<前回から続く>
さて南城市コミュニティバス(Nバス)バスを南城市の端っこの嶺井団地入口バス停で降りて与那原町の鉄道資料館、軽便与那原駅舎までgooglemapを頼りに約20分歩きます。
この時点で16時。駅舎の開館時間は18時までと少し遅めなのがありがたいです。お陰で今回の行程が成立しました。
「一日10分歩こうよ」ここだけで2日分歩けます。
20分の歩きは少々長いですがバス代節約のためには仕方がありません。それに沖縄の街を歩くのも発見があるかも??
バス停の名前通りここは団地のよう。こういう本土風?の団地、返還後に出来たのか返還前からあったのか気になります。
ここは海抜31m、海沿いな雰囲気はしないけど??
団地を通り過ぎてサトウキビ畑の間を通ります。
サトウキビ、一見するとトウモロコシに似ていますね。
しばらく歩くと高層住宅が出現。与那原県営住宅のよう。よく見ると火事で焼けた跡が見える・・
サトウキビ畑の田舎の風景かと思えばすぐ向こうは市街地なのかな??
与那原町社会福祉センターや商工会とか与那原町の官庁街?の横を通って、軽便与那原駅舎にようやく到着!!
大正時代に建てられた軽便鉄道の駅舎とは思えないぐらいなコンクリート製の立派な建物ですね。建物内は沖縄県営鉄道の資料館になっていて、さっそく入館料100円を払って入館します。
入館券は当時のきっぷそのまま。端が日焼けしてるのが妙にリアルだ・・。裏側は普通の入館券デザイン。鋏を自分で入れられます
沖縄県営鉄道は大正3年に那覇~与那原間に開業した軽便鉄道、その後那覇~嘉手納、那覇~糸満間の路線も大正12年までに開業して貨物輸送に旅客輸送に活躍したものの、戦況の激化により軍用鉄道の性格を帯びるように・・。最終的には沖縄本島の地上戦に巻き込まれて設備・車両が破壊され自然消失。(与那原町観光ポータルサイトの歴史の項では「嘉手納線は1945年3月23日頃、与那原・糸満線は3月28日頃が最後の運行」だそう )
館内ではパネルや資料展示などで県営鉄道のありし日を紹介。県営鉄道の資料館としてはここが一番ではないか?との話でした。
昭和初期の与那原駅前を再現したジオラマ
ジオラマの駅周辺のお店など当時を知っている人からの聞き取り調査などをもとに再現しているので、厳密に昭和〇年の風景。ということではなくざっくりと「昭和初期頃の風景」だそう。
沖縄風の赤瓦の家が並ぶ中でコンクリートの駅舎の存在感が光りますね。
軽便鉄道とはいえ当時の県営鉄道の存在感が大きかったことを感じます。
今では埋め立てが進んでわかりづらいものの、与那原は琉球王朝時代(王府時代)からの東海岸側の港町として発展。県営鉄道の開業でさらに交通の要衝として発展したそう。当時はこのジオラマの駅舎と反対側のこの写真の辺りからすぐ先は海だそう。
私は裏側の丘の方から来たのでよくわかりませんでしたが、そういえばさっきの「標高31m」の津波避難の看板にも納得ですね
駅舎横の一角にある「東宮殿下御乗車記念碑」大正10年に東宮殿下(のちの昭和天皇)が船で与那原に上陸、ここから県営鉄道に乗車したそうでその記念碑ありました。海岸の方には上陸記念碑もあるそう。
この記念碑自体は数年前に建てられたものだそう。でも記念碑を建てるほど当時の皇太子殿下の訪問はインパクトがあるものだったというのも驚きます。
ちなみに今これを書くために調べると、大正10年の当時の皇太子殿下(昭和天皇)の沖縄訪問は3月から9月までの約半年間の欧州訪問の序盤。半日で与那原から那覇・首里を訪れたものでこれが昭和天皇の生涯で最初で最後の沖縄訪問となったそう。
この大正10年の皇太子殿下の欧州訪問は日本の近現代史では特筆する事項の一つ、わかりやすく言えば「戦前というのはいつからか?」というのを考えるとこの「欧州訪問からの帰国」を戦前の始まりとするという考え方が有力な意見の一つだと前に勉強したことがありました。
琉球処分からの日本が沖縄になって以降「日本人としての自覚が足りない沖縄人」という言からの皇民化教育や国家神道普及など沖縄の大日本帝国化する政策の数々。そして戦前前夜の時代に昭和天皇の最初で最後となる沖縄訪問。その訪問を記念碑が近年建てられたこと。深い背景を感じさせられます。
沖縄戦ではこの駅舎も柱と一部の屋根だけが辛うじて残るというぐらいにめっためたに破壊。ジオラマで再現されている街も完全にやられてしまったそう。
当時から交通の要衝として街だった他に戦前期は陸軍の施設があり攻撃目標となったよう。当時の陸軍の施設の名残かいまでも与那原警察署の辺りは国有地が多いそうで・・
戦後この駅舎は修復されて与那原町役場の庁舎などとして利用されるも2014年に耐震性や建築基準の問題で建替え。当時の姿を復元する形で現在の建物となったそう
裏側(ホーム側の様子)
駅舎とホームとの出入口付近に石柱のようなものが並んでいるのが見えますが、この柱は当時の建物の柱の遺構だそう。
この柱の遺構を保存する為に駅舎の建物自体は当時の場所よりも少し前にずらして新築したそう。
当時の線路があった場所には建物が建っていて様子が全く変わっていますが、写真左の工事用の鉄パイプの柵の敷地から近年に当時のレールが発掘されているそう。
ここの資料館で面白いのはこの貸出タブレットを用いたAR体験
一部の展示品やスポットなどARポイントにタブレットを合わせると、このような当時のホームの風景に列車が入線する光景や駅前の風景、展示写真がカラーで見れたりします。
線路幅の紹介。軽便鉄道は762mm、これは鉄道ファンでないとわかりづらいかも??
