参列
2021-08-05 | 日記
P爺を火葬に連れて行った日から、青空やそこに浮かぶ真っ白い雲を見ると、泣けてくる。
P爺、亭主ドノの両親、私の母。みんな晴れた日に火葬をして、青空に煙と魂が上っていったから。
小樽在住の伯父と伯母。ちょうど3年前の夏にお家に遊びに行かせてもらったきり、なかなか会えずじまいだった。
直後に震災があったり、このご時世なので高齢の伯父夫婦の家にノコノコ遊びに行くわけにはいかなかったり。
ワクチンを打ち終わって、世の中も落ち着いてきた頃にまた、会いに行こう。そう思っていた矢先の出来事だった。
父から連絡をもらい、ノコノコ北海道に行くわけにはいかない父や姉たちの分まで「大阪代表」として、通夜に参列してきた。
親族のみに参列が限られていたため、20人ほどのごく小規模な通夜。お坊さんの読経をしんみりと聞く。
祭壇の遺影を見ても現実味がない。特に病気もせず元気で、伯父よりも長生きしそうな雰囲気の伯母だったのに。
椅子に座っている参列者の前を、カラカラと「焼香セット」を載せたワゴンが移動する。座ったままで焼香。
今のご時世だから、極力移動をしないようにという計らいなのか。マナーに自信がない私としては助かるシステム…。
お坊さんが退場後、司会(葬儀社の人)が伯母の生涯について語り、スクリーンが下りてスライドショーが始まった。
夫婦、母子、祖母と孫たち…BGMにのせて伯母と家族の写真が次々に流れる。一瞬で私の涙腺は崩壊。
一番後ろの目立たない席でメソメソと私が泣いていると、一番前に座っていた従兄(伯母の次男)が声を上げて号泣した。
そうよね。男の人でも泣きたいよね。
でも葬儀って、一番悲しくて苦しい家族が、準備やら連絡やら一番慌ただしくて、ゆっくり泣く暇もないのがつらい。
私の涙腺が崩壊したまま、通夜が終わり。帰らなければいけないので、伯父に挨拶に行った。
3年前に会った時は肌つやも良くて元気だった伯父が、車椅子に乗って、ずいぶん痩せて小さくなっていて、驚いた。
耳も遠くなっていたみたいで、マスク越しだと話が聞き取りづらそうだったので、耳元で囁くように声をかけた。
「また会いに来ますね」とは言ったものの、もう伯父には今までのように気軽に会いには行けないだろう。
体の弱った伯父が、伯母のいない家で一人で暮らすわけにはいかず、長男夫婦の所で過ごす事になるらしい。
私が長男夫婦とそんなにめちゃくちゃ親交があるわけでもないので、ノコノコ遊びに行くのは難しいもんなあ…。
最後に、伯母の顔を見せてもらえた。ふっくらしていた顔が小さくなっていて、黒髪は全部真っ白になっていた。
3年前に会った伯母とは別人みたいで、信じられなかった。老衰だったらしいので、きれいで穏やかな顔だったのが救い。
帰り際に、叔母(父の妹)や従兄(伯母の長男)に挨拶をしたけど、マスク越しなのでお互いに表情がよくわからない。
体を寄せ合って悲しんだり、握手をして別れを惜しんだり、様々な表現が何もできず、他人行儀な挨拶で終わった。
P爺の時にも思ったけど、最期のお別れですらちゃんとさせてもらえない、この不自由な社会はいつまで続くのかな。
今回はまだ、棺に入った伯母の顔だけは見せてもらえたから納得してるけど。それでも何かと規制だらけだった。
もし感染で死んでしまったら、それこそまともな別れもできないまま、次に会う時は骨になってるなんて…いやだ。
伯母の通夜に参列してから、どうにも泣きぐせがついてしまい、毎日ちょっとした事で泣いてしまう。
父に電話で「行ってきたよ」の報告をした時も、伯母の事を思い出して電話口でワンワン泣いて、父を困らせた。
運転中に、B’zの「綺麗な涙」が流れてふと、自分のスライドショーのBGMにはこれを…なんて考えてしまって、泣いた。
P爺を送ってからは、ジッタリン・ジンの「いつかどこかで」を聴くたびに泣いてたけど、今は「綺麗な涙」が涙腺のスイッチ。
「不要不急の外出自粛」って言うけど、実家に帰って家族と会う事は許してほしい、と思うようになってきた。
「自分の大切な人に感染させないためにも」とかよく言うけど、それならせめて大切な人ときちんと最期の別れができる制度を作ってくれよ。
家族か友人か恋人か、大切な人は人それぞれ違うけど、会いたい気持ちと同じぐらい、最期の別れもちゃんとしたい気持ち。
今回の参列で、色々と考えさせられた。私の大切な人たち、お願いだからこの不自由な社会の中では誰一人として死なないでくれ。