下記youtubeの下部の△をクリックして下さい。
音楽をお聴きになりながら写真をご鑑賞下さい。
尚、タイトルは、画面の最上部にカ-ソルをおくと数秒間表示します。
Celly Akwanさんが 2012/08/02 に公開
Words and Music by C. Akwan (1980,1988)
SATB Arrangement by H. A. van Dop (1989)
2012年8月7日((火曜日)原水禁系の原水禁世界大会が、
長崎市で3日間の日程で始まった。
核兵器禁止平和建設国民会議の3団体が共催する「核兵器廃絶2012平和ナガサキ大会」
油木町の県立総合体育館であり、約4500人(主催者発表)が参加した。(長崎新聞より)
長崎退職者連盟の要請により、長電OB会からも私を含め3人が参加してきました。
今年で2回目の参加でした。
統一スロ-ガン
「すべての核兵器をなくし、世界の恒久平和を実現しよう!」他、7項目有り、
○ノ-モア・ヒロシマ!ノ-モアナガサキ!ノ-モア・ヒバクシャ!が最後に来ていた。
〇開会挨拶河野議長に続き、来賓あいさつ、海外来賓あいさつ等があり進行しました。
●被爆者の訴え、長崎県被爆者手帳友愛会会長、中島正徳の体験が発表されました。
●ピ-スメッセ-●高校生平和大使と報告と決意〇構成詩「親子で綴る平和の願いXI」
●平和アピ-ル〇ピ-スフラッグリレ-〇フイナ-レ「原爆を許すまじ合唱」閉会
北は北海道から、東北の被災県福島県、岩手県
南は沖縄からも参加があっていました。
大会の平和看板の前で記念写真です。
大会舞台を後ろ中央から撮影しました。
各団体ののぼりがたくさんたち立っていましたが閉じらています。
大会の記録報道を残す技術者、並びに裏方さんも頑張っておられました。
被爆時の状況
当時15歳、自宅は原爆投下地点から約700m西の城山町にあり、
当日は3km南の三菱電機の地下工場で軍需品の生産に従事しておりました。
何の前触れもなく停電し、トンネル内が真っ暗になり、一呼吸して、
「ド-ン」と強烈な爆風でその場に吹き倒されました。
気が付くと入口の方が騒然として外の工場、事務所に
いた人達たちが雪崩れ込んでおり、工場は、全滅だ-と
殺気立った声で叫んでいました。(当日のパンフレットより)
この後、会社から自宅に帰宅するようにとの達しを受け、
旭町の道路を通過するが、家屋の残骸、死者の屯で通れず
稲佐山中腹に方向を変えて通り、柳川橋におり、ここも益々
惨状が激しくなり、浦上川底に降りて、竹岩橋、城山の市営住宅まで
帰宅した。辿りついた家屋は全焼で、留守番の母親、兄弟の無残な姿に
遭遇し、その地獄絵に絶句され、木々で自ら焼却され
ご遺体を埋葬されたとの事です。
(概略の聞き入る記憶の再現ですが、この訴えを永遠に続けなければならないと
思いました)
次世代への継承「高校生平和大使」
被爆地長崎の若者の真剣な願いとして国連に大きな影響を与えています。
また、この取り組みを機に長崎県内では、若者の平和活動が活性化し、
「高校生1万名署名活動」をはじめとする様々な高校生、大学生の
活動が生まれました。第15回目となる今年は、長崎県の高校生3人の他、
全国から選ばれた計16人の平和大使がスイス・ジュネ-ブの国連本部に
高校生1万人署名簿を手渡し、核廃絶を訴えるスピ-チ行うほか、
肉親や被爆者から伝えられた平和の大切さを学び、全国の仲間たちの
支えを胸に「核兵器の廃絶と世界の恒久平和を求める被爆地長崎の願い」
を伝えることになっています。(パンフレットより)
今年も約10万人の署名が集まったそうです。
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『被爆地でノ-モアヒバクシャ討ったえる』
『若者に平和の願い引き継がれ』
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それでも今日、自分たちがあるのは
膨大な死者の上に成り立つことを
決して忘れたくありません
いつまでも、正しい知識を伝承していきたいものです
この年になって平和活動を続けてるとは考えていませんでした。しかし住みよい国を作るため、自分に何が出来るか?
出来ることを一つ一つ積み重ねていこうとお思いました。