人間誰でも
向き不向きというものがある
使命を紐解く=その人の生きる意味を知ること
なんだけど
それはつまりその人の才能であり
得意技を紐解くということにもなる
得意技ってのはたくさん持つ必要はなくて
少ししかないから光るもの
それが個性
だから向き不向きが生まれる
という事がベースにあっての
今日
長女の中学校の校長先生と
話をしてきます
まず、長女が学校では個性を発揮できず
萎縮してしまったこと
それが積み重なって
不登校になりました
500g未満の超低出生体重児で産まれたことで
いわゆる普通の成長からは大幅に遅れを取り
小学校から特別支援学級に
お世話になっています
中学入学前に特別支援学級の子は
個別で中学の先生と親とで面談があったので
どんな子か、
何が出来て何が出来ないか、
だからこのようにして欲しいと
伝えてありました
入学式に行ったら
面談した先生は在籍しておらず
面談した内容は
一切引き継がれていませんでした
つまり特別支援学級の担任の先生は
入学してきた子どもたちのことを
全く知らずに
というか知ろうともせずに居たということ
通常のクラスであれば
それでもいいのかもしれません
(本当はわかってた方がいいはずですが)
普通という言葉はあまり使いたくないけれど
普通に学校生活を送れないから
特別支援学級にお願いしているんです
なのに入学してみたら
ほとんどの時間を通常学級で過ごす
という説明がありました
特別支援というのは名ばかりで
参加しても理解出来ない授業に
ただ居る
足を引っ張ることももちろんあるから
からかう子が出てきます
予想がつくことです
長女はそれを苦に学校へ行けなくなりました
なぜなら彼女の生きる意味を
削ぎ落とすところを突かれたからです
当然の結果だなと思います
そこを頑張って行け
と言うのが古いタイプの大人です
生きる意味を削ぎ落とされることが
いかに怖いかを知りもしないで
義務教育だから行け
私はこれは完全に言葉の暴力だと思います
それでどれだけたくさんの人たちが
苦しんできたことか
生きる意味を奪われる場所に
あなたは居たいですか?
生きる意味を奪われる場所
牢獄と一緒です
ちょっと友達とトラブった
とかそういう事じゃないんです
自分の存在価値を否定され
気力を奪われる
そんな場所に行かなきゃならないって
どれだけ苦しいでしょう
その子によって
「自分の存在価値の定義」
は違うので
マニュアルなんて作れないのです
例えば私は小学校5年の時に
一時期仲間外れにされたことがあります
おや、話しかけても無視されるな
遊びに誘われないな
あれ?
って感じに
これって不登校の原因の一つですよね
私の反応はどうだったかというと
「ま、1人も楽だしいいや〜」
「べったりも疲れるのよね」
でした
私にとっては「一匹狼」が自分の存在価値だから
大丈夫だったんです
これが存在価値が
「仲間との調和」だったり
「人に希望を与える」だったり
「人のために生きる」の人だったら、、、
辛すぎるでしょうね
だからマニュアルなんてないんですよ
話を戻しますが
からかう子には先生が注意をしたそうです
でもね
それにどんな意味があるでしょうか?
ああよかった!
って行けると思いますか?
結局表面しか見ていないのです
からかう子にもおそらく理由があるので
注意されたとしても
「は?なんで?」でしょう
もしかしたらその子も
自尊心を傷つけられたかもしれません
まあ学校はひとりひとりを
私まで深くみることはできないですから
求めるレベルはある程度になりますが
それにしてもこのままではいけない
そもそも担任の先生が使命を生きてないので
こういうことになるのです
つまりは
向いていない
先生が使命の人は
ひとりひとりと丁寧に楽しんで接しています
でもなかなかそんな先生いないですよね
残念だけど
「先生が向いてない先生」って
いっぱいいるんだな!
リアルに体感させていただきました!!
私が体験したということは
学校教育に対して何かアクションせよ!
ってことなので頑張ります
それでですね
長女の不登校対策はというと
使命を生きてる先生に託すということ
はっきり言って学校へ行くことが
使命の子はいませんが
長女は人の中で生きることが
使命を発揮する絶対条件なので
学校には行かせてあげたい
じゃあどうするかっていうのは
また今度!!
もうね、上手く行くようになってるんだわ
(⑅˘͈ ᵕ ˘͈ )
全てのピースがハマっていく!
私が中学生のときに猫を拾ったことが
まさか我が子の人生に繋がるとはね!笑
↑↑↑
気になるでしょ(笑)
そしてまた私が使命を発揮する
全部に意味があるんだなー
人生って
めっちゃ作り込まれた映画のシナリオより
奇想天外だけど筋が通ってる!
気づいたらね
降参するしかない
降参するというのは
何もしないということじゃなくて
委ねた結果
動かされるってことだから
間違えないでくださいね
ってことで
動かされたから今日は校長先生と
話してきます!
(*´∇`)ノシ ではでは~
特別支援学級に通わせたい親御さんの気持ちは理解できますし、子供も近所の子たちと同じ学校に行きたがるのは当然でしょう。
「使命」を優先させて愛する我が子をツライ状況に追い込んでしまった様ですね。
特別支援学校は個性溢れる素晴らしい場所ですよ。
狭い世界で人を変えようとせず、視野を広げ、生きてください。
楽に生きれることを祈っています。
そういう風に伝わってしまいましたね。。。
多分私の言いたいことは伝わってないですね^^;
参考にさせていただきます♪
使命の紐解き、受けていただければわかると思いますが、
ご縁がありましたらぜひ✩.*˚
ちなみに私たち家族は幸せですので、ご心配なく♪
特別支援「学校」には沢山の熱意と知識を持った教師が応募し選ばれ配属されます。
特別支援「学級」には転勤を断った教師、上に刃向かった教師、単に特別支援に興味がある教師等が配属されます。
この違いを知っている親と、知らない親では、我が子は全く異なる結果になり、子供の成長に差が生まれるのも当然です。
組織の末端にいて数年で異動を繰り返す校長にどれだけの力があるか…世の中、変えられると良いですね。
奇跡的に素晴らしい力を持った校長であることを祈ります。
そうなんですよね、教育の現場が大人のためにあるようで、とても残念です。
支援学校と支援学級の違いも、知ってはいましたが、実際に通わせてみなければわからないのが現状でした。
支援学校の見学に行ったのですが、普通の中学との差がありすぎたのも困った点でした。
中間が欲しい、というのが正直な希望です。
校長先生は話の分かる先生でしたが、教育委員会の体制、現場の体制が整っていないことが良くわかりました。
あとはどうなるか、見守るしかないです。
極小で生まれ発達が遅れていることに、劣等感があるから普通に拘ってしまう、そういう思考になるのも仕方がないこと…ではなく、お母さんの性格の癖で子供が左右されるということです。
我が子は極小で生まれたのだと前面に出しているのも、普通の障害者とは違うという特別感(優越感)、これは劣等感の裏返しだと感じます。
普通でないことを素直に伸ばしてあげられる場所へ、是非お子さんを導いてあげて欲しいです。
それが親の役目だと思います。