<前回から続く>
さて2018年6月の記事で大和市役所(当時は町・村役場)は現在の庁舎は3代目であること。初代・2代目役場の場所に関して紹介しました。今回その後の調査などで判明した補足事項などを紹介します
まず前回に調査した内容を元に大和市役所文化振興課で問い合わせを行いました。
初代及び2代目の役場庁舎の場所について
→初代の「下鶴間2丁目5-22(下鶴間3117番地)」、2代目の「鶴間1丁目31-7」はともに大体この辺りということで厳密なことはいえない
大和原自治会館裏手のステンレス倉庫や平屋住宅
→恐らく市とは関係ないのではないか??
初代→2代目、および2代目→3代目(現在の庁舎)への移転の際のエピソードやなぜその場所にしたのか
→これといった記録は残っていないので不明
とのことで、概ね前回の記事で調べた初代・2代目市役所(町・村役場)の場所は正確なことが分かったものの、それ以上のことは市役所でもよくわからないような状況でした。
その後にシリウスの大和図書館などで資料を調べたところ、新たな発見と補足事項があったので今回紹介します。
まず初代役場に関して
明治24年(1891年)の大和成立から昭和25年(1950年)までの59年間使用。
現在の「大和原自治会館」の場所です。
(「写真集大和写真館」大和市教育委員会から)
こちらは昭和30年代前半の初代役場隣接の大和小学校の空撮写真です
写真右の斜め上に上がる道路(滝山街道旧道)と大和小学校の少し上(北側)、畑の中をまっすぐに伸びる道の交点が初代役場(現在の大和原自治会館)の場所(この写真では右端上)にギリギリ植え込みのようなものが見えます
現在の大和原自治会館の裏手のステンレス倉庫や平屋住宅がある辺りも一面の畑になっています。
やはりステンレス倉庫や平屋の住宅は初代役場とは関係がなさそうですね。
(「写真で見るこころの大和」郷土出版社から)
こちらは昭和47年(1972年)の大和小学校の空撮
大和小学校周辺に一挙に平屋の住宅が増えているのがわかります。現在の大和原自治会館近くの店舗も昭和30年~47年の間頃に出来たのがわかります
こちらも同じく昭和47年の大和市明細地図。少なくてもこの時点で初代役場跡地は大和原自治会館になっていることが確認できます。(地図下部の「大和中学校」は「大和小学校」の誤植)
初代役場の庁舎がどのような外観だったのか気になるところですが、集合写真の後に玄関が映ってる程度で庁舎そのものの外観がわかるものはまだ発見できていません。
次に2代目役場(市役所)
昭和25年(1950年)に大和町役場は鶴間駅近くの現在の保健福祉センターの場所の「2代目」に移転。昭和34年(1959年)の市制を挟み昭和49年(1974年)までの24年間使用された後、現在の3代目庁舎に移転。
こちらは前回の記事で紹介した昭和40年(1965)4月1日施行の「大和市住居表示新旧対照表」
(この地図では上が東)
現在の大和市保健福祉センターは2代目役場の跡地とされていますが、この地図では現在の保健福祉センターの場所は「東産ココア」となっていて少々差違が生じています
これに関しては前回解明できませんでしたが、新たに昭和47年の明細地図を確認すると・・
昭和47年(1972)大和市明細地図(上が北)
現在の3代目への移転を2年後に控えたこの時期。
これを見ると現在の大和市保健福祉センターの場所:昭和40年(1965年)に「東産ココア」となっていた場所も大和市役所になっています。昭和45年(1965年)の時点で(2代目)大和市役所は複数の建物を連結したような構造になっていましたが、昭和47年(1972年)までに更に増築されていたことがわかります。
大和市は昭和35年(1955年)から45年(1965年)の10年間で人口は2倍以上に膨れ上がります。人口増に伴う業務の増大で庁舎は手狭となり増築を繰り返ししていたことがこの2つの地図から見て取れます
更にこの2代目市役所は僅か24年で幕を閉じ3代目市役所。現在の庁舎に移転します。
結論として2代目大和市役所(町役場)の場所は、現在の大和市保健福祉センターと同じ駐車場を共有している大和市勤労福祉会館。更に鶴間交差点角の日産サティオの場所であったと言えます。
また現在の大和市保健福祉センターの辺りは、2代目市役所の中でも後年に増築されたエリアといえます。
ここで2代目庁舎の外観を見てみます。
(「写真で見るこころの大和」郷土出版社から)
こちらは昭和34年(1959年)の市政施行時の(2代目)大和市役所庁舎。
キャプションにライラック通り沿いとありますが、ライラック通りというのは鶴間駅前から鶴間交差点に至る旧国道246号線こと厚木街道。昭和40年(1965年)の図と較べてみると現在の鶴間交差点角の日産サティオの場所と考えられます。
この中央部が2階建ての建物が2代目庁舎の中心的な建物の模様です。
大和市役所文化振興課で聞いたものの、当時の庁舎の外観写真など市で持っているものは、他にはないようで残念ながら当時の庁舎の全容は分かりません。
(「写真で見るこころの大和」郷土出版社から)
こちらも昭和34年の市政施行時の写真。
キャプションによればこの通りはライラック通り。後ろの建物は「大和市福祉事務所」「大和市教育委員会」とあります
こちらは庁舎の増築部分でしょうか・・
その後、昭和60年(1985年)の明細地図を見ると、この時点で既に大和市勤労福祉会館が建っていますが、保健福祉センターの場所は資材置き場になっています。市から一時的に民間業者に土地を貸与していたのでしょうか??
なお大和市勤労福祉会館の開館はこの地図の前年の昭和59年(1984年)5月。大和市保健福祉センターの開館は昭和63年(1988年)3月となっています。(「ダイジェスト版大和市史」から)
現在、大和市保健福祉センターはこども部・健康福祉部なども入り市役所の分庁舎的役割も担っています。
現在の3代目に当たる大和市役所庁舎は昭和49年(1974年)の使用開始から既に45年近く。だいぶいい歳になってきましたが今のところ建替え等の計画はないそうで、内装のリニューアルなどを行い今後も使用するとのことです。
というところで、初代・2代目の大和市役所(町・村役場)の庁舎の話題でした。
また新しいことがわかったらその都度紹介します
なお本記事では大和市の歴史として
1891年に鶴見村から大和村に改称し「大和」誕生
1943年に町制を施行し大和町に
1959年に市制を施行し大和市に
の経緯を踏まえた上で、「大和の役場(市役所)」の場所の変遷として初代・2代目・3代目と捉えて表記しています。なお現在の大和市域は1956年に渋谷村との合併で確立しています。
<次回に続く>
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2018/11/10 20:52(JST)