寛ちゃんが11ヶ月の時、好中球減少症のため、骨髄検査をした。
その時、骨髄異形成症候群と7モノソミーだと告げられた。
近い将来、急性骨髄性白血病を発症すると。。。
投薬では完治しないタイプで、移植が必要だと。。。
移植をすれば助かる可能性は十分にあると言われた。
でも、帰ってネットで調べたら、厳しい現実が書いてあった。
で、次の診察で先生に質問したら、変わらず、助かる可能性は十分にあると言われた。
ネットの情報より、信頼する先生を信じた。
今、ある事の資料を作る為に、寛太朗の生涯をまとめている。
たくさんの病気を持っていたので、私も全ての記憶が定かではない。
育児日記を持ち出して、読み返し、
寛ちゃんのファイルを出してきて、1枚1枚診断書を読んでいた。
1通の封筒が出てきた。
寛ちゃんを関西に連れて帰る時に、主治医が用意してくれた診療情報提供書。関西で緊急事態が起こった場合、大学病院へ持参するもの。
結局使う必要はなく、そのまま持って帰ってきて、我が家にあった。
封がしてあったので、開けた。
寛ちゃんが生まれてからの記録。。。医学用語はよくわからないけど…寛ちゃんの病歴が詳しく書いてあった。
新生児科・内分泌科とそれぞれの先生が診療情報提供書を用意してくれていた。
それに、私もパパも知らない事実が書いてあった。
寛ちゃんは、10月31日、あの時助かって生きていても、幼くして天使になる運命だったのだ。
先生達は優しい嘘をついてくれてたんだ。
家族には伝えていないと、そのような内容が書かれていた。
発病したら伝えるつもりだったのかな???
でも、せめて亡くなった時に、その事実を教えてもらいたかったな。
いや、やっぱ、その時に、その事実を伝えて欲しかったな。
そしたら、もっと寛ちゃんの写真を撮って、もっとビデオを撮って、もっと…もっと…1分1秒を大切に大切に過ごしたのにな。。。
未来は普通に来ると思ってたもんな…
移植したら治ると思ってたもんな…
ま、今更そんなことを言っても仕方ないけど…
いろんな科の先生がチームになって寛ちゃんを診てくれていたから、チームの方針だったのかな…血液内科の先生の意見だったのかな…
先生には今も感謝の気持ちでいっぱい。
特に新生児科の主治医は、私にとってはかけがえのない存在だった。
今も、寛ちゃんの夢には必ずH先生も出てくる。。。
そんなH先生の活躍を、写真記録展の会場で来館してくださった方から、偶然聞いた。
どこまでも素晴らしい先生だと、改めて感じた。
寛ちゃんの生涯をまとめる作業は、かなり時間がかかった。(短くまとめる必要があったので、ダラダラ細かく書くより難しかった…)
9月末には仕上げる予定だったけど、ちょっと書いては苦しくなり、休み、また書いて…を繰り返し、天使の日の準備と平行して進めて、ほぼ完成。
後は、パパにチェックをしてもらって、おしまい。。。
そんなパパは、今ようやく休日出勤を終え、会社を出たってさ。。。
明日はゆっくり寝かせてあげなくっちゃ。
そんな素晴らしい先生やからこそ、
医学的には答が出てたとしても、絶対諦めるわけにはいかんのやと思うで。
医者として、子を持つ親を理解して。
もう「仕事」じゃないなお医者さんって。
どっちがよかったんだろね。。。
今になってって思うけど。
素晴らしい先生だったんだね。
私も熱がでたとき呼んでくれてたら3日もお別れの時間があったのにって思うけど、
いつまでも言ってもしかたないね。
たかしの最後の先生は優秀だけど、なんかなぁ~~です。。。
先生も寛ちゃんならきっと乗り越えてくれるんじゃないかと信じていてくれたのかもしれないですね・・
わたしも後悔だらけです・・・。
毎日忙しそうな寛ちゃんママ・・
たまにはゆっくり休んでくださいね。
うちは先生との信頼関係を築く前にお別れになってしまったけれど、どんなに良くしてもらっても信頼関係があっても後悔(親として)はあるんだろうなぁって最近おもってます。
お体大事にしてくださいね。
無理しないでね。
だから、私達親の気持ちを、医師としてだけではなく、先輩パパとして理解してくれてたように思うわ。。。
寛ちゃんのことも、ほんまにめっちゃ可愛がってくれてたからさ。。。
最期も、すぐに家から駆けつけてきてくれはってん。。。
いろいろな事を考えちゃいますよね。
先生方が、私達に言わなかったことで、私達はずっと希望を持って寛ちゃんを育てることが出来たし…よかったのかな、って思えました。。。
後悔は、どうしてもありますよね…
私もたった一つだけだけど、あります。。。
でも、きっと、蓮くんも蒼くんも、ママ、自分を責めないで!って、ママが辛い時、二人でママを抱きしめてくれてますよ!!