Konemyのベル

『毎日を特別なものにする為』
その日の総括、思う事、省察……
ここは「のべる」場です。

エースとエリート

2020年09月28日 16時59分45秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

ある界隈において

私はマイノリティーに所属する機会が少ないように思っています。

ただ、マジョリティーに所属している訳でもないんです。

どちらか二つ

どちらに属するかと問われれば

マジョリティーに属するのでしょう。

数多存在するマジョリティー集団に。

人が集まれば自然と「エース」と「エリート」が生まれます。

この言葉の厳密な定義をこの場で語ろうとは思いませんが

まぁ、「エース」は「エリート」ですよね。

でも、「エリート」は「エース」ではないと思います。

界隈では必然的に「エース」が最大マジョリティーとなります。

「タマゴが先か、ヒヨコが先か議論」ですが

最大マジョリティーを形成出来るが故、「エース」なんです。

しかし「エリート」はマジョリティーではありますが、最大ではありません。

「エリート」の基本位置はフロントかも知れない。

だが、二列も三列、四列すらやる。

場合によっては下部だって務める。

もちろん、ポジション0だって立派に張る。

「エース」不在の臨時だったり

他を差し置いた常駐だったり。

私は今まで一推しとして「エース」を挙げた事がない。

専ら「エリート」を推している。

好きなんだな、「エリート」が。

かれこれ16年近くになるが

今まで考えた事もなかったのでね。

最近気がついた。

「エリート」が好きだからこそ、地味な先見の明を発揮する訳です。

嬉しいような、寂しいような。

無いもの求めても仕方ありませんが。

さて、私は一体何を語ったんでしょうかね。

久々に語ったと思えば、謎ね。

これまた一興。

              それでは bye! Konemy

節目の存在意義

2020年09月17日 22時31分05秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

9月も中頃。

明日でちょうど一週間です。

9・11

おそらく、世界共通の日付だと思います。

当時、既に生まれてはいたので

過去の、昔の出来事とも言えないのですが

残念ながら記憶のある年齢ではありませんでしたね。

その事件の大きさから毎年のように特集番組が組まれて

当時のニュース映像などは何度も観る機会がありました。

あれは生放送していたんですかね。

なかなかの衝撃映像ですよ。

しかし、今年に関しては少し例年とは違ったように感じます。

まぁ、今年に関しては未曾有の年ですから。

でも、変わらぬところは変わりませんからね。

今年の9月11日

新聞にもちろん、アメリカでも追悼イベントの模様が掲載されました。

時差の関係で翌日だったと思いますが。

それだけだったように思います。

つまり、当日はあまり報道されなかったのです。

代わりと言ってはなんですが

「9年半」

そんな言葉を多く耳にしました。

新聞でも写真特集が組まれていましたね。

それを眺めていた知人が私に問うたのです。

「そんなに刻んで特集する必要はあるのか」

必要性を問われてしまえば何とも言えませんが

要は「節目に思い出す・振り返る意味」を考えれば良いのです。

では、何故。

本ブログでも、どうでも良い時に刻んで記念記事を書いています。

主に読んでくださっている皆様への感謝と

未来に読み返す私への手紙として。

これ、おそらく私自身が最も読んでいます。

当たり前と言われれば当たり前ですが

残念ながら、私以上の「Konemy」ファンはいないでしょうね。

私が刻んで記念記事を書く理由は

「話題」と「機会」です。

定期的に本ブログに目を通してくださっている方はお気づきかと思いますが

限りなくどうでも良い話を私はここでしています。

語っています。

悲しいかな

読んで人生の得になる事なんて滅多にないでしょう。

ごく稀に飛び出す、0.000……1%の響く言葉が誰かに届けば嬉しいですね。

そんな記事の連続ですから、開設記念日等々は話題としてピッタリなんですね。

あとは、上記したように限りなくどうでも良い話を読んで

かつ、反応してくださる方がこの世界にはいらっしゃるのです。

世の中、捨てたり出来ない。

ありがたい限りです。

そう言った人たちに感謝の意を伝えるのに絶好の機会なのが

開設記念日等々な訳です。

こんなちっぽけなブログで行われる事を社会規模で考えるのは

適当とは言えませんが

世の中って

一見、規模が果てしなく大きく見えたとしても

それは小さなものの集まりであったり

ちょっとした応用であったり。

