どうも、こんにちは。
シリーズ前回、戸隠の鬼女退治伝説をモチーフにした「千本ゑんま堂大念仏狂言」の演目、『紅葉狩』を紹介しました。
能や狂言などで後世に伝えられた戸隠の鬼女退治伝説。
それは、「酒呑童子の女性版」ともいうべき、強大で狡猾、悪逆非道の鬼女・「紅葉(くれは)」を、天皇の命と神仏の加護とを受けた英雄「平維茂(たいらのこれもち)」が倒すという、いわば典型的な勧善懲悪の英雄・妖怪退治伝説です。
しかし昨年(2022年・令和4年)の秋頃、この伝説に新解釈を加えたストーリーを創り出した人がいました。
本シリーズでも何度か紹介したことのある‘百鬼夜蝶’こと、士狼かずさ(改名・柊アキラ)さんです。
今回は特別編として、伝説に新解釈を加えた士狼さんによる『紅葉狩』を紹介したいと思います。
これは、「英雄伝説とは何か」「妖怪退治伝説とは何か」を私なりに考察していくひとつのきっかけともなりましたので。
さて、本題に入る前に。
まずは能や狂言などの『紅葉狩』のモチーフとなった戸隠の鬼女伝説について、解説します。
知らなくても、百鬼夜蝶版『紅葉狩』は楽しめるとは思いますが、前提知識があった方がより楽しめる、そして通説も知っていた方が、「英雄物語や妖怪退治伝説とは何か」をより考えることができるかと思いますので。
いろいろと異説もあるようですが、それはだいたい以下の通り。
戸隠に棲み悪事を働いた鬼神、あるいは鬼女の名前は、「紅葉(くれは)」あるいは「呉羽(くれは)」とか「更級姫(さらしなひめ)」などと言われ。
姿を変えたり、幻を見せたり、人を呪殺したり、天変地異を起こしたりなど、強力かつ多種多様な妖術を操り、多くの盗賊や悪人を支配・統率して各地で悪の限りを尽くした。
いわば「大江山の酒呑童子の女性版、戸隠版」ともいえる鬼女ですが、しかも絶世の美女でもあったと伝えられていますから、伝説や伝承などに名を残さないはずが、能楽などのネタにされないはずがないでしょう。
彼女は承平7年(937年)に奥州・会津で生まれ、幼名を「呉羽(くれは)」といいました。子供の居ない夫婦が、魔王とも呼ばれる第六摩利支天に祈願して授かった「魔王の申し子」ともいうべき子でした。
すれ違った誰もが振り向くほどの美貌を誇り、教養もあり、琴の名手でもありましたが、同時に邪悪な心も持ち合わせていました。
近在の豪族の息子に見そめられ結婚しますが、分身の術を使って婚礼支度金だけを奪って逃げて・・・つまり今で言う結婚詐欺のようなことをやって、その金で平安京へと上ります
平安京で「平経基(たいらのつねもと)」、或いは「源経基(みなもとのつねもと)」という貴人に見そめられ、やがて寵愛を受けるようになります。
この「平経基」或いは、「源経基」という人物は、実在した人物・源経基を・・・シリーズ第827回記事で紹介した六孫王神社で竜神として祀られている清和源氏の祖・・・を元に考え出された架空の人物ともされていますが。
しかし紅葉は、自分が妾から正妻になる為に、経基の正妻を呪殺しようとしたことがばれてしまいます。
本来なら処刑されてもおかしくない罪ですが、この時紅葉は経基の子を宿していたため、罪一等を減じられ、信濃国・戸隠へと流罪になります。
流罪先の戸隠で紅葉は、さらに邪悪な鬼女の本性を現し、盗賊や悪人を集めて盗賊団を組織し、戸隠や近隣地域で略奪や殺戮を繰り返す、人肉を喰らうなどの悪逆非道の限りを尽くします。
遂に安和2年(967年)、時の天皇は、武将・平維茂(たいらのこれもち)に戸隠の鬼女退治を命じます。
維茂は軍を率いて戸隠に遠征へ行きますが、美しい女性の姿をして惑わし、火の雨を降らせる、大地をも鳴動させるなどの強力な妖術を使う紅葉相手に苦戦します。
その中で「紅葉」は、「更級姫」という美しい姫君の姿で、紅葉風景を観る酒宴を催して、維茂を惑わそうとするエピソードがあります。
