どうも、こんにちは。
相変わらずオフ多忙等により、更新が遅れがちになりますが、それでも頑張って更新頑張っていきたいと思います。
今回とシリーズ次回との2回に渡って、シリーズ第852回で少し紹介しました大阪・平野の全興寺を紹介します。
この全興寺は、地獄の閻魔王の裁きを再現・演出しているという「地獄堂」で有名です。
毎年8月第4土日に大阪平野の大念佛寺の「幽霊博物館」に、今年6年ぶり訪れた際に、「同じ平野区内だったら、ついでに全興寺の地獄堂も訪れてみてはどうだろう?」と思い立ちました。
それで実際に訪れた全興寺は・・・地獄の裁きを演出した地獄堂だけでなく、極楽や賽の河原など「仏教の来世をモチーフにしたテーマパークみたいな場所」だという印象を受けました。
まずはいつもの通り、交通アクセスから。
最寄りの交通機関には、大阪市営バスの「平野南口」停留所が。
或いは、少しばかり歩かなければなりませんが、大阪メトロ「平野」駅からも行けます。
街中の案内板を頼りに進んでいきますと・・・。
「昭和の古き良き下町」という感じの町の一角に。
入り口がありました。
ここには「おも路地」とかいう駄菓子を売っている場所や。
こういうアート作品も飾ってあったりして。
この町の人たちが集まる憩いやイベント等の場所としても親しまれているようです。
昭和時代のおもちゃや。
当時の町の様子を再現したジオラマ等もあったりして。
レトロな雰囲気を楽しめる場所に、世代によっては昔懐かしい思い出にも浸れる場所にもなっています。
こういう場所も私は好きですね。
ちょうど夏休み最後の日曜日だということもあってか、「妖怪お化けランド」とかいうイベントもやっていたようで。
その為か境内各所にはいろんな妖怪が。
実にいいタイミングで訪れることができたようでうれしい限りですが、まずは別の入り口側にある寺務所の受付で「地獄(堂)への通行手形」を買います。
参拝する為の順番も決められているようですので、それに従って移動します。
ところで寺務所のある方の入り口には、この古刹の由緒書きも。
それには「聖徳太子の手で造られた薬師如来像を本尊とする薬師堂が建てられたのがはじまりで、そこから荒野だった場所に人が集まって町ができていった」という歴史が書かれています。
また、聖徳太子の像や、「真田幸村が徳川家康暗殺の為に仕掛けた地雷によって、首が全興寺まで飛ばされた」という伝承を持つ「首の地蔵尊」などもあるという、まさに本シリーズでとりあげるにふさわしい面白いものが幾つもあるという古刹のようです。
ますます楽しみです。
いよいよ地獄堂へ。
入り口には10ほどの設問によって「死後は地獄行きか極楽行きか」をテストするコーナーもありますが。
さすがに「百点満点で合格、極楽行き確実」という完璧人間など現実に居るわけない、ということもよくわかっておられるようで、そういうところもまた面白いですね(笑)。
通行手形のバーコードーキーで、中に入ります。
中では地獄の十王と。
鬼(獄卒)や、三途の川の奪衣婆(だつえばばあ)に両側を固められて。
そして勿論、正面にはあの閻魔王が。
地獄堂の扉が閉まり、閻魔王の声が響き渡り、地獄の裁きの演出と解説とが始まります。
有名な「浄玻璃(じょうはり)の鏡」も。
死者の生前の行いが全て映しだされるので、閻魔王の前で嘘をついたり、悪事をすっとぼけたりしても、必ずばれるというあれです。
そして最後には閻魔王から「いのちをだいじに」にというメッセージが贈られます。
やはり一番言いたいことはそれだったわけですね。
ところで、地獄堂内には「これを子供さんへの躾の脅しに使わないようにしてください」とかいう意味の注意書きもあったように記憶しておりますが。
昔はほとんどどこの寺にもこういう地獄の様を教える絵などがあって、それを教化や啓蒙、子供の躾の為に使っていたという話を聴いたことがありますが、現代でもそのように使っている人たちも居るようですね・・・。
さて、先述しましたように。
この古刹には、地獄堂だけでなく、極楽など仏教の来世世界を表したものや、昔懐かしの駄菓子屋まであったり、さらには「妖怪お化けランド」が開催されていたりなど、他にもいろいろと面白いものがありますので、シリーズ次回でもう一度、この全興寺を紹介していきます。
それでは今回はここまで。
続きはまた次回。
*大阪平野・全興寺へのアクセス・周辺地図はこちら。
*全興寺のHP
*『京都妖怪探訪』シリーズ