おはようございます。
Konemy述べる時間です。
たまには随筆じみたものを書こうと思います。
エッセイ本に憧れてこのブログを開設した……訳ではありませんが。
ブログを書き始めてから結構読むようになりましたね。
主にオードリー若林正恭さんの。
それはさておき。
本題です。(文体変えます)
本日、髪を切りに行った。
前に行ったのが今年の初め。
約三ヶ月ぶりの散髪。
標準的な間隔だと私は思っている。
理髪店が私は好きだ。
首元に突きつけられる鋏でヒヤッとする感覚。
耳元で絶えず聞こえる鋏の駆動音。
理科室以上の水圧で頭頂を刺激するオートシャンプー。
全てがここでしか味わえない。
そして、私は理髪店が嫌いだ。
向かい合う事を強要される巨大な鏡。
耳元で響くバリカンの金切声。
鼻腔を刺す染毛剤の香り。
とても快適とは言えぬ環境。
それでも私は髪を切りに行った。
選択の問題か。
否。
日常だろう。
絶対善なんてないだろうに。
ところで、私って髪を切っても周りに指摘されないんです。
考えられる理由はいくつか。
気づかれるほど切っていない。
同性に囲まれた青春時代でそういった環境にいなかったから。
あるいは
私になんて興味ない。
本日髪を切りに行ったその前。
今年の初めから今日まで。
私は知人とほとんど顔を合わせていません。
ある人が言いました。
『他人の為に身なりを整えるんだよ』
「自分の為に」という話は美容関係でたまに耳にしますが
『他人の為』とはまたまた。
しかし、私が髪を切る理由は「自分の為」ではありません。
興味がないというか
嫌いというか。
それは言い過ぎか。
画像加工アプリの隆盛で自己肯定感を損なう
なんて話がありますが
根本として、自撮りする人は一定以上自己肯定感があるからこそしているのであって
考えるべきは自らの顔写真を「整形」する人ではなく
手軽に手に出来るはずの題材を手にしていない人だと思います。
鏡が嫌いなんです。
メガネを外し、歪んだ世界を揺蕩って時間を過ごします。
「自分の為」ではない。
なら、他人の為なんでしょうね。
散髪の意味を問う。
恐縮ながら
私は友人にタモリさんが欲しい。
「髪切った?」
たった一言は救いになる魔法の言葉なのかも知れない。
それでは bye! Konemy