維茂はすっかり彼女に魅了され、油断して酒に酔って眠りこけてしまいますが、武士の守護神である男山八幡大菩薩の神(或いはその使い)が現れ、維茂の目を覚まさせます。
このエピソードは、紅葉の美貌と、それを利用して相手を欺き、罠にはめようとする狡猾な策士としての側面をも表しています。
能楽や狂言の『紅葉狩』は、特にこのエピソードに注目して創作されたものと思われます。
苦戦が続く維茂は、他の鬼退治の英雄たちがしたように、身を清め、神仏に祈ります。そして神の化身か使いと思われる老僧から、夢のお告げと降魔の神剣を授かります。
そして神仏の加護と神剣によって、遂に鬼女・紅葉とその配下の盗賊団とを倒します。
戦いの後、維茂は紅葉とその手下たちを手厚く弔い、塚を建てたとも伝えられています。
そしてかつて紅葉に蹂躙されたその地は、鬼女が居なくなったことにより「鬼無里」と呼ばれるようになりました。
以上が、いわゆる通説の戸隠山の鬼女(退治)伝説の概要です。
次に、(柊アキラ改め)士狼かずささんの簡単な紹介を。
士狼さんは、元はゲームのデザインや編集の仕事を経て、現在はデザイナーやライター、イラストやさらに演舞や演劇などもこなされている非常に多彩な方です。
私としては、2016年と2017年の「夏の妖怪展」で、士狼さんの作品である美麗な妖怪イラストとグッズを見つけ、買ったのをきっかけに、Twitterの相互フォローなどで交信を始め、2019年の大津プリンスホテルでのイルミネーション点灯式など何度か実際にお目にかかったこともあります。
ある時士狼さんのTwitterで「‘百鬼夜蝶’による新解釈の『紅葉狩』舞台をする」という情報を目にしました。
普段ならば関西から名古屋まではなかなか行けないのですが、その日はちょうど仕事も休みだったこともあり、何よりもあの伝説の新解釈というものを是非とも観てみたいという思いもあり、名古屋観光と名古屋在住の旧友に遭うのも兼ねて、新幹線で名古屋を目指しました。
前置きが長くなってしまいましたが、ここから本題へ。
昨年(2022年)10月22日、名古屋pH-7地下劇場という劇場にて。
小規模な地下劇場ですが、ここの舞台にて、百鬼夜蝶版『紅葉狩』が上演されました。
まずは舞台挨拶とオープニングアクションから。
そして本編が始まります。
最初からいきなり鬼女・紅葉とその侍女・珊瑚(さんご)と、平惟茂とが出遭い、文字通りの紅葉狩の酒宴を始める場面から始まります。
しかも惟茂も、従者の少年・左源太も何かを・・・しかも何か大事なことを忘れているかのような様子。
初めて会ったはずなのに、どうもそうでも無い様子。
また、惟茂も誰かにあげる為のかんざしを、何故か持っている。
特に、通説の『紅葉狩』あらすじを知る者からすれば、この時点で違っていて「これは一体、どういうことだろうか?」とも思わせる始まり方です。
紅葉と珊瑚の酒宴によって、惟茂はすっかり酔い潰され、寝入ってしまいます。
生真面目でストイックなところもある左源太も、あっさりと酔い潰され、寝入ってしまいます。
ここは通説『紅葉狩』と同じですが・・・。
実は惟茂と左源太、戸隠に棲む鬼の討伐に来たはいいが、鬼女・紅葉(くれは)とその侍女である鬼女・珊瑚の妖術によって、記憶を消されていたのです。
そして時間軸は、それよりさらに以前に戻ります。
ここは元々、紅葉や珊瑚ら鬼たちが平和に暮らして里でしたが、ある時平安京から鬼の討伐隊が来るという話が彼女らにもとらされます。
鬼の里はじまって以来の危機から、どのようにして里の鬼たちを守るかを必死に考えを巡らそうとする彼女たち。
ここで思ったのが、鬼や土蜘蛛などにみられる妖怪退治伝説の真相とは、実は時の中央権力や被征服者が、先住民やマイノリティを滅ぼしていったという話ではないか、という説です。
