おはようございます。
本日7月23日(火)
文月の「ふみの日」だそうです。
一応、私も物書きの端くれなので
ふみの日には何か書き残しておこうなんて思いながら
カタカタと雑音を響かせている訳ですが。
最近思う事は怪しいことばかりなので
話題に困りますね。
そうだな。
今、世間を騒がせている、ある映画の話でもしようかな。
凡人には理解し難いだろう
そして
理解の必要などないかもしれないあの話を。
「この世界自体が狂ってきた」
映画原作者の言葉である。
それは”異常・逸脱を描く物語”なのだ。
凡人が見ればそんな事は微塵も感じないのであろう。
何故なら
愛にできる事は少女を救う事だから。
ただし、世界は救えない。
少女と世界
少年が悩み苦しみながら狂いを選択する物語でもある。
だがそれは恋愛感情なんかではない。
分かりやすくする為に恋愛に置き換えているように見えるが
人と他人の究極の形は決して”愛”やら”恋”ではない。
また違った、”互いを求め合う心”なのだ。
それは恋愛ではないのか。
違うのである。
恋愛なんて繁殖欲の道具・過程でしかない。
倫理観を備えてしまった
生物の劣等種たる人類が
繁殖欲に究極の形を求めるとは
笑い事以外の何物でもない。
そんなものに人は何故振り回されるのか
理解に苦しむ。
対して
”互いを求め合う心”
それは誰かが為に行動できる人間にある
他者との究極の形である。
うーん。
いまいち分からないかい?
説明が下手で申し訳ないね。
つまりは互いを思う気持ちからの行動でも
相手を愛しているが故の行動ではない。
ということを言いたい訳だ。
分からないなら仕方ない。
全て私の説明下手なせいだ。
少し戻ろう。
この世は確かに異常だ。
いつか誰かが言っていた。
「この世界は間違っている」と。
だが、その根源たる原因は何だ。
そう、人類の選択だ。
我々よりも遥か昔に生を持った人類が選んだ道だ。
決して我々の選んだ道ではない。
だが、選択された道を歩むのは誰か。
我々だ。
そして我々も狂いを選択しながら
後世へと繋げていこうとするのだろう。
そんな壮大な話、無縁を主張したくなるだろうか。
それは無理な話だ。
いくらちっぽけな存在といえども
何億分の一であることには変わりない。
あなたは”ゼロ”じゃないんだ。
話が若干逸れたかな。
素晴らしい作品ほど
切り口は多いものだ。
そんな数多な切り口を持つものを
一言で語るのなら
最も注目してほしい部分を
または
バカでも理解出来る易しい部分を
利用して一言で語るのだろう。
商業的要請のせいで
後者が爆発的増加を遂げる中
ちゃんと前者で見てくれる人もいる。
だから創造者は作るのだろうよ。
風呂敷を広げすぎたかな。
今作もヒロインは一応、神の使い=巫女。
バイトしてるし貧乏だけどね。
そこも物語の主題、「逸脱」のひとつな訳だ。
観終わった直後
前作と比較し始める人が多々いて
とても残念な気分になった。
同じ日本語で聞いて
同じ映像を見ていたのに
彼乃至は彼女には届かなかったんだ
堕ちたな、日本人。
とか思ってる私は一体何者なのだろうかね。
私とて凡人
いや
それ以下な存在だというのに。
(これこのままレポートで出せる文字数だぞ、おい……)
正直なところ
まだまだ語り足りませんが
流石に長すぎますし、前記した通り
そんなに偉そうに語れるほど私に権威はありません。
「ふみの日」故に長々しい文章悪しからず。
それでは bye! Konemy