(記事中の写真はクリックで拡大します)
どうも、こんにちは。
今月の弊サイトは、鬼の話と東福寺とその周辺の話ばかりでしたが、久々の『京都妖怪探訪』シリーズは、東福寺周辺の地域に伝わる鬼伝説を追いたいと思います。
『今昔物語集』にも遺されている「羅刹谷(らせつたに)」という谷の話。
この谷には昔、「羅刹(らせつ)」が棲んでいたと伝えられています。
「羅刹」とは人喰い鬼の一種で、非常に凶暴な性格で、男は醜く、女は美しいとされています。ここ「羅刹谷」には絶世の美女の姿をした羅刹女が棲んでいたそうです。
ある時その谷に、比叡山の高僧・“恵心僧都”源信(げんしん)が足を踏み入れました。そこへ谷の奥から、一人の美女が現れます。
「ああ、こいつは羅刹女だな」と源信は思いましたが、「これも仏のお導きだろう」とその美女に誘われるままに谷の奥へと入っていきます。
谷の奥にある住処へ辿り着くと、羅刹女は本性を現して源信に襲いかかろうとしましたが、最後まで傷ひとつつけるどころか、触れることすらもできず、源信は無事に谷の外へと生還できました。
こんな話ですが、人並み外れた意思力と、厳しい仏道修行で得た神仏の加護があったからこそ、羅刹に遭っても無事でいられたのでしょうが、我々のような凡人ならば、羅刹に力にも色香にも抵抗できず、ほぼ確実に喰い殺されているだろうな、と思います……。
様々な資料で調べた結果、その「羅刹谷」は、現在の東福寺の北側、東福寺と泉涌寺との間にあった渓谷だっとそうです。
東福寺に寄ったついでに、その場所へも行ってきました。
まずはいつものとおりアクセスから。
最寄りの交通機関は、東福寺と同じ。京都市営バス「東福寺」停留所です。
JR奈良線、もしくは京阪電車の「東福寺」駅からも歩いて行けます。
絶景で有名な東福寺「臥雲橋」の北の方へ、東福寺と泉涌寺との間の地域を目指します。
東福寺の僧堂。
一般人の私はここから中には入れませんので、先へと進みます。
京都市立日吉ヶ丘高校の前まで来ました。
いろいろな資料を見ますと、「羅刹谷」があったとされるのは、この辺りから、大雲院、京都国際学園の辺りまでの地域だそうです。
この地域を歩いてみます。
恐ろしい人喰い鬼女が棲んでいた場所とは思えない、現在のこの場所は「緑ある閑静な住宅街」という感じしかしません。
あとは、元は渓谷だったためか、やたらと坂や高低差が激しい場所が多かったような印象です。
ところで、こういう場所で。
現在ではごく普通の住宅街である場所で、取材と称して写真を撮っていますと……不審者と間違われることもあります(苦笑)。
まあ、それも無理はないことです。
観光地でも無い場所で写真を撮っていたら、疑われます。
ましてや学校などの付近をうろついていますと、子供を狙った犯罪者かと疑われてもおかしくないのです。
案の定、地元の方から「何をしているのか?」と声をかけられました。
幸い、こちらの身元を明かし、『京都妖怪探訪』シリーズというのを個人でやっていて、その取材と写真撮影に来ているということを説明しますと、おわかりいただけたようで、「昔、この辺りの土地を掘っていたら、石碑などの遺構らしきものがいろいろ出たそうだ」等、いろいろとお話もしていただけました。
また今回は、もうお一人親切な地元の方に、後述する「五社の滝」「御壺瀧大明神」までの道を、途中まで案内していただきました。
住宅街の奥にありますから、少々わかりにくかったのですが、何とか辿り着くことが出来ました。
「羅刹谷」とよく同一視されることの多い場所に「五社の滝」と「御壺瀧大明神」がありますが、ここはそうのうち「五社の滝」です。
川沿いの場所に、実にたくさんの神様が祀られています。
実に凄い数の神様が祀られて、「神様密集地帯」という感じ。
凄い場所だなあという気がしましたが、それでもここはまだ神聖で、なおかつ清浄で落ち着いた雰囲気に満ちていました。
なお、すぐそばにある民家の方が、社務所も務めておられて、よく整備・管理されているようでした。
この後訪れる「御壺瀧大明神」とはここと違った意味で、というより、全く対照的な意味で凄い場所でしたが……。
「五社の滝」を後にし、このような裏道を辿って……。