「基礎」は意外と揺るがないものです。

『終わり良ければ全て良し』

なんて言葉がありますが

この言葉を過程で使うのは度し難い。

過程ならば、その段階からでも良い。

基礎を固めるべきだと私は思います。

話が逸れましたので、強引に戻します。

節目の存在意義ですね。

一言で表すなんて私には不可能なので

一因を示すのならば

それはやはり「話題」と「機会」でしょうね。

伝え手は良心のみを持つ者たちではないのですから。

因みに、本日は1451日。

50日ごと

もっと言えば10日ごとのレベルで記念記事を書いていた私が1日遅れで書いています。

これは記念記事ではありませんがね。

ここまで読んで頂き、ありがとうございました。

今後とも。

              それでは bye! Konemy





ひとときの夏を想って

2020年09月09日 22時49分51秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

九月を迎えて既に一週間過ぎて二週目に入っています。

重陽の節句。

節句の中ではあまり知られていない印象です。

私も詳しくないので多くは語りません。

それより、今日はポップコーンの日だそうです。

"POP"をひっくり返すと"909"になるから

らしいですよ。

因みに、私は菊もポップコーンも食べていません。

この記事を書いている今、自室の窓は全開(網戸ですが)。

卓上扇風機を弱で回し

タワー送風機を強さ2で稼働させています。

エアコンなんて贅沢品はありませんから

この二つが暑さを乗り切る友です。

現在の室温は32.4度

夏真っ盛りです。

しかし、週間天気予想を眺めてみると

曇りや雨ばかり。

「秋雨」模様です。

この暑さは「残暑」と呼ぶそうで。

季節は秋なのですね。

でも。思うところがあります。

梅雨明けを思い出して下さい。

東京の梅雨明けは8月に入ってから。

梅雨に皆さんはどういった印象をお持ちか。

いつの気候のイメージか。

私のイメージは6月だ。

水無月だというのに、雨ばかりではないか

などと嘆いていた時期が懐かしい。

そして、七夕ごろに明ける兆しが見え始め

遅くとも7月下旬には梅雨が明ける。

そう考えると、特に今年は季節がズレている。

人間が数える暦が間違えている。

平年の記録と照らし合わせて、何か根拠があって言っていることではありません。

あくまでも、私の経験則です。

今はまだ暑く、それに対しに恨み辛みを並べる日々でしょうが

直に季節は移り変わり

秋を迎え

すぐ冬がやってくるのです。

そうなると、寒い寒いと暖を求める。

四季と共に生きるとはそういうことなのでしょう。

常に季節に対する恨み辛みを並べようと

四季折々の様々が日本人は好きなのでしょう。

ならば、せめて今だけは

ひとときの夏を想って。

焚く蚊取り線香の香りを"きく"とはっきりと光が浮かび思い出す。

線香花火。

儚いものは忘れられませんから。

              それでは bye! Konemy


影・景・陰〜日陰だって照らせば明るくなる〜

2020年09月01日 00時28分28秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

「お早う」が過ぎる。

でも、書きたい事が浮かんでしまったのですから仕方がない。

執筆は衝動です。

無理に抑えて良いことはあまりないでしょう。

抑えないが故に悪い事も多々あることは否定しませんが。

皆さん「かげ」の意味ってご存知ですか。

私氏愛用の『新明解国語辞典 初版』記載内容を要約すると

「かげ」=光が遮られ、届かず黒く現れる部分、もの
(「陰」と「影」を併せて要約)

しかし、「かげ」の原義は違います。

古語辞典を調べれば分かります。

「かげ」(影・景・陰)=光

光り輝くものの意が原義で

転じて、光の影響でぼんやり見える姿

光が当たらない部分(現在の意)

などの意味が生じたんです。

最近、『日陰だって照らせば明るくなる』という言葉を耳にしました。

一体、いつから「かげ」は暗いものになってしまったというのでしょうね。

そもそも、「日陰」は照らされないから「日陰」なんです。

照らされていれば元から「日陰」なんかではなかったんです。

まるで励ましの言葉のように私には聞こえましたが

成功者が後に語る、奇跡の例外の美化以外の何物でもない。

当たり前の事を当たり前のように言った言葉ですが

私は同意しかねる。

歪んでますか。

えぇ、歪んでいるかも知れません。

外が暗いですね。

月齢13

明日は満月。

長月の満月。

私にとって夜は「かげ」なのでしょう。

              それでは bye! Konemy