今回も私自身の経験も踏まえて、「苦労」と「努力」について考察していきます。
前回のお話。
私が大学卒業時にした選択には誤ちがありました。
1. ないものねだり
嫌いな英語とITを一網打尽にしてやろうしてシンガポールでIT企業でキャリアをスタートさせましたが、結果、苦労すれども伸び悩み状態。そもそも大嫌いなので、情熱がなく少しでも避けようとするので当然です。
2. 苦労すればその先に明るい未来があると信じていた
それでも苦労すればいいと思っていました。ところが、苦労は苦労であるだけで、人の何倍も踏ん張りが必要である割に、成長の度合いも小さい。更にどこまで行っても嫌いなものなので、成長の先に更なる苦痛(苦労)が待っています。つまり、苦労は報われないのです。
苦労は、道を変えるきっかけを教えてくれているものであって、耐え忍ぶようなものではない。
苦労しているということは、自分にとって何かが間違っています。これに早めに気づき、方法を変えるか、道そのものを考え直す必要があります。
苦労自慢することは、単に「自分のやってることって間違ってるんだよ」と言っているに過ぎないということです。
私はそこを履き違え、耐えに耐えた結果、嫌いな道から抜けられなくなり(キャリアパスが「英語+IT」で構築されてしまったため)、次々と課題が出てきました。その度に苦痛となったのです。
やがて身体を壊す
早めに修正しなかったために、ストレスがたたり、心身を壊しました。ノイローゼ、軽度の鬱、そして椎間板ヘルニアからの歩行困難状態です。
苦労の先に待っているのは、希望でも何でもないのです。
若いうちの苦労は買ってでもしろ
と言いますが、苦労はよくないと申し上げてきました。ではこの言葉って何なの?となります。
好きなこと、得意なこと、能力を活かせる分野というのは、意外にわからないものです。自分のこととなれば尚更です。だからこそ「自分探しの旅」に出てしまう方もいらっしゃるでしょう。
子供の頃に「あなたに夢は?」とか聞かれ、
中学高校の時に進路希望調査で「あなたは何がしたいのですか?何になりたいのですか?」と聞かれて頭を悩ます。
家業がある方、特殊な能力や経験のある方は別ですが、学生時点でそんなこと聞かれたって、わからない人の方が普通です。
人間やってみなきゃ何が好きか得意かなんてわからない
頭で考えていても自分に何ができるか、何が得意なのかはわかりません。とにかくやってみるしかないのです。手当たり次第にやってやっと見つかるようなものです。
しかし、年齢を重ねれば重ねるほど、抱えるものも多くなったり、体力気力が落ちてきたり、または社会的にチャンスをもらえない、という状況も出てきてしまうでしょう。容易に道を変えられなくなります。
その点、失敗しても容易にリカバリーできる若いうちに多くの経験をしておけば、その中で自分を知ることができる、つまり自分の得意不得意、好き嫌いがわかるはずです。ポジティブな分野が分かれば、それに基づいて、職業なり生き方なりを決めていくことができるのです。
経験豊富な年長の方々であれば既に自分の得意不得意、好き嫌いはある程度見えているのではないでしょうか。
それでも見つからないという場合は、習い事やワークショップなど少しでも興味を持てるものを見つけて、手を動かしてみると何か見えてくるかもしれません。
さてここまで散々苦労は続けても報われないというお話をしましたが、続けると報われるものがあります。
それは
努力
です。
それでは、報われる努力とは何なのか、次回こちらを考察してみたいと思います。
ここまで読んで頂き、誠にありがとうございました
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます