昨2020年8月、中日新聞が「二〇〇一年、学校医を務めていた根本周三さんの遺志により、記念碑が建立された。「この木と共に強くたくましく生きて伝統を高める子になりましょう」と刻まれている。」と報じた(参照)。
▼その記事のコラージュ▼
「記念碑」は多分これだ。
(オリジナルフォト参照)
▼文字塊。ただし「(一九〇二)」を補記した▼
興文木 クスノキ
天保十一年(一八四〇)に始まった
藩学問所の伝統を引き継ぐ興文学校
が明治三十五年(一九〇二)にこの地に移転した
時に植えられた木です。
戦災を受けましたが、再びたくま
しく生き、私たちを見守り続けてい
ます。
この木と共に強くたくましく生き
て伝統を高める子になりましょう。
さて、OKIが毎年『大垣市の教育』を刊行している。
OCPLサイト(※)で蔵書検索すると、1961年刊行ものから70件ほどヒットする。
無い年度もちらほら散見される。
2009年度版は無いが2008年度版は有った。
▼2008年度版『大垣市の教育』の書誌情報byOCPL▼
ありがたいことに2008年度版『大垣市の教育』のp122-p165のファイルを厚徳者から得た。
そのファイルでp122を見た。
2箇所で『え?』と思わざるを得なかった。
▼その2箇所に黄色マーカー塗布したコラージュ画像▼
最初の『え?』は同姓同名なのに「〃」となっていないことに対して。
その次の『え?』は同一人物の上段の任期が下段の任期に含まれることに対して。
▼2度目に『え?』と思わざるを得なかった箇所のコラージュ画像▼
今のところ訳が分からない。
訳は興文木が知っているかもしれない。
なお、最新の『大垣市の教育』2020年度版(※)も見てみたのですが、やはり『訳は興文木が知っているかもしれない』との感想を持ちました。