どの曲も凄くメッセージがビシビシと伝わってくる。
1番聞いていたのが、中学生の頃。
何か、思春期特有のモヤモヤというか、生きる事の意味とか、死ぬってどういう事なのか?とかそういう疑問を持っていた様に思う。
今回は、「ロクデナシ」という曲を紹介してみる。
冒頭からビシビシと揺さぶってくる。
「役立たずと罵られ 最低と人に言われて 要領良く演技できず 愛想笑いも作れない」
中学生になると、斜に構える様になってしまって、素直さとかなくて。
それが得しないと分かっていても、反発する事自体が格好良いみたいなところもあったのだと思う。
何か、社会や大人に対する反発が、自己のアイデンティティの確認作業だったのかもしれない。
別に何か悪い事をする訳でないが、自己との対話が本当に下手くそだったと思う。
ブルーハーツは、そんな人間も取り残さない優しさがある。
「劣等生でじゅうぶんだ はみ出し者で構わない」と力強く歌うのだ
なんなら、
「お前なんかどっちにしろ いてもいなくても同じ そんな事言う世界なら 俺がケリを入れてやるよ」
とさえ歌う。
自分自身の生きる意味もよく分からないし、社会の歯車になっていく事への恐怖感や、その社会や、自分自身さえも変えていけないという無力感みたいなものがあった様に思う。
それでも、この曲の歌詞は続く。
「誰かのサイズに合わせて 自分を変える事はない 自分を殺す事はない ありのままでいいじゃないか」
と歌うのだ!
圧倒的な肯定。
もうこれは無条件の肯定。
しかも、親や先生に言われるのとは訳が違う。
それは僕が、彼ら大人たちは僕たちを真っ当な社会のレールの上に乗せるのが仕事なのだと、本能的に感じていたからだと思う。
それゃ全員が全員、前を向いて全力で頑張れれば最高なんだけど。
中学生の時の僕は、運動会や文化祭などで、クラスでひとつにまとまろうなんて雰囲気が大嫌いだった。
まとまる事自体が目的で、そこに、個人の気持ちとか置き去りにされている感じが嫌だった気がする。
だから、みんな頑張ろうは、きっと机上の空論なのだと思う。
実際は、それが分かっていても、そこまでできないよって人がたくさんいて。
ブルーハーツはそんな人間も含めて、「別にそのままで良いんだぜ!」
って言われている気がして、ありがたかったなぁと思うのだ。
そこには、上っ面ではなく、本音しかなくて、そんな大人がいるなら、もう少し走ってみても良いよなと思えた部分はある。
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