それを正当化する為に、英雄が邪悪な怪物を倒していった話にすり替えて後世に伝えていく。日本だけでなく、古今東西の妖怪・怪物退治の話の背景には、そんな歴史の闇が垣間見えることがしばしばあります。
有名な鬼退治伝説のひとつ『桃太郎』を例にとっても、諸説はあれども、鬼ヶ島の鬼たちは何か成敗されなければならないほどの悪事を働いたとは書かれているわけではありません。
私などは昔、「桃太郎は犬・サル・キジを引き連れ、平和に暮らしていた鬼ヶ島を侵略し、虐殺や略奪の限りを尽くしました」などというブラックジョークを飛ばしたりしていましたが・・・。
古代より大和の朝廷権力が、蝦夷や熊襲などと言われた先住民を征服していった歴史を見れば、各地に遺る鬼退治伝説のほとんどは実はそういうものではないかという気がしてくるのです。
もしかしたら、戸隠の鬼女退治伝説も・・・。
舞台『紅葉狩』に戻ります。
紅葉は山で道に迷っていた男を自分の屋敷に招き入れますが、その男こそが討伐隊を率いる武将・平維茂でした。
本来ならば二人は敵同士ですが、次第に心を通わせていきます。
その中で紅葉と珊瑚の哀しい過去も明かされていきます。
通説では紅葉は、生まれ故郷の奥州で結婚詐欺のようなことをして金をせしめるとか、自分が正妻の座を得ようと経基の正妻を呪殺しようと企んだりするなど、かなりの悪女ぶりを見せますが。
ここでの紅葉は、元々純真な女性だったように描かれています。
故郷・奥州を訪れた貴人・源経基が気まぐれにした愛の告白を真に受けて、はるばる平安京まで経基を追ってきましたが、経基には既に妻が居て、騙されたことに気付いて「もう恋などしない」と思うほどに傷ついてしまいます。
(逆に、六孫王神社(ろくそんのうじんじゃ)の祭神にもなっている清和源氏の祖が、ここでは随分と軽薄な人物として描かれていますが・・・)
また珊瑚も元々は、ある神社の姫君だったのですが、報われなかった哀しい恋に思い悩んだ末に、自殺を図って死にかけていたところを、鬼女・紅葉の血を分けてもらいって鬼女として生き続けることになったという過去を持ちます。
この『紅葉狩』での紅葉だけでなく、酒呑童子や茨城童子など古い鬼の伝説・伝承を観ると、多くの鬼が元は人間だったことも多い。さらに鬼や天狗の中にも、崇徳上皇や宇治の橋姫など、元は人間だったのが悲劇的な過去ゆえに鬼や天狗などといった異形の存在へとなってしまったというのも、しばしば観られます。
人気漫画・アニメ『鬼滅の刃』で描かれていた鬼もそう。鬼を単純な悪としてではなく、人間としての過去や感情や欲望を持った存在として描く作品、私も結構好きでしてね。
否・・・実際の鬼とは、鬼として歴史の闇の葬られた人たちの実態も、こういうものだったのかもしれません。
再び舞台に戻ります。
敵同士であるにもかかわらず、紅葉と維茂は心を通わせ始めます。
さらに、紅葉の侍女・珊瑚が鬼となるきっかけとなった悲しい恋の相手が、維茂の従者・左源太の兄・神叡(しんえい)だったこともわかり、さらに複雑な因縁が絡みあいだします。
敵であるが戦いたくはない・・・。
思い悩んだあげく、紅葉と珊瑚は妖術で、維茂と左源太の記憶を消すことに。
記憶を消された維茂と左源太は「戸隠に鬼は居なかった」と思い込まされ、平安京に帰ります。
しかしまたもや鬼の討伐令を受けて戸隠へ・・・。
このループを三度も繰り返すことになります。
そして時間軸は、冒頭の話に戻ります。
維茂は、紅葉にあげるために自分が持ってきたかんざしのことすら、忘れてしまっています。
しかしそこへ、白く光り輝く謎の少年が現れ、維茂らの記憶を取り戻させ、鬼を斬る神剣を与え、使命を果たすように促します。
