを妨げる事になる…
親のエゴ…

などなど…。。。

お墓がまだないのであれば、お寺で預かると言われました…。

お坊さんの話を聞き、確かにそうだな…と思えたので、お寺に預かって貰うつもりでいましたが…

先日、パパとお寺を見に行って、お坊さんのお話を聞いてきました。

すると、我が家は転勤族なのですが、もし東京を離れる事になっても、寛ちゃんはそのお寺に預けたままにしなきゃいけない、との事。

私の安易な考えでは、転勤になれば、その地のお寺に移せるものだと思っていたので…

寛ちゃんと離れ離れになるなんて、考えられなくて、訪問した日以降、絶対にお寺には預けたくない!と思うようになりました。

しかし…宗派の考えも厳しいらしく…お坊さんも全然曲がってくれなさそうで…

日曜日にパパが一人でお坊さんに話をしに行ってくれる事になりました。

パパは相談というよりは、結論を持っていきました。

遺骨は手元に置きたいと、自分の思いを伝えたようで、お坊さんから、承諾を得られました。

いずれは関西にお墓をたてて、納骨するけど、転勤族で全国を飛び回るうちは、寛ちゃんは自宅での手元供養をすることになりました。

ずっと心配で不安だったので、手元供養が出来ると決まって、ホッとしました。

寛ちゃん、これからもずっと一緒だよ。。。
ママは嬉しいな♪

パパ、どうもありがとう!

たくさんの天使ママが頑張っています!

思い出寿命

2009年11月22日 09時09分56秒 | 天使ママ日記 2009.11~
円楽さんのお別れの会で、楽太郎さんがお話していた中に、

『思い出寿命』という言葉が出てきました。

故人が、残された人の心の中で生き続ける

ママの中で、寛ちゃんはずっと生き続ける。
ママが寛ちゃんのトコに行く日まで。。。


でもね…
最近よくわからなくなる…

寛ちゃんは、この前1歳6ヶ月になったけど、
なったの?
ずっと1歳5ヶ月のままなのかな?

ハイハイする寛ちゃんや、歩く寛ちゃんが想像出来ないんだ…

だから、最近は、寛ちゃんの頭には白い輪っか、背中には白い大きなキレイな羽を付けて、ぷかぷかと飛んでる寛ちゃんを想像するようにしてるんだぁ。。。
体は小さいまんまだし、顔も赤ちゃんのまんま。。。

あるサイトでは、天使になった赤ちゃんの誕生日はお祝いしちゃいけないと言われたって人が数名いた。

天使になった赤ちゃんは、命日が天使誕生日だから、それをお祝いするんだ…って。

戒名を付けてもらったら、名前で呼ぶのもダメって言われた人もいるそうで…

なんだか悲しいね…

死んじゃったら、名前を呼ぶことも、誕生日をお祝いするのもいけないなんて…

もしかしたら、宗教の考えとかって様々だから…私にはよくわからないけど…

愛しい愛しい我が子を失ったママに、そんな決まりごとを言うなんて…
心がなさすぎる…と思ってしまった。

私は、ずっと寛ちゃんや寛太朗と呼ぶし、誕生日も毎年お祝いしてあげるつもり♪

戒名でも寛ちゃんなんだけどね(笑)

形はちょこっと変わったけど、寛ちゃんはずっとママの子だもんね!!
ママの心で、ずっと生きてくれてるもんね!!

たくさんの天使ママが頑張っています!

父、上京。。。

2009年11月20日 17時58分16秒 | 天使ママ日記 2009.11~
水曜日~金曜日の朝まで、私の父が関西から来てくれた。

一人ぼっちで淋しい思いをさせないように…って。

父と二人でのんびり過ごす事も、よく考えると今までの人生でなかったかも。。。

9月に父と二人でランチに行ったくらいかなぁ。

二人で、食事をしたり、たわいのない事を話したり…楽しい3日間だった。

パパ帰宅後は、パパと父は超仲良しなので、一緒にお酒を飲んだり、父の作ったご馳走を堪能したり。。。

たくさんの天使ママが頑張っています!

