北海道暮らし、はじめました。(旧:東京Diary)

サラブレッドと美味しいモノが集まる北海道が大好きなあまりに、
移住してしまった大阪人の送る北海道生活です。

母の考えとは

2017-09-22 | 家族


今日は母の命日。早いもので亡くなってから8年が経ちました。

大阪の姉が「鳥取の伯父さん(母のお兄さん)から二十世紀梨もらったから送るね〜」と言ってくれていたのですが。

今日ちょうどよく受け取れたので、母と祖父にお供えさせてもらいました(^^)

昨日の検査で異常なしと言われるまで、悪性腫瘍が見つかったら…ガンが進行してたら...と悶々と考える事が増え。

もし私に残された時間がわずかだったら、誰に何を伝えようか、生きている間にしたい事は何があるだろうか。

そんな事を色々と思い巡らせていると、母はやり残した事はなかったのかな...と考えてしまっていました。

私は東京に住んでいたので、なかなか母に会う事も話す事もままならず。母が何を考えていたのかもよくわからず。

亡くなる3日前に大阪に駆けつけて会った時、母は私だと認識はしてくれていたけど、会話はできませんでした。

それから3日間、私は実家で毎日泣き続け。結局そのまま母の思いを何も汲み取れず、何もできないまま別れました。

病気になった事を母はほとんど誰にも打ち明けず、親戚ですら亡くなった時に初めて知らされたほどで。

お通夜には多くの人が来てくれたけど、葬儀はごく限られた身内だけで静かに執り行われました。

私は今でも「お母さん、本当にそれでよかったの?」と母に聞きたくて仕方ないです。

もし私の余命が短いとわかったら、できるだけ多くの人にそれを知らせて、今までの感謝の気持ちも伝えたい。

友人は少ないけど、それでも「えっ!亡くなったの知らなかった!!」と誰にも思ってほしくない。

母の事情を知っていた私ですら、もっと母との時間を過ごして色々話したかった、とずっと後悔しているのに。

何も知らされずに母と別れた多くの人たちは、私以上に後悔や寂しさを抱えていたんじゃないのかと。

母がどんな気持ちで限られた時間を過ごしていたのかを、父や姉たちに聞きたくても、私がすぐに泣くので聞けないまま。

母には母の、私には私の考えがあるので、天国に行って直接母に問いただすまでは謎のままなんやろうなぁ...。

お母さん、私は検査結果で異常なしやったから、会いに行くのはまだ当分先になりそうです。

どうかそれまで、私の、私の大切な家族たちが健康に過ごせるように見守っていて下さい(´ー`)

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