『渋沢翁と青淵百話』から。
「青淵百話の著述に着手した明治43年は先生七十一歳のときであるが、当時の先生は原則として毎朝六時に起き、夜は十二時前に寝ることは少なかった。正確には用務に追われて寝たくても寝られなかったといはねばならない。この忙しい時に、毎日一時間余を青淵百話の為めに割いて努力を続けたのは驚くべき精励といわざるを得ない」
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庭木剪定で訪問する家は、なぜか高齢者の一人暮らしが目立ちます。多くがパートナーを病気などで亡くしているのですが、ちょっと事情が違う家もあります-。
80代半ばの男性B氏宅。地元の人なら誰もが知っている大会社に長く勤め、役員を最後にリタイアしました。数年前まで息子夫婦と一緒に住んでいたのですが、B氏が入院中(病名?)、息子夫婦は黙って家を出てしまったとか。その家の元家政婦(たまたま某所で知りあいました)から聞いたのですが、B氏は人格的に問題が多く、相手の話は聞かず、物言いは高圧的。趣味はなく、ヒマ人。よくこれで大会社の役員になれたと思うほどだとか。
そういえば、われわれが剪定で訪問すると、必ず車で外出します。パチンコに行っているらしいです。当然、午前10時や午後3時の剪定休憩時間にはお茶など出ません。
B氏の毎月の企業年金の額について、これも元家政婦が言っていた(ちょっとしゃべりすぎかもネ)のですが、このあたりの働き盛りの現役の月給よりはるかに多いのです。
シルーバの同僚(元JRマン)がぼやきます。「猛暑の中、汗だくでわれわれは働いているんだからBよ、冷えた西瓜でも買ってきて『みんなで食べてくれ』ぐらいの気配りをしたらどうなんだ。…昔、ある国鉄総裁が『オレは、粗であり野だが、卑ではない』と言っていたが、Bは『粗でも野でもないかもしれないが「卑」、そんな感じだ。あれでよく役員になれたもんだ。…顔自体がケチくさいんだよ』と。…確かに。 以上
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