10月31日

2009年11月18日 09時04分38秒 | 天使ママ日記 2009.11~
パパの喪主挨拶でもお話したように、

10月31日は、寛ちゃんの命日でもあり、

NICUを退院した記念日でもあります。

2008年10月31日、我が家で初めて3人で川の字で寝た、私の夢の叶った最高に幸せな一日でした。

あの日から1年。
ぴったり1年。。。

なんだか始めから、

神様に1年だけ頑張るように言われていたのか…

1年だけガンバルと決めていたのか…


30日の夕方の突然の発熱、それまでは普段と何一つ変わらず元気だったのに…
いつも通り血液内科の外来に行って、元気だね!と診察を受けて帰ってきて…

本当に突然…

寛ちゃんは31日に日付が変わった瞬間くらいに心臓を止めました。

まるで31日になるのを待っていたかのように。。。

偶然なのかもしれないけど、偶然じゃないと思う。

寛ちゃんが、命日は淋しい日ではなく、最高に幸せな記念日と一緒にする事で、この先の、淋しさを減らしてくれたんだと思う。


今から考えると、亡くなる週の

月曜日、外来の後にAちゃん家に行って、Aちゃんママにもニッコリ笑顔炸裂で、Aちゃんと手を握ったりしてた。

火曜日、リハビリで初めて一度も泣かずにリハビリを受けれて、先生もすごく喜んでいて、ママもすごく嬉しかった。
先生からいつもお手帳に出席シールを一つ貼ってもらうんだけど、この日は頑張ったから!って先生がピカピカ&キラキラのシールを特別に貼ってくれた。

水曜日、育児外来&内分泌科臨時外来&心理相談で、
内分泌の先生とママが話していると、先生の方へ自分から腕を伸ばし、先生の服をギュっと掴んで、先生もママもそんな行動を見たのが初めてでビックリして笑顔になった。
心理相談では、いつもは部屋に入ったら場所見知りで泣いていたのに、この日は全然泣かずに、先生におもちゃで遊んで貰っていた。
育児外来でも、ご機嫌で、いい調子ですね!と褒められた。
先生にもニコニコとご機嫌で、季節性のインフルワクチン接種した後もすぐに泣き止んでいた。

木曜日、訪問看護師さんが来てすぐは眠っていたのに、大好きなお風呂を察してか、ハッと起きて、大好きなお風呂を看護師Hさんに入れてもらっていた。
お風呂上りはいつも泣くのに、この日は全然泣かなくって、お得意の寝返りを披露したりしていた。

金曜日、血液内科外来。
いつもは泣くのに、先生にもニコニコご機嫌で、体調もバッチリだと褒められた。
寛ちゃんなりに、笑顔でお別れの挨拶をしていたように思う。

たくさんの天使ママが頑張っています!

パパの告別式での喪主挨拶の一部

2009年11月18日 08時48分51秒 | 天使ママ日記 2009.11~
2009年10月30日金曜日、寛太朗の笑顔に見送られ私はいつも通りに会社へ出勤致しました。

その時今日のような日がやってくるとは夢にも思っておりませんでした。

その日の夕方4:00頃、妻から「寛太朗が高熱を出しているので病院に行く」との連絡を受けた時も同じ気持ちでした。

その後妻から寛太朗の容態がどんどん悪化しているとの連絡を受け私も急いで病院へと向かいました。

私が病院へ到着した時、寛太朗は既に鎮静剤を打たれ意識はなかったと思います。
それから数時間、寛太朗は私と妻の元へ帰ってくるために必死で正体不明の病いと闘いました。

しかし寛太朗は一度も意識を取り戻すことなく2009年10月31日0:29天国へと召されました。


10月31日は私達家族にとって特別な、大切な日でした。

2008年5月15日、体重1008グラムで寛太朗は生まれました。

2ヶ月半の早い出産となり、その日から寛太朗は長い入院生活を送りました。

一時は体重が820グラムまで減り、随分と心配もしましたが生まれてから5ヵ月半が経過した去年の10月31日、ようやく退院し家族3人の生活をスタートすることができました。

そしてそのちょうど一年後に寛太朗は天国に旅立ちました。

最期の日まで寛太朗は私達夫婦、家族、寛太朗の導きにより出会う事の出来た皆様にたくさんのかけがえのない思い出を残してくれました。

本当に短い命でした。

無念でなりません。

しかし寛太朗が残してくれた思い出や優しい気持ちを持ち続け、夫婦二人力を合わせて寛太朗の分も生きていかなければと決意した次第です。


最後に一つ、皆様へお願いがございます。

最期まで精一杯生きた寛太朗を褒めてやってください。そして大きな拍手を送ってやってください。

特別な子同士。。。

2009年11月18日 08時23分00秒 | 天使ママ日記 2009.11~
寛ちゃんのガールフレンドAちゃんのママからも、不思議なお話を聞きました。

Aちゃんは、寛ちゃんより1ヶ月早く生まれたお姉さん

主治医も病気も全然違うのに、偶然にも同じ日にNICU・GCUを退院しました。

その後、ママとはずっと仲良くしてもらっていて、
春に寛ちゃんが、数年以内に白血病になる、と告知された日、正気ではいられなくて…このまま寛ちゃんと二人家に帰ったら、母子心中でも考えてしまいそうなくらい、頭がパニックでした。

Aちゃんママが、うちにおいで!と言ってくれたので、パパ帰宅までの時間をAちゃん家にいさせてもらいました。
Aちゃんママに、泣いて不安をぶちまけ、気持ちが落ち着きました