その少年の正体は、八幡大菩薩の使いである、たけふじの神。
そして遂に、維茂らは記憶を取り戻します。
互いに葛藤を抱えながらも、戦いは避けられなくなって・・・。
能・狂言の「紅葉狩」及び、元となった伝説では、邪悪で妖艶な鬼女・紅葉と、天皇の命と八幡大菩薩の加護を受けてこれを討伐する武将・平維茂(たいらのこれもち)という、いわば善悪二元論的な話ですが、百鬼夜蝶版「紅葉狩」はそんなわかりやすい話ではありませんでした。
紅葉ら鬼の側だけでなく、平維茂ら討伐する側も、わかりやすい純粋な「正義のヒーロー」というわけでなく。使命感と情との間で迷ったり、思い悩んだりする弱さも持った人間として描かれていた点にも注目しました。
また、ゑんま堂狂言『紅葉狩』にも登場した神使・たけふじが、ここでは冷徹なキャラとして描かれていましたが、それは正義の持つ冷徹な側面が表れているようにも思えました。
こうして改めて振り返ってみますと、作者の士狼さんは、異説をも含めて戸隠の鬼伝説について、よく調べられていることもわかりました。
実は戸隠の鬼伝説には、異説もあるのです。
紅葉狩にやってきた平維茂は、戸隠の村で呉羽(くれは)という女に出会います。呉羽は都で源経基の愛妾となり、経基の子を身ごもりましたが、それを妬む人々によって陥れられ、この地に追いやられてしまったということでした。
貴人の血をひきながら、都を遠く離れた地に追いやられた我が子を慈しむ心はやがて妄執へと変わり、その果てに呉羽は鬼女と化し、そして維茂に討ち果たされてしまいます。
紅葉(呉羽)が鬼女と化し、維茂に討たれるという大筋は同じですが、鬼女・紅葉がより哀しい存在として描かれています。
さらに紅葉は、残虐非道な鬼女ではないどころか、村人たちから慕われ、尊敬される人物であったという伝承も、鬼無里の地には遺されているそうです。
果たして、紅葉(または呉羽)という女性の真実はどうだったのか。
我々にはそれを知るすべはなく、ただ今の時代から想像力をはたらかせ、推測を重ねることしかできませんが。
ところで伝承上の鬼女として、紅葉と並ぶ有名な存在に「鈴鹿御前」という人物(※シリーズ第121回)も居ましたが、あの有名なスタジオジブリ・宮崎駿監督の映画作品『もののけ姫』に登場する「エボシ御前」のモデルが、「鈴鹿御前」だったという記事を、つい先日みつけました。
『もののけ姫』のエボシ御前は過去エグすぎ? 宮崎監督が語る「裏設定とモデル」(マグミクス 2023.05.26 記事)
エボシ御前もまた、冷徹で情け容赦なく、残酷な言動もする一方で、社会最下層の人々に仕事や居場所を与えて救済しようとするなど、単純な善悪二元論ではわりきれないような人物でした。
先述しましたが、英雄や妖怪退治の伝説というのは、極論すればその当時の勝者・支配体制側を正当化する為のプロパガンダとしての側面をも持つものです。
しかしそれならば、歴史上の敗者や、少数者や被支配者側の立場や言い分とかも、それを表した異説や異聞とかもある筈。
そうした異説や異聞も見つかることも少なくないのが、妖怪伝承や闇の歴史を追い続けることの面白さのひとつでもあります。
こうした異説や異聞に触れ、「鬼・妖怪の伝説とは何か」から「正義とは、善悪とは何か」を考察する機会も与えてくれた作品が、百鬼夜蝶版『紅葉狩』でした。
あと、あんな小規模劇場の狭い空間(失礼!)の中で、非常に激しい動きも伴った殺陣(たて)もこなされた出演者の皆さんの身体能力や、それまで積まれてきた修練なども、運動神経も反射神経も無い私から想像すれば、驚くものがありました。
本当にお疲れ様でした。そしてありがとございました!
今回はここまで。
また次回。
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