北野天満宮のシリーズ記事の第4回目になりました。
途中でひとつシリーズ外の記事を入れましたが、再開します。
今回は、北野天満宮本殿前の三光門(重要文化財)とその周辺の摂末社と不思議スポットとをとりあげます。
まずは一旦、シリーズ前回の楼門の赤目牛ところまで戻ります。
楼門からの道をまっすぐ進んで突き当たると地主神社ですが、今回は向かって左、やや西への別れ道へ。
まずは絵馬所の前に辿り着きます。
この牛の像は、確か絵馬所の前にあったものです。
この絵馬所の前からまっすぐ西へ進めば、「牛社」や「稲荷社」などいくつもの摂末社が建つ区画へと続きますが、そちらの方はまた後日とりあげます。
今は、ここから右折して北へ。
本殿の方へ。
本殿へとのびる道にも、いろいろなものがあります。
まずは、狛犬。
道の両側に4つの摂末社が。
西側、手前から「福部社」と「老松社」。
東側、手前から「白太夫社」と「火之御子社(ひのみこしゃ)」。
このうち「白太夫社」に祀られているのは、 菅原道真の従者であった度会晴彦翁(わたらいはるひこ)という人物です。
生前は従者だっただけあって、この社は全国の様々な天満宮で摂末社として祀られているそうです。
一説には白髪・白髭であったために「白太夫」と呼ばれていると伝えられています。
「火之御子社」で祀られているのは「火雷神(からいしん)」。
その隣には、道真の詩碑です。
雷除けの神様として。また雷は雨をもたらすことから、五穀豊穣の神様としても祀られています。
現代では、電気工事関係の人や、(雷が脅威になる)ゴルフ愛好家の人などにも信仰され、毎年6月1日には雷除けのお守り札が授与されるそうです。
この辺りにもやはり牛の像。
黒光りする牛。
この写真では見えにくいかもしれませんが、これも牛の像。
珍しい斑の石です。
そして本殿前。重要文化財の中門。
「三光門」とも呼ばれています。
狛犬好きの私としましては(笑)、その両脇の狛犬と唐獅子もやはり見逃せないですね。
こちらの角のある方が狛犬。
角のない方が唐獅子。
北野天満宮の狛犬や唐獅子には、本当にいい面構えのが多いですねえ。
話を三光門に戻します。
何故、「三光門」という名称かといいますと、「日・月・星の3つの彫刻が刻まれているから」というので「三光門」というそうです。
しかし、北野天満宮七不思議によれば、「一説にこの彫刻は、日と月と三日月はあるが星はないといわれる」そうです。
やはり北野天満宮七不思議によれば、その理由は以下の通り。
>これは平安京造営当初の大内裏が千本丸太町にあったため、旧大極殿が天満宮の南方位に位置し、帝が当宮を遥拝(離れた所から神様を拝むこと)される際に、この三光門の真上に北極星が瞬いていたので星は刻まれていないのだと伝えられる。
私が見た時には、その名の由来となった日と月の彫刻がどこに刻まれているのかは、よくわからなかったのですが……。
読者の方の中には、ここを訪れて見つけられた方は居られますか?
さて、ここから本殿に入ろうとしましたが……。
三光門の近くにある石燈篭の辺りに、何やら人が集まっている場所があります。
「何だろうか?」と思って近づいていきますと、そこには大きな鼻の穴をした大黒の像が刻まれています。
これは北野天満宮七不思議のひとつにもあげられている「大黒天の燈篭」です。
元々は、安政2年(1855年)に河原町正面にあった「大黒屋」を中心とする質商組合によって奉献されたものだそうです。
「この大黒様の口(私には鼻の穴に見えましたが)に小石を乗せて落ちなければ、その小石を財布に入れて祈るとお金に困らないといわれる」という言い伝えまであるそうです。
この大黒像にお参りをしたり、中には本当に小石を乗せている人も居ます。
こちらの方は、随分と器用に、上手く小石を乗せておられました。
私もやってみましたが……不器用な私ではなかなか難しかったです。
さて、今回も記事がそこそこの長さになりました。
今回はここで切りまして、シリーズ次回は、三光門から本殿まで行きます。
それでは、また次回。
*北野天満宮へのアクセス・周辺地図はこちらをご覧ください。
*北野天満宮のHP
http://kitanotenmangu.or.jp/
*京都妖怪探訪まとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm
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