その後も、何かある度に、一番に報告したり、相談したり、
家もそう遠くないので、お互いの通院のない日は、遊んだり、
寛ちゃんの成長を私達両親の次に、身近に知ってくれていて、少し体重が増えた変化や、成長にも気付いてくれて、寛ちゃんをたくさん褒めてくれました

寛ちゃんも、人見知り&場所見知りがすご~くひどかった時期でも、Aちゃん家&Aちゃんママだけは大丈夫で、Aちゃんママには笑顔をたくさん見せていました

Aちゃんママが寛ちゃんを思ってくれているように、
私にとってもAちゃんは特別な存在で、我が子同様に愛しい存在です

不思議な出来事は。。。

Aちゃんは普段夕方から寝て、朝までグッスリ眠るいい子なんだけど、
寛ちゃんが心臓を止めた時間と同じくらいに、珍しく夜泣きをしたそうです。

他の人が聞いたら、ただの偶然に思うかもしれないけど、
私は、Aちゃんと寛ちゃんの心は繋がっていたんだと思います

寛ちゃんはちゃんと自分でAちゃんに報告しに行ったのかもしれません。

Aちゃんの事を寛ちゃんは守護の天使として、ずっと応援してると思う!
Aちゃん、寛ちゃんの分も生きて、寛ちゃんママに成長を見せてね!!

特別な子同士。。。

2009年11月18日 07時58分16秒 | 天使ママ日記 2009.11~
兄嫁もっぴからのメール(11月4日)

さっき、寛ちゃんの写真を子ども達に見せていたら、誰もやっていないのに、りんちゃんが寛ちゃんに向かって手を合わせて一礼したの!
思わずOOさん(私の兄)と声を合わせて『え~っ!?』て叫んだよ。
偶然かもしれないけど…でもすごいタイミング!
イトコ同士、ちょっと特別に産まれた子同士、なにか通じてるんだろうか…?
りんちゃんには何かがわかってるんだろうか?なんて思っちゃったよ。


私の甥っ子りんちゃん(凜太朗)は、心疾患持ちのダウンちゃんです。

私が、寛ちゃんを産んですぐに、病気を知らされた時に前向き考えられたのも、その後も、明るく前向きに笑顔で育児出来たのも、兄夫婦・りんちゃんの存在があったから。

『オランダへようこそ』という詩を前に載せたけど、
オランダの良さを後に知っていくのではなく、私は前からオランダが素敵なところだと、兄夫婦から教えてもらっていた、そんな感じでした。

もちろん、病気の告知など、その度に不安も感じたし、涙も流したけど、常に前向きに考える事が出来ました。

寛ちゃんを産んでからも、そして寛ちゃんが旅立ってからも、兄夫婦は私の一番の理解者です。

りんちゃんの不思議な出来事、きっと寛ちゃんと心が通じてたのだと思う。
病院通い・入院・幾度もチックンされた…etc、
もしかしたら、寛ちゃんがりんちゃんに自分でお空に旅立つ事を伝えに行って、ママの事をヨロシクね!と兄夫婦&りんちゃんに言ってくれたのかな?


りんちゃんはまだお話が上手に出来ないおチビちゃんだけど、これでスラスラお話出来たら、スピリチュアルな江原さんのようだな…なんて兄嫁とその後メールしてました。



春に西宮に帰省した時、寛ちゃんにおしゃぶりを渡してくれるりんちゃん♪
数分後、寛ちゃんがあまりに美味しそうにしゃぶりをチュッチュしてるもんだから、りんちゃんが、こっそり味見をしてたな(笑)
すぐに寛ちゃんに返却してたから、なんでコイツこんなのがうまいんだ???って疑問だっただろうね(笑)

戒名:寛明嬰児

2009年11月18日 07時46分36秒 | 天使ママ日記 2009.11~
寛ちゃんの戒名は『寛明嬰児(かんめいえいじ)』と決まりました。

お寺さんに『寛』の字を入れて欲しい旨を伝えていました。

お通夜の前に、お坊さんから、寛太朗の戒名を伝えられたのですが、
見せて頂いた瞬間にビックリ。。。

『寛』は寛ちゃんの名前と、パパの名前から、お願いしていた通りに入っていて、

実は『明』は、パパのお母さんの名前に使われている漢字。
漢字なんて、山のようにあるのに、その中から、義母の漢字と一緒になるなんて!
すごい偶然にビックリやら、感動やら、なんでママの漢字じゃなかった…?と嫉妬やら(笑)

義母も、泣いて喜んでいました。

お寺さんが付けてくださった名前だけど、なんだか寛ちゃんからのプレゼントのように感じ、温かい気持ちになりました。