このような小さな祠や社などが集まった場所がありました。
すみません。かなりぶれて見づらい写真になってしまいましたが。
手が震えていたようです。
今から思えば私は、この時から既にびびっていたのかもしれません……。
中へ入ります。
多くの神様の中に「白鬚大神」が。
案内してくださった地元の方が、「御壺瀧大明神の場所には、白鬚さんも祀られています。かなり寂れていますけど」と仰ってたので、ここで間違いないようです。
それにしても、地面が落ち葉に覆われていて、荒れ方、寂れ方が半端ないです。
他にも多くの神様が祀られていますが、先ほどの「五社の滝」と違って、ほとんど整備・管理されず、荒れ放題・寂れ放題という感じです。
奥の方に民家もありました。
否。かつては民家だったらしい建物もありました。
民家ではありますが、誰も住んでいないのが明白です。
かつては誰かが住んでいたと思われますが、だいぶ長い放置され続け、荒れ放題になっています。
軒先にもタイヤがパンクした古いバイクが放置されたままの状態だったり、普通の引っ越しみたいに生活用品などを整理し、持ち出すこともなく、当時のまま放置され続けているという感じです。
当時の生活の痕跡を残している分、シリーズ第491回の「老ノ坂峠・廃モーテル」のような不気味さすらあります。
境内よりさらに裏の山道から、散歩中らしい地元の方が通られました。
若いお母さんとその小さな子供だったようで、何だかほっとしました。
ん……?
この時、ほっとした同時に。
自分が既に緊張状態にあったことに、この時ようやく気がつきました。
何故、いつの間に、こんな緊張状態にあったのかと、自分でも驚きましたが。
そして、この神域に入った時から、強烈な圧迫感というか、張り詰めたような空気に辺りが覆われているということにも、気がつきました。
散歩中の親子もこの場を去って、再び私一人だけになりますと。
再び、張り詰めたような空気と強烈な圧迫感に覆われました。
ご覧の通り、たくさんの神様が祀られていますが……先程の「五社の滝」とは違う、多数の、無数の神様に取り囲まれ、監視され続けているかのような圧迫感。
もしかして私は、ここの神様たちにはあまり歓迎されてはいないのか?
興味本位で神域を訪れた不届き者を、あまり快くは思っておられないのか?
「あまりここに長居すべきではないのではないか? ここの神様たちがそれを許さないのではないか?」
そう考えると、非常に恐ろしくなってきました。
ようやく、目的の「御壺瀧大明神」の鳥居を発見しました。
鳥居の後ろの小さな洞穴に祀られているようです。
正直、少し躊躇もしましたが、中に入り、礼拝してきました。
実は穴の中の様子も撮影した写真もあるのですが……あの時あの場所を覆っていた強烈な圧迫感を思い出しますと、「本来は写真を撮るという神様への不敬行為をして果たしてよかったのか」という思いに囚われ、ここでそれを公開するのが恐ろしくなってしまいました。
というわけで、この中の写真はここで公開しないことにしました。
すみません。
その後、いよいよ辺りに漂っている強烈な圧迫感、緊張感は強まる一方。
「ここは、興味本位、面白半分とか、生半可な気持ちで来る場所じゃない」
「これ以上はやばいんじゃないか? ここに長居はすべきではないな……」
そう結論した私は、そそくさと逃げるようにこの魔所を後にしました。
去ってからしばらくしてからも、ここでの恐怖感、緊張感、そして心身の疲労はしばらく尾を引き続けました。
『今昔物語集』に描かれた人喰い鬼女は居ませんでした。
しかし京都にはまだまだこういう恐ろしい、生半可な気持ちで訪れてはいけない聖域、霊場魔所があるものだと、貴重な体験になったと思います。
今回はここまで。
また次回。
*かつて羅刹谷があったらしい京都市立日吉ヶ丘高校へのアクセス・周辺地図はこちら。
*『京都妖怪探訪』シリーズまとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm
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