与那原町のゆるキャラ、つなひきかちゃんと遊べるコンテンツも。
与那原町は王府時代の1500年代に始まったといわれる与那原大綱引きが名物の伝統行事のようで・・。
この貸出タブレットのAR体験は楽しい試みですね。 画像はスクショを撮って自分のスマートフォンにダウンロードできるよう。
県営鉄道が運行を停止してから2003年のゆいレールの開業まで沖縄には鉄道がなかったわけですが、館内で流れていた県営鉄道の紹介ムービーでは「正式な廃止届は提出されていない」と与那原町への鉄道復活に期待をかける内容なのが印象的ですね。
ゆいレールの乗車目当てで沖縄に来る鉄道ファンには、鉄道目当ならばこの与那原駅舎への訪問もお勧めです。ちなみに那覇からのバスは本数が多くて30分強で420円。首里駅からはバスで20分350円なものの本数が少ないよう。
係の人に質問をしたら色々教えてもらえて、県営鉄道のことや展示のことの他に与那原町についての話も・・。
与那原町は面積は小さいものの密度が高い町で都市計画上で商業地域が設定されている。商業地域は那覇市では設定されているがそれ以外では珍しい。近隣商業地域はよくあるが・・。とか、この辺りは那覇市の他は与那原町が中心のようになっていて飲食店なども多いそう。他にはこの辺りでは南風原町も発展しているものの集積度としては与那原町が高いよう。
説明に都市計画の話が出てくるのが町立の施設らしいなと思います。
このおじさんは昭和初期頃に花形だった馬車輸送の馬車曳、スンチャーの三郎おじぃだそう。当時は鉄道から馬車への乗り換え、荷物の積み替えで賑わったのでしょうね。
この後は近くの与那原町役場入口バス停から17時15分発のバスだと350円で首里駅まで行けるので、間に合えばこれに・・というところ。
乗ろうと思えば乗れたのですがせっかくなのでじっくりと展示を見ていこうと思い、B案の徒歩5分程度の与那原バス停から17時41分発の那覇バスターミナル行きのバス(30番)に乗ることにします。これだと牧志駅まで380円です。
那覇に行くバス自体は本数が結構あるものの他のだと那覇まで440円かかってしまうので・・。ゆいレールの1日乗車券があるのでとりあえずゆいレールの駅に安く出れればOKということで(๑´ㅂ`๑)
駅舎の前の道を歩いて片側2車線の国道331号線に出て振り返るとこんな感じ。先ほどのジオラマを思いだします。戦争で完全に破壊されて戦後のアメリカの時代を経て完全に街の形が変わっていますね。
この国道331号線は南城市からずっと沿岸沿いを走り具志頭や糸満市のひめゆりの塔の前を通り糸満市の沿岸部を経て朝に乗ったハーレーエクスプレスの経路で那覇に戻るという主要道路。戦後の自動車の時代を象徴するような・・。
ここで食事処を探したり与那原の街を見て回るのもいいですが既に日没近く、とりあえず那覇に戻るとします。これで駆け足ながら今日の予定の訪問地をすべて回ることが出来ました。
時間に余裕があるようでない。ぎりぎりまで与那原駅舎にいたのでB案の17時41分発のバスにも間に合うかどうか。googlemapでバス停をクリックすると時刻表が表示されて「定刻通り」とバスロケのデータが反映されてる??・・「日本のgooglemapもようやく2012年のシンガポールのレベルに達した!」という前に時間がない、急いで与那原バス停に向かいます。
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<次回に続く>
2020/11/26 12:05(JST)