四半世紀近く経っても、「1月17日」という日付を見ると色々と思う事、思い出す事があります。
一昨日、関西テレビ制作のドラマ「BRIDGE はじまりは1995.1.17神戸」を見て(録画したので実際に見たのは昨日)。
「神戸から川を超えた大阪では日常生活」とか「蛇口をひねれば水が出る、当たり前の事が嬉しい」とか。
そんな場面を見て、4か月前の自分が思っていた事と全く同じやわー、と。見ながら泣けてきました。
当時20歳の私は、神戸の人からすれば「日常」の大阪市内に住んでいて、働いていて。
確かに当日は、道路がデコボコになっていたり、電車が止まったり、大阪市内でも色々と被害はあったけど。
停電や断水は一切なかったので、「被災地」の神戸に比べれば全然大した事がなかったよな、と今更気づいて。
被災地とそれ以外の場所の「温度差」ってのは、被災地の人間にならんとわからんもんやなぁ、と思いました。
それにしても六甲道駅、そんなとんでもない工期で復旧してたとは。不眠不休で働いていた建設会社の方々…すごい。
私も当時は建設会社に勤めていたので、あちこちの現場が戦場のようになっていた事を覚えてるけど。
鉄道の復旧、阪神高速の復旧、ひとつひとつが復旧するたび、作業員の方々にただただ感謝するしかできんかった。
親戚が新長田の駅前に住んでいて、高速船に乗って家族で支援に行った時、変わり果てた街を見て呆然としたけど。
15年後に訪れた長田の街は、何事もなかったかのように美しく復旧していて、それを見てまた呆然としたな。
あれから24年も経ったのか。被災地以外の人には昔話やけど、被災地の人にとっては昔話にならんのやろうな。
大阪と東京で大震災を体験したけど、実際の被災地ではなかったので。被災地の悲しみはそれまでは他人事だった。
でも4か月前に、被災地の人間になって。ようやく神戸の悲しみや岩手・宮城・福島の悲しみがわかったかも。
私の生活は日常に戻ったけど、近くには仮設住宅があり、崩れた街並みがあり、日常を取り戻そうとする人がいて。
それでもきっと10年も経てば色々と復旧して、「胆振東部地震」も昔話になってしまうんやろうな。
「1.17」「3.11」「9.6」。私の中で忘れられない、忘れちゃいけない日付が増えるばかりです。
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