2020年9月14日(月)大垣市議会での教育長答弁中「指定を受ける必要がないとの助言」(参照)。
2020年12月7日(月)大垣市議会での教育長答弁中「指定を受ける必要はないとの助言」(参照先は同上)。
▼「指定を受ける必要はない」を含む答弁のイメージ画像▼
「指定を受ける必要がないとの助言があり、指定を見送ったものでございます。」(2020年9月14日)
「指定を受ける必要がないとの助言をいただき、指定を受けなかったものでございます。」(同上)
「指定を受ける必要はないとの助言があり、それに基づいて実施しているところでございます。」(2020年12月7日)
当時、これらの表現に感動した人が多かったか少なかったか、それは知らない。
が、今となっては、何がどうあれ是が非でも感動したい。
特に「必要がないとの助言」「必要はないとの助言」という斬新な表現に感動したい。
「指定を受ける必要がないとの助言」「指定を受ける必要はないとの助言」という言い方で、言おうとしたことは何となく速攻で分かる。
「指定に値しないとの指摘」があったのだ。「指定しないとの判断」が下されたのだ。「指定できないとの返事」が来たのだ。文部科学省から。
そのように推断しない教養人など自称文教都市大垣市を含め岐阜県下にいるわけがない。日本中・世界中の教養人にも、いない。
しかし皆の衆、ご存じのとおり、物は言いようで丸くなる。
物は言いようで、残念感が雲散霧消してハッピー感に包まれる。
かつて大日本帝国の皇軍が「敗走」を「転進」と大本営発表した。
呑兵衛は「するめ」を「あたりめ」と言う。
残念無念感が雲散霧消して超ハッピー感に包まれる斬新な表現、そこが感動的なのだ。
●現代的応用例その1:百点満点を逃した子と親の会話
親「どうしてこんな簡単な問題をミスしたの!?」
子「でも先生が『この答案では満点をゲットする必要がない』と助言してくださいました」
親「だから何?」
子「現在、その助言に基づいて勉強しているところです」
●現代的応用例その2:OG市立SM小学校の児童からの電話をOKI職員が受けた
児童「ふるさと夢会議で発表したいんです」
OKI職員「中学3年生になったらチャンスがありますよ」
児童「中学はTA中に進学するんです」
OKI職員「ふるさと夢会議に出るチャンスはOG市立中学校の生徒にしかありません」
児童「どうして分け隔てするんですか」
OKI職員「それが決まりだからです」
児童「FOKが大好きなんです。もっと大好きになりたいんです」
OKI職員「でもTA中はOG市立中学校ではないからFOKの授業がありません」
児童「だからふるさと夢会議で発表できないんですね」
OKI職員「どうか発表できないなんて悲しい言い方でとらえないでください」
児童「どんな言い方でとらえればいいんですか」
OKI職員「発表する必要がない、ととらえればいい。これは助言ですよ」
児童「悲しいものは悲しいです。だから、その助言に基づいて悲しみます」
このエントリは、エントリ『「改めて」の用例』やエントリ『32年で2人だけ』と親密な関係にあることとします。なお、「エントリ『FOKマージナルエリア』と無関係です」とは口が裂けても言えません。言